イエスに私の注ぐのは・・・2009年07月15日 22時06分46秒

拙著『マタイ受難曲』がおかげさまで10刷を迎えることになり、対訳を少し、見直しました。いくつか気になっている部分があり、先日の公演シリーズのさいには、当該部分が来ると目をつぶっていましたので(笑)。

検討箇所は3つです。まず、最初のアルトのレチタティーヴォ(第5曲)。ここの歌詞(←この言葉、使っちゃいますね)は、信仰深い女がSalbを注ぐのに対し、私は涙の泉から一滴のWasserを注ぐ、というものです。私は、前者も後者も「香油」と訳していました。前者は文字通りそのままですが、後者は、「一滴の涙を、いわば私なりの香油として」という意訳になります。Wasserは広義の「水」ですので、ここはSalbeと区別すべきではないかと、以前から感じていました。

ところが、ルター訳では、女がイエスの頭に注いだ高価なるものが「Wasser」と訳されているのです。弟子たちも、「そのWasserを売って貧乏人に施したらよかろうに」、と言う。Salb(香油)という言葉は、ピカンダーのテキストに入って、初めてあらわれます。ちなみに、現代のドイツ語訳(統一訳)では「Oel」(油)です。ルターが「Wasser」と広く使っているのは、心の中に「水による洗礼」というイメージが浮かんでいるためでしょうか。

というわけでむずかしいところですが、第5曲の香油と水の対比を生かすことを優先し、Wasserを「液」と訳して、聖書の場面と整合させてみました。ひとつの試みです(続く)。