責任能力とは2008年07月03日 22時09分26秒

社会のことは書かない方が楽しいような気がして避けているのですが、たまには。

裁判の話題を見るにつけ、私が疑問に思うことがあります。それは、「責任能力」とは何だろう、ということです。犯行時に異常な精神状態であったと判定されれば、その度合いによって、罪が軽減されたり、無罪になったりしますよね。でもそもそも犯罪って、異常な精神状態で行われるものなのではないでしょうか。あとから、あのときどうしてあんな気持ちになり、あんなことをしてしまったんだろう、と振り返るような。

ですから、凶悪な事件ではあるが、そのときの精神状態を考慮して無罪、という考え方が、よくわかりません。それなら、罪を裁くことがそもそもできなくなるような気がするのです。これからは誰でも裁判にかり出される可能性があるそうですから、このあたりから勉強しないといけないのだろうと思います。

しかし私は、個々の事例への弾力的な対処も大切だが、全体として社会に一定の正義感が充足されていることも大切だと思うのです。悪いことをすれば罰せられる、という原則が生きていることをどこかで実感できるのが、秩序ある社会なのではないでしょうか。

コメント

_ たのもー ― 2008年07月04日 01時18分56秒

当欄愛読者の中での、数少ない法学部卒業者
(落ちこぼれだが… (^^;))から、一言。

軽々に語ることのできない重いテーマですが
ごく簡潔に…

早回りしすぎかもしれないが
アキバの例の事件でも
公判では、弁護人がまたぞろ、当然のごとく
「心身耗弱」もしくは「心身喪失」を
主張するものと思われます。

この主張、法理論的には、「責任主義」という
近代刑法の原則に拠るものと記憶しています。

「心身耗弱」もしくは「心身喪失」者は
責任を問えない者を罰することはできない、
というこの原則故に、刑を減免されるのですが、
釈然としませんね。

先生のおっしゃるように
犯行時は、だれでも
「異常な」心理状態にあるわけですから。

また、素朴な被害者サイドの感情は
誰によって殺されたか、という点は、関係ない、
 たとえ、心身喪失者であっても相応に罰してほしい
  というのではないか、と思います。

しかし、今春の最高裁判決(平成20年04月25日)が
これまで以上に「精神鑑定」を重視する傾向を打ち出したことで、
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080430101806.pdf
今後、「精神鑑定」で「心身喪失」とされた者を有罪とするのは
困難になってくるように思われます。
その意味で、
この判決直後の4月28日東京地裁で言い渡された
06年12月渋谷で起きたいわゆる「セレブ妻バラバラ殺人事件」
検察側、弁護側双方の精神鑑定がいずれも「心神喪失」であったのに、
責任能力を認めて懲役15年の有罪とした地裁判決の
控訴審が注目されます。(順当なら、逆転無罪となるはず…)


一方で、
近代刑法の画期的なことのもう1つは、
刑罰を「復讐」から解放したこととされますが
無謬の人が殺された事件での、最近の判決は
「被害者の無念の情」を強調する傾向が強くなっていますから
これを「責任主義」とどう調和させていくかが、課題でしょう。

また、上記最高裁判決で、「精神鑑定」重視傾向が強まったため
今後は、医師の判断が、事実上、判決を左右することになりかねません。
医師の責任は重大です。
その意味で、安易に (…のように見えてならない)
「心身耗弱」「心身喪失」を打ち出す傾向の強い「精神鑑定」のあり方も
見直されなければと思います。

_ 4698 ― 2008年09月24日 12時47分07秒

精神鑑定結果が量刑を左右するというのに疑問を感じております。 事件の経緯の中で、どういう状態だったのかは、調べる必要があるが、事実関係からすれば、被害者(死者)がいるのだから、それを心神喪失だから罪を問えないというのは不合理ではないでしょうか。
精神鑑定が鑑定医によってバラツキがある結果も出たのも考えればどれが正しいかの判断が出来ないとなるのでないか。その中で裁判官が選択するにしても、その判断能力が正しいのか、疑問である。
結果によっては、被害者として裁判官の精神鑑定をしたいと思う気持ちもあるかも知れない。

_ I教授 ― 2008年09月24日 23時12分23秒

そうですね。凶悪事件が起こると、異常性が強い事件ほど、きっと責任能力なしで無罪なんだろうな、と思う反応ができてしまいました。

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