3音節の難題 ― 2009年07月16日 21時54分55秒
《マタイ》の対訳見直し。第2点は、先日の公演で小島芙美子さんが歌った最初のソプラノ・アリア(第8曲)の、主部です。
ここの歌詞、原語は"Blute nur, du liebes Herz"で、私の従来の訳は「血を流されるがいい、いとしい御心!」というものでした。それでも日本語か、と言われても仕方のない拙劣な訳で、もちろん字幕には目をつぶっていました(笑)。
"du"は訳に入れていませんが、二人称の呼びかけで、Herz(心)と同格です。この「心」が私の心か、イエスの心かをめぐって両説あること、当時の神学書の典拠を踏まえるとイエスの心が正しいと思われることについては、私の本に書きました。またそうでないと、中間部の「あなたの育てた子が」のDuとつながりません。
”Blute nur"は「血を流す、出血する」という動詞blutenの命令形、nurは強めの副詞です。そこで「血を流せ」を敬語的に表現する、本来はあり得ない言い回しを考えて、上記の訳を作りました。しかるに原語は簡潔な3音節(!)で、くりかえし歌われる。計7回、ダ・カーポを合わせて14回(!)です。それにしても、もし日本語で歌うとしたら、3音節でどうするのでしょう。「血出よ」ですか(笑)。
”Blute nur"のセットを繰り返し聴くうちに思い始めたのは、やはり"nur"を日本語にすべきではないか、ということでした。この"nur"は、命令形に付いて、勧める気持ちをあらわす言葉です。たとえば大阪夏の陣で天守閣が落城し、火災になった場面を想定しましょう。お付きの武士が秀頼に「もはやこれまでにござります。いざ切腹なさりませ」と言ったとしますね。この「いざ」にあたるのが、nurなのです。かなり強い意味を添える言葉なので、できれば、日本語に反映させたいところです。
というわけでいろいろ考え、「血を流されよ いざ、いとしい御心よ!」と直したのですが、けっしていい訳ではありませんね。さらに考えますが、私の力不足です(汗)。
ちなみに"blutenden Herzens"という副詞句があり、「胸の張り裂ける思いで」「断腸の思いで」などと訳されます。これを応用して「張り裂けよ」と訳す手もありそうです。しかし音楽を見ると、弦楽器に「血の滴り」の音型が一貫して流れている。ですから、意訳に逃げることもしにくいのです。
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