夢のタイプ ― 2009年04月13日 22時11分47秒
日曜日は須坂へ。うらうらと暖かく、桜が満開、にもかかわらず周囲の山が終日すっきり見えている、という最高の環境のもと、講演会を開きました。2ヶ月に1回の会ですから、次回の6月は《マタイ受難曲》の本公演。私もそれを意識し、前半を《マタイ》における「ペトロの否認」場面の解説、後半を《ヨハネ受難曲》における同場面との比較、最後をリフキン方式の長所や狙い、といった形で構成しました。熱心な会員に支えられて、とても気持ちの良い会に。夕食のあとは、善光寺で桜を見物しました。ずいぶん、ツキを使いましたね・・・。
講演の前にはいつも、「すざかバッハの会」会長、大峡喜久代さんの挨拶があります。大峡さん以下、スタッフは今《マタイ受難曲》の準備に奔走しておられるのですが、その一環として、2階席を解放し、学校の生徒たちを招待する企画が用意されているそうです。
大峡さんは、その2階席が少年少女たちで一杯になっている夢を見たと、生き生きと話されました。正夢になれば、すばらしいですね。
このお話を伺った時、私はじつは、少なからぬ違和感を抱きました。なぜなら、こういういい夢、お金が欲しいときに宝船がやってくるといったタイプの夢を、私は一度も見たことがないからです。私が見るのは、宝箱を空けようとしたらどうしても鍵が見つからないとか、やっと開いたら中は髑髏で一杯だった、というタイプの夢ばかりで、夢というのはそういうものだと思っていました。
同行したまさお君は、私の夢は悲観主義のなせるわざだといいます。宝船タイプの夢を見られる方も、世に一定数おられるのでしょうか。にわかには信じがたいのですが、皆さん、いかがでしょう。
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