円熟の極み、アーノンクール! ― 2010年10月24日 11時37分46秒
久々の生放送。行く前はもうあまり緊張することはしたくないな、と思っているのですが、始まってハイになると、やり甲斐に動かさている自分に気がつきます。《ロ短調ミサ曲》の作品と演奏に対するコメントですから、どんな方向から振られてもだいたい大丈夫だと思っては臨みましたが、そこはナマの恐ろしさ。何が起こるかわかりません。
放送でも申し上げましたし、批評にもまとめますが、80歳のアーノンクールが長身をステージにあらわしただけで、客席の姿勢が改まりました。たいへんな存在感です。演奏は、従来の観念を改めるようなものでした。情報量極大の雄弁なスタイルが後退し、聴き手が静かに耳をそばだてるような、奥行きの深い、滋味豊かなものになっているのです。円熟をさらに極めたアーノンクールの指揮によってバッハの究極の作品を聴く、忘れがたい一夜でした。
なかなか完璧の期しがたい生放送で反省もいろいろ残りましたが、NHKの方々が感動的な放送だったと真顔で言ってくださったので、ありがたくいただいて帰宅しました。もちろん、名演奏あってこそなしえたことです。いずれにしろ、《ロ短調ミサ曲》の存在が、私にとって、日に日に大きくなってきています。この曲の研究と上演を、これからの課題としたいと思います。
放送でも申し上げましたし、批評にもまとめますが、80歳のアーノンクールが長身をステージにあらわしただけで、客席の姿勢が改まりました。たいへんな存在感です。演奏は、従来の観念を改めるようなものでした。情報量極大の雄弁なスタイルが後退し、聴き手が静かに耳をそばだてるような、奥行きの深い、滋味豊かなものになっているのです。円熟をさらに極めたアーノンクールの指揮によってバッハの究極の作品を聴く、忘れがたい一夜でした。
なかなか完璧の期しがたい生放送で反省もいろいろ残りましたが、NHKの方々が感動的な放送だったと真顔で言ってくださったので、ありがたくいただいて帰宅しました。もちろん、名演奏あってこそなしえたことです。いずれにしろ、《ロ短調ミサ曲》の存在が、私にとって、日に日に大きくなってきています。この曲の研究と上演を、これからの課題としたいと思います。
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