さみだれよりユニゾン ― 2009年05月01日 21時06分14秒
たいへんな腹痛を起こしてしまいました。年末のクリスマス・ケーキの残りを冷蔵庫から発見し、誕生日祝いに食べたのですが、とんでもなく固かったがなんとか食べられた、と思って休んでから一晩、大腹痛です。今日は大学を休んで病院に行き、点滴をしてもらいました。
なんてわけ、ないでしょ!!!でも指摘されてもすぐには気がつかないほど、クリスマス・ケーキで当然、という気がしていました(前項参照)。円形のケーキは、なんて言うんでしたっけ。
それもあり、昨日のブログは、受けたようです。どうやら「メールたった2名」というあたりが受けているようで、しゃくにさわりますから、話を昨日に戻します。
これまでの誕生日の場合、日付が変わる段階でさみだれ式に、メールが入ったものでした。ところが今回は、待てど暮らせど、といういい方だけは絶対にしたくないですが、メールが届きません。午後になり、ようやく「礒山雅様、お誕生日おめでとうございます!!」というメールが到着。出した人をほめてあげようと思ってアドレスを見ると、ANAなんですね。なんだ、会員向けの自動発送か。
夜になり、Yさん、Kさんからほぼ同時にメール。まあこんなものか、と見切りを付けて、ブログを書きました。そしたら、入れ違いにOさんから到着。まもなくHさん、Mさんから入り、「0時までにさらに3通」というコメントになったわけです。そのうちブログを読む人がいたようで、今日になってからさみだれ式に、お祝いメール。ありがとうございます、でもいいんですよ、もう5月だから。
今日の授業では、声楽の学生さんたちが揃って、「お誕生日おめでとうございます!!」と言ってくれました。さみだれより、ユニゾンをよしとします。
5月のイベント ― 2009年05月02日 20時57分16秒
今日から、朝日カルチャー新宿校の講座「新・バッハ/魂のエヴァンゲリスト」(第1土曜、10:00~12:00)新学期が始まりました。プロジェクト受講生の方、国音卒業生の方なども受講され、にぎやかです。今期は、ライプツィヒ時代に関する記述を読み進めます。今日は「音楽による修辞学」(第7章)の前半を扱いました。
今月は、10日から、早稲田大学エクステンションセンターの講座「バッハのカンタータ」に出講します。毎日曜日12:40~14:40、全5回。休みがなくなってしまうので「たいへん」感もありますが、立派な視聴覚室で講義できるようなので楽しみです。ある程度、大学向きにやりたいと思います。
定例の講座としては、「たのくら」が9日(土)で「チェンバロで息抜きを」、朝日カルチャー横浜は23日(土)で「《マタイ受難曲》第1部」。《マタイ受難曲》関連ではもう2つありますね。5日(火)17:30から、ラ・フォル・ジュルネで、コルボの演奏に先立って作品の解説をします。45分しかないので、上手にまとめないと。27日(水)19:00は杜のホールはしもとのリフキン・マタイ用セミナーの2回目です。今回は日本側のソリスト4人と大塚直哉さんが出演して演奏を披露しますので期待感が高く、だいぶ前から、キャンセル待ちになっているようです。これを1つの目標として、作っていければと思います。
なお、16日(土)16:00から、いずみホールで、ブリテン/カーリュー・リヴァーと隅田川の公演があり、私も出かけます。恒例のホール・オペラですので、関西の方々、お出かけください。
真意はどちら? ― 2009年05月04日 22時21分41秒
皆様のおかげで、笠原潔君の思い出を新たにしました。本当に、もう少しお付き合いをしておくのでした。でも、そうな風に亡き人を思うことって、多いですよね。
昨日の朝刊のコラムに「肥満差別と戦う」という記事が出ていました。ちょうど、太った人から高い航空運賃を徴収するという話が話題になっていたあとですから、興味を惹かれ、読んでみました。
アメリカの30代の女性が企業の人事担当者に文書を送るなどして活動している、という話です。このことがコラムになるのは、種々の差別との戦いを、ジャーナリズムが基本的に支援するスタンスをとっているためでしょう。それはいいのですが、最後の1文を読んで考え込んでしまいました。その締めは次のようなものでした。
「(彼女は)『私は博士号もあり、幸せに結婚している。美と知性を認められて当然な一人の人間なの』と訴えた。」
本当にこう言っているのだとすれば、この人は「内なる差別心」を認識するところから始めるべきではないか、と言いたくなってしまいます。ま、そういう人はじっさいにいますから、当人の自由ということにするとしても、私が知りたいのは、このコラムを書いた記者はどういう意図でこう書いたのだろうか、ということです。単純に応援しているのか、むしろそうではないのか。どちらにも読める話です。
明日はラ・フォル・ジュルネで、《マタイ受難曲》はまず自分自身の罪に目覚めることを人に勧める音楽だ、という話をします。その逆だなあと思い、気になりました。
ラ・フォル・ジュルネ ― 2009年05月05日 23時08分56秒
ラ・フォル・ジュルネに行ってきました。
この企画が画期的な成功を収めていることは、皆様ご承知のとおりです。3日間バッハのプログラムがいくつもの会場で続けられ、単独の開催では絶対人を呼べないと思えるコンサートがすべて売り切れというのは、常識では考えられないことです。運営も行き届いており、バッハの普及に大きな貢献をいただいたと感じました。
3つのコンサートを聴きましたが、特筆すべき発見だったのが、ピエール・アンタイ指揮、ル・コンセール・フランセのカンタータ第93番(←こんどコレギウムで採り上げます)と第178番でした。すばらしいリズム感に乗ってメンバーが本当によく聴き合い、きめ細かく、それでいて華のある演奏を展開しています。しかもしかも、リフキン方式!フランスのバッハ演奏も、ここまで来ているのですね。
講演の会場に入ると、BGMでカンタータ第198番が流れています。うっとりするほど美しい演奏なので、思わず「誰の演奏ですか」と尋ねると、やはり来演中のフィリップ・ピエルロ指揮、リチェルカール・コンソートだとのこと。この2団体が今回の目玉だったのかもしれないと想像しました。
講演もがんばりましたが、45分という時間はやはり短く、意を尽くせずに終わってしまいました。満員の聴衆が熱心に聞いてくださっただけに残念です(自己評価:60点)。時間の使い方を、もっと勉強します。
19時45分開始で、コルボ指揮、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルの《マタイ受難曲》。耳当たりのよい響きと流れがあり、それなりの貫禄で指揮されていましたので、楽しまれた方も多かったかも知れません。しかし私から見ると取り組みの甘さが随所に感じられ、掘り下げという点でもの足りませんでした。そのうえ、主観的。「どうしてバッハが書いたとおりにやらないのだろう、今ではみんなそうやっているのに」ということがいくつか重なってイライラしていたところへ、第1部の最後からそのまま第2部に入り、ペトロの否認まで行って休憩になりましたので、見切りを付けて帰宅。第1部、第2部にバッハの張り巡らせた構成が、これでは台無しです。まあ、最後に感動的な盛り上がりが訪れる可能性は、あったと思いますが。
ステージの両側には巨大なスクリーンがあり、演奏者の表情が、たえず大きく映し出されていました。でもそれなら、字幕を出すべきではなかったでしょうか。演奏者の姿より、作品の内容のほうがずっと重要だと思います。
【付記】《マタイ》の座席、14列の41番でした。BACHの数(14)とJ.S.BACHの数(41)を踏まえた梶本さんのご配慮(多分)で、ぜいたくに座らせていただきました。感想もぜいたくで、申し訳ありません。
21年という単位 ― 2009年05月06日 22時41分52秒
2桁目が1桁目の2倍という単位のこと、なんとなく思いついて書きましたが、なかなか味わいのあることのように思えてきました。この単位は、人生に何回めぐってくるでしょうか。
10代にはありません。最初が21歳です。それから、42歳、63歳、84歳と続きます。しかし次は、121歳になってしまいます。ですから、3回か4回、人生にこの単位はめぐってくるわけです。何か、名前をつけてもいいかも。
この単位のときに何をしていたか、思い起こしてみました。21歳のときははるかかなたで、記憶もおぼろげですが、2年生の2回目(留年)で、まだ駒場にいたはずです。杉山先生のゼミにも慣れ、いい勉強をさせていただいていた頃だと思います。お酒を飲んだのは3年生、22歳のときでしたから、まだお酒の味を知りませんでした。
42歳の年、すなわち1988年は、私にとってもっとも重要な年のひとつだったことに気づき、感慨を覚えています。この年に、85年に出版した『バッハ/魂のエヴァンゲリスト』への評価から、立教大学の辻荘一賞をいただきました(第1回)。それがきっかけで、毎日新聞に、音楽批評を書くことになりました。NHKで全12回の市民大学講座「バロック音楽」を放送したのもこの年です。それを機に大阪からお声がかかり、いずみホールの企画を準備し始めました。転機となる年だったと思います。
21年のめぐりにジンクスがあるとすると、今年も、後から思い出されるような年になるかも知れません。どうでしょうね。
驚くべき偶然 ― 2009年05月07日 14時21分33秒
私の「ツキの理論」が相当認知されてきているものですから、いろいろな事柄に、説明が必要になってきました。
まず、1988年が重要な年であった、という一件について。これは、年によるツキの変動を示す事態なので、私の理論に逆行するように見えます。しかし私は1986年の後半から87年の初めにかけて大病を患いましたので、そこで貯めたいいツキを使ったと見ることができます。
ニュースを見ていて、何よりも絶対に許せないと思うのは、親が子供を虐待して死なせるという事件です。正視に耐えません。死んだ不幸な子供には天国で幸せになってもらいたいと思いますが、この理論を追求すると自分は地獄ということになりかねませんので、むずかしいところです。
コルボのコンサートで、「14列の41番」というバッハ&バッハの席に座り、きっと梶本さんの心遣いだろう、と思って感謝した次第を書きました。今日担当の方からメールをいただいてわかったのですが、なんと、「奇跡的な偶然」だそうです。これって相当ツキを使っていますよね。喜んでいいものかどうか、心配です。
去る人、閉まる店 ― 2009年05月08日 22時38分53秒
国立の中華料理「杏仁坊」は、同僚の先生方を含むかなりの方をお連れし、どなたからも賛辞をいただいている、おいしく、安く、客扱いのいいお店です。しかしその好印象は、店長である水野さんの爽やかで快活なもてなしによるところも大。その水野さんから、転勤することになったとの電話をいただきましたので、今日家族で、花束をもってお訪ねしました。
早じまいのところを呼び戻す形になりましたが、最後のおもてなしを精一杯していただき、新メニューもすばらしく、いい夜を過ごしました。最後、私の手を握って、「先生のこと、大好きでした」と言ってくださったのが嬉しかったです。新しい赴任先は、有楽町のイタリアン、スコルピオーネ・スタッツィオーネだとか。ぜひ行きたいですが、有楽町で食事する機会は少ないかも知れません。
最近子供が飲むようになってきましたので、そのまま、ドルチェに移動し、軽く飲んで帰ってきました。そしたら、ドルチェの店長より、「5月一杯で閉店することになりました」というメールが入っているではありませんか。たしかにいつもお客さんが少なく、がんばって欲しいなあと思っていたのですが、お店では何もおっしゃらなかったので、びっくりしました。
杏仁坊の場合、店は残りますが、ドルチェは店ごとなくなってしまいます。絶好のたまり場として使ってきた私としては、困ること、この上なしです。これって、「私の通う店はつぶれる」というジンクスの実現でしょうか。あるいは、バッハ番号の座席のたたりなのでしょうか。
ジンクス続く ― 2009年05月10日 21時04分04秒
帰宅して階段を上がっていくと、扉の向こうに、犬が来ます。うちの犬(陸)は、いつもどういう状態で私を迎えるでしょうか。三択クイズです。
1)お座りをして、しっぽを振っている。 2)ボールをくわえている。 3)廊下を走り回っている。
回答は、明日。
今日は久しぶりに、早稲田大学の正門に立ちました。むか~し受験したころに比べると、周囲がものすごく発展しましたね。でも風格のある、いい一角です。私は子供のころから、スポーツなど、早稲田のファンでした。
行ってみると、受講生の数が14人。第78番のテノール・レチタティーヴォでバッハのカンタータの開眼した昔話をし、そのCDをかけたら、トラックの数が14。ノートパソコンを開くと、途中終了していたウィンドウズが再開されるまでの時間として表示されたのが、14秒・・・まだジンクスが続いていますね。こうなったら、徹底してこだわってみましょうか。14人定員の飲み会とか、いかがでしょう。
愛犬お手柄 ― 2009年05月11日 23時18分22秒
うちの犬(オス、1歳)は、私が階段を上がっていくとドアのそばに来て、鼻から甘えた声を出しています。開けると飛びついてきますが、必ず、ボールをくわえている。はい、2)が正解です。
なぜかというと、ボールを放ってもらったり、取り合いをしたりして、遊ぼうとしているのです。私は着替えから始めますから、帰る早々ボール投げなどしていられないのですが、犬には、人間の都合はわかりません。
それにしても、今度の犬ほど、人間と遊ぼうとする犬も初めて。さかんに遊びをせがみ、飽きることがありません。意欲があるので、いろいろなものをくわえてきては、噛んだり、裂いたりして遊ぶ。人間にとっては破壊ですが、犬にとっては、創造的な作業なのだと思います。
ですから、犬が噛んで遊ぶ可能性のあるものは、靴を含め、高いところに待避しています。ところが、うっかり、英語用のIDレコーダーのイヤホーンを下に置いたままにしていたのです。そしたら、見事に囓られて、こわれてしまいました。
仕方がないので、ビックカメラへ、すると、さまざまなイヤホーンが売られていて、附属のものである必要は、まったくないことがわかりました。耳にやさしいものがいいと思い、多少高価なものを購入したところ、これが音といい、耳へのフィットといい、格段にすばらしい。耳から落ちるのを、気にしないで済むようになりました。これってお前のお手柄じゃん、と言って、犬をなでております。
火曜日 ― 2009年05月12日 23時29分29秒
今年度の火曜日、今日の場合です。
第3・4限は、個人指導。博士課程最上級生の湯川亜也子さんに、フォーレの論文の指導をしています。今日はレルベルグという詩人の詩の解釈が中心となりました。え、フランス語大丈夫かですって?この指導があるおかげで、かなり思い出してきました。大学院の第2外国語はフランス語だったのですが、思わぬところで、役に立っています。もちろん至らぬところは、知人の助けを借ります。
第5・6限も個人指導で、修士課程の浅田直樹君と、モーツァルトの研究をしています。今日は風邪でお休みでしたので、リフキン氏から送られていた3通の論文をざっと読み、音楽学会の例会で使うものを決めました。「バッハの苦闘・私の苦闘」と題する、《ロ短調ミサ曲》校訂記です(きわめて高度なものです)。またご案内しますが、6月5日(金)の18:00から芸大で行う予定。英語の通訳はできませんが、発表原稿の日本語訳は、私がやろうと思います。
というわけでメールに返信していましたら、すでに第7・8限の時間。これは修士課程声楽専攻の学生の論文指導で、8人の院生が、次々とやってきます。今日は2人お休みで、計6人。全員が、オペラの専攻です。以上、火曜日は、個人指導が続くわけです。
終了後雑用をこなしているうちに、18:00になりました。火曜日のこの時間はバッハ演奏研究プロジェクトの時間なのですが、今日は外せない会議があり、仲間にまかせて、会議に出席。19:30近くにやっとiBACHコレギウムの練習場に行くことができました。今日は音出しなので全然まとまっていないだろうと思いつつ部屋に近づいたら、カンタータ第64番の合唱が、意外に引き締まった響きで聞こえてきてびっくり。2年目を迎えて、全然違うレベルのスタートになったと、指揮者の藤井宏樹さんが喜んでおられました。以上、今日の日記です。
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