注目すべきモーツァルト論2009年01月06日 23時37分24秒

初対面の方から、あるいは見ず知らずの方から論文をいただくことがよくあります。本当はすぐに読んで感想を差し上げるのがいいのだろうと思うのですが、ついつい目先の仕事を優先して、そのまま積んで(あるいはファイル保存して)おきます。そしてそのまま忘れてしまうのがいつものパターンで、よほど時間が経ってから発見しては、後悔しております。

という性癖の犠牲になっていた後藤丹さん(上越教育大学)の論文「《フィガロの結婚》のカリカチュアとしての《ドン・ジョヴァンニ》--オペラのスコアに盛り込まれたモーツァルトの機知」(『音楽表現学』Vol.4、2006所収)を思い出し、読んでみました。9月にいただいていたものです(汗)。

このように紹介しているぐらいですから、じつに面白い論文でした。後藤さんは、《フィガロの結婚》における伯爵夫人のカヴァティーナ(第2幕)と《ドン・ジョヴァンニ》におけるドンナ・エルヴィーラの登場のアリア(第1幕)が、密接な音楽的関連をもちながらまったく対照的な表現になっていることに注目し、後者を前者の「カリカチュア」と見なしました(卓見です)。そして同様の対応関係が、フィガロの最初のカヴァティーナ(第1幕)とマゼットのアリア、スザンナのアリア(第4幕)とツェルリーナのアリア(第1幕)にも見られることを、豊富な譜例で論証しています。

批判的に読んでも、この関係の指摘には説得力があります。後藤さんがそこから引き出す考察については論文を読んでいただくとして、私が思うのは、次のようなことです。

モーツァルトは《フィガロの結婚》におけるいくつかの音楽の骨組みを《ドン・ジョヴァンニ》でも再利用し、それを裏返してまったく別の音楽を作り出す楽しみを味わったのかも知れません。あるいは、モーツァルトはこういう音楽の作り方を日頃からよくする人で、われわれが気づかずにいるのでしょうか。面白い切り口を与えていただき、感謝です。