名を連ねる ― 2009年04月23日 22時20分00秒
隠居老人さん、いいお話をありがとうございました。効率を求めて苦闘した日々があるからこそ、スローライフにも味が出るということですね。もって範としたいと思います。
がむしゃらに仕事をしていた若い頃にも、仕事を減らしたいとは、常に思っていました。いや、正確には、仕事を減らし、大切なことをもっとていねいにやるべきではないか、という思いがたえず去来していたのです。でも結局うまくいかなかった。引き受けられるものはほとんど引き受け、その日その日を切り抜けて、今日まで来ました。
その点については、後悔していません。たとえば私の音楽史の勉強は、事実上、レコードの解説を書くことで積み重ねられていったからです。もう1回若いときに戻っても、同じ道をたどると思います。
ただ昔と違うのは、「一員として名を連ねる」といった仕事や何かを統括するといった仕事が私に期待されるようになった、ということです。どちらも、私にはまったく向かない仕事です。私は自分に管理能力が欠けていることを熟知していますが、なぜ欠けているかを考えると、それは管理というものにそもそも関心がないからです。(謙遜ではありません。たとえば統率力なら、必要な場合に発揮するぐらいはあると思います。)
人間は建前では生きていけないなあと、つくづく思います。さしさわりがあったら申し訳ないですが、ひとつだけ例を挙げましょう。私は自治体のもつある財団の評議員をしています。そこでは文化的な活動の報告が行われたり、予算決算の数字が示されたりします。自治体の文化活動はとても大切なことですし、それをしっかり見届けて、支援しフォローすることが、評議員に求められています。
でもそれは建前。それはわかっているのです。一方で、配られるエクセルの表に私はまったく関心がもてない、という、厳然たる事実があります。かくして私は、もっと興味のある仕事に時間を使いたい、という本音をかかえながら、建前を遂行できない自分に遺憾の目を向けて座っているわけです。(もちろんこうした仕事は辞退して、別の熱心な方におまかせするべきだと思います。しかしそんな私に対してもう一期ぜひとのご指名があり、結局、建前と本音の相克から抜け出すことができずにいるのです。前述した「一員として名を連ねる」仕事の典型です。)
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