話すことと書くこと ― 2009年01月14日 22時31分01秒
学生に対して、発表する場合は原稿を作れ、と指導している大学って、どのぐらいあるのでしょう。私の学生時代は、必ず作れ、と指導されましたから、作るのを当たり前と考えるようになりました。教員になってからは、すべての機会に対して作らせることは遠慮していますが、主要なゼミや学会の場合は作らせるようにしています。
発表は時間が限られていますから、原稿を作っておいて、決まった時間に最大限の情報量を伝達することが必要です。そうでないと雑談風になったり、無駄や繰り返しが多くなる。しばらく前、学会でそういう発表になってしまった発表者をある先生が厳しく叱責したことがあります。何もそこまで、という人もいましたが、私は当然の叱責、と受け止めていました。
原稿を作ることにも、欠点があります。それは原稿が書き言葉になってしまい、硬いわかりにくいものになることです。美学の頃はみんな、やたらにむずかしい硬い原稿をフルスピードで読んでいて、まあ理解の訓練にはなりましたが、とりつくしまがないものが結構ありました。
原稿を書くと、いかにですます調で書いても、かならず書き言葉になります。それをどのぐらい話し言葉に近づけられるかが、技術です。私は放送を大分やりましたので、いつもそのことに苦心していました。完全に話し言葉にしようと思ったら、書かないのが一番。しかしそれでは、短い時間に効率のよい情報伝達はできません。話す文章と書く文章をなるべく近づけること、学生さんたちにとっても、これは大切な技術です。(続く)
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