続・古典の価値2010年10月23日 09時58分54秒

古典の価値について書いた直後に、大学や知のあり方が今後どうあるべきかを論じた文章を読む機会がありました。権威のある審議会の出した報告書の一部です。

こういう文書をまとめる人もたいへんだなあ、という思いもありますが、それは別として・・・。論旨の骨格にあるのは、世の中がこれだけ大きく変わっているのだから、大学も変わって行かなくてはならない、知の枠組みも時代に合わせて一新しなくてはならない、という考え方であるように読めます。たしかにこういう意見はよく見聞きしますし、本も出ていますね。

昔は、そうではありませんでした。時流に迎合せずに、時流を超えた価値を求めていくのが大学であり、学問でした。その姿勢の中に、古典が位置づけられていたわけです。

「象牙の塔」という言葉もあり、両者は一長一短でしょう、きっと。しかし社会とともに大きく変わることが組織的に提唱され、評価作業などによってそれが圧力になってくると、悪い面の方が多くなるのではないでしょうか。私は、究極の価値というのは人間を超えたものだと思っているので、人間たちによって作られる社会が基準を動かすことには、強い疑問を感じます。転換期にいつも出現した「古典に帰れ」という価値観は、21世紀には出現しないのでしょうか。

明日(24日)18時から、アーノンクール指揮《ロ短調ミサ曲》の生放送(FM)にゲスト出演します。