歌謡曲、やります!2010年09月01日 10時22分01秒

中学2年生でクラシック音楽と出会うまで、歌謡曲をたくさん聴いていました。ラジオから歌謡曲が流れ、大ヒット曲はすなわち国民全体の財産であった時代です。自分の音楽性の基礎を作った、なつかしい曲がたくさんあります。

そこで、私がいずみホールでプロデュースしている「日本のうた」のシリーズで、歌謡曲(広義)の系譜をたどりたい、と思い立ちました。きっかけは、ピアニストの花岡千春さんが最近それに取り組んでおられることです。

企画をするにつれて再認識したのは、昭和初期の歌謡曲草創期においては、芸大卒・在学中の人など、クラシック畑の音楽家が大幅に関与している、ということでした。いずみホールの企画である以上、そこをしっかりとらえて、格調のあるコンサートにしたいと思います。オリジナルに極力忠実な、花岡千春さん復元の楽譜を用いて演奏します。

昭和初期から戦後まもなくまでを、「風土と心を歌う」「異国とモダンを歌う」「戦時に求められた歌」「復興期を支えた歌」の4ステージに構成しました。出演は小泉惠子さん(ソプラノ)、田中純さん(バリトン)の芸術性高いお二人ですが、若い人にも加わっていただかないと先につながらないという思いから、内之倉勝哉さん(テノール)にご参加いただきます。内之倉さんは国立音大後期博士課程のホープで、ウィーン留学から戻ったばかり。たいへんな美声の持ち主なので、ご期待ください。

9月15日(水)の14:00(!)から、3,000円均一です。この時間でもお出でいただける方、お待ちしています。

サントリー音楽賞贈賞式2010年09月02日 11時51分13秒

今日はホテル・オークラで、第41回サントリー音楽賞と第9回佐治敬三賞の贈賞式が行われました。受賞者は、サントリー音楽賞が大野和士さん、佐治敬三賞が作曲家集団クロノイ・プロトイです。おめでとうございます。

パンフレットに掲載された大野さんの受賞のことばがすばらしかったので、ぜひここでご紹介させてください。大野さんは、ブルーノ・ワルターの自伝にある、指揮者の人生を木にたとえるくだりを引いて、次のようにお書きになっています。

「その木が、大地である〈人間性〉に根ざし、あらゆる方向に向かって、深くしっかりと根をおろしていればいるほど、〈指揮者〉の木はいっそう高く、枝をより茂らせて、豊かに成長して花開くと(ワルターは)いっています。指揮者としての発展は、音楽的な素質にだけではなく、人間の内面全体にむけられなければならないというのです。」

その上で大野さんは、自分の指揮者としての歩みは、まだまだ道半ばにも達していないのだ、とおっしゃるのです。高いものを目指す演奏家の清らかな精神に触れて、心が燃える思いを味わいました。

史実は大切2010年09月03日 23時48分50秒

職業柄、本当には知り得ないことをいかにも見てきたように書いてある本には不信感を抱きます。「これは推測だが」とでも断りがあれば、もちろんOK。後世の創作なのに同時代の証言を騙るなどというのは、まったく賛成できません。

念頭にあるのは、『アンナ・マクダレーナ・バッハの思い出』という本。学生の頃感激して読み、だまされました。「小説」とでも銘打ってくれていれば何でもないのですが、訳者からも、何の断りもありませんでした。じつに不誠実(当時)。今はもう、そんなことはないのでしょうが。

あらためてこのことを書くのは、マリーア・ヒューブナー編『アンナ・マグダレーナ・バッハ 資料が語る生涯』(春秋社)という本を手に入れて、喜んでいるからです。この本には、資料の上から本当はどこまでのことがわかるかが、最新の研究に基づいて、正確に、精密に書いてある。伊藤はに子さんの訳も第一級のものです。

当然、内容は地味です。脚色してあった方が面白い、という見方もあるかもしれません。しかし、わかることを基礎に書けることだけを書き、推測を推測として加え、あとは読者の想像力に委ねるH-J.シュルツェのエッセイは、まことにみごと。これが学問というものです。

【付記】『思い出』(1925)の作者はエスタ-・メイネルという英国女流作家だそうです(本著より)。

高尾経由、岐阜へ2010年09月05日 15時53分01秒

サントリーのパーティの楽しみは、すばらしいお酒がふるまわれることです。料理も同様すばらしいのですが、私はパーティ中は飲む+話すに専念し、帰りがけ、ラーメンを食べるのがならいになっています。

贈賞式の帰り、吉祥寺で「汁なし担々麺」を食べました。暑かったので上着を脱いでテーブル下に入れ、食後元気に「ごちそうさま!」と言って、国立まで戻ってきました。ここで気づいたのが、上着をそのままにしてきたこと。財布もそこに入っています。まだそう遅い時間ではなかったので吉祥寺まで戻り、幸いをそのままになっていた上着を取り戻して、再度帰宅しました。

この話は、書きませんでした。そう面白い話ではありませんから。なぜ今書いているかというと、今日の話題の、伏線となるからです。

4日(土)の早朝立ちで、リハーサルに間に合わせるべく、岐阜に向かいました。サラマンカ・ホールで、モーツァルトのコンサートがあるのです。なにしろ目的地は、日本最酷暑地のひとつ、岐阜。礼装を尊ぶ私もステージ衣装を着ていくのはやめ、衣装ケースを持参することにしました。

予定通りの「のぞみ」に乗車。少し走ったときに気がつきました。妙に荷物が少ないことを。衣装ケースがあったような気がするが・・・思い出しました。中央線の網棚に乗せておいたのです。

乗っているのは、新幹線。名古屋からでは、戻っても間に合いません。さあどうしようと、気が動転しました。軽装でステージに出て行くことは、私として、絶対にしたくありません。

少しして、品川停車のアナウンス。そうか、次は名古屋じゃなかったのね。では探索しようと決心し、下車。忘れものの窓口に駆け込みました。「ここは東海なので、東日本へ行ってください」「ここは品川なので、ダイヤグラムのわかる東京駅へ行ってください」などなど、探索は一筋縄ではいきませんでしたが、最終的には、私の乗った電車がリターンして到着した高尾駅で発見することができました。

その間すごく困ったのは、なぜか、エクスペリアの電源が入らなくなってしまったこと。試行錯誤の末、バッテリーをいったん外すことで復活できましたが、もし使えないままだったらどうなっただろうと、ぞっとします。まあいろいろありましたが、本番ぎりぎりに猛暑の岐阜に到着し、ぶっつけでステージに立ちました。

経緯は、同僚の皆さんに喜んでいただきました。いったい私の行動って、ノーマルなんでしょうか、それとも、アブノーマルなんでしょうか。食事を終えたときも、電車を降りるときもいろいろな考えごとをしていますから、荷物を忘れるのは、ごく自然にも思われるのですが・・・。岐阜県同調会の皆様、ご心配をおかけしました。

首位争い2010年09月06日 22時22分20秒

あ、野球の話ではありません。野球の話もしたいのはやまやまなのですが、当該の球団が連敗で3位に落ちてしまい、話題性を失ってしまったのです。前半戦は他の球団が歯が立たないほど強かったのに、これってなんなんでしょうか。先日書いた、一寸先は闇、というやつにちがいありませんね。

今日の話題は、気温、つまり暑さの首位争いです。このところ京都の京田辺市が急浮上してきましたが、従来の三強は、埼玉県の熊谷市、群馬県の館林市、岐阜県の多治見市です。週末岐阜を訪れ、これはただごとではないと、畏怖の念を覚えました。多治見は40度だ、といううわさがめぐっていましたが、どうだったのでしょう。

私が思うのは、このようにマスコミが扱うようになると、それぞれの都市は、首位になりたいと闘争心を燃やすのではないか、ということです。どうせ暑いなら日本一になりたいと思うのが、人情ではないでしょうか。最近の飲み会に館林市の方がおられたのですが、その方は、熊谷、多治見に対して明らかに警戒心を抱いているようにお見受けしました。負けたくない!という闘魂が、表情から読み取れました。

その気持ちは、とてもよくわかります。わからないのは、首位に立ったときにどういう見返りがあるか、ということです。観光客が集まるとはどうしても思えないのですが、有名になったというそのことが、町おこしにつながっていくのでしょうか。

終戦ムード2010年09月09日 11時10分47秒

台風一過。風が残り、涼しい1日でした。かんかん照りが連日続いて、このままずっと夏でも不思議はない、と思っていたところへ、秋がすっと忍び寄る。寂しくありませんか?余計な心配をするようですが、首位争いに文字通り熱を上げていた方々のお気持ちはどうなんでしょう。張り合いを失って虚脱状態ということはありませんか、たのもーさん。

私の大学は9月が早く、この月曜日から授業が始まっています。前期より明らかにたいへんなのは、ウィーンから2名の留学生が帰国して、博論指導の学生が7人から9人に増加したことと、朝1番の授業(オペラ史)が出現したことです。時間がものすごく詰まってしまっていて、これからの1週間を乗り切るのがまずたいへん。がんばります。

食の話題を1つ。スープカレーが好きで、お店を見つけたら必ず入る私です。一番好きなのは、大切りの野菜が色とりどりに入っている野菜カレー。今日は銀座二丁目で「スパイスピエロ」という店に入りましたが、おいしかったですね!スープに黒と赤があり、黒が男性向きだそうです。銀座に行ったら、絶対寄ります。銀座通りの地下です。

バッハ一族2010年09月11日 11時06分40秒

授業が始まり、ものすごく忙しくなりました。最悪が、来週の水曜日(15日)。この日は大阪で歌謡曲のコンサートをやる日なのですが、同時に新聞のCD評の締め切りであり、NHKの録音の前日なのです。もちろん、月曜日も火曜日も、スケジュールは詰まっていて、睡眠を切り詰めるしか、なさそうです。

というわけでがんばっているのですが、10月の「バロックの森」で出す「バッハ一族の音楽」の準備をしていると、いろいろなことに気がつきます。わかっているようでじつはわかっていなかったバッハ一族の系図と分布、音楽が、頭でつながってくるわけですね。勉強になります。

CDを集めていて気がついたのは、ヨハン・ミヒャエル・バッハのオルガン曲やモテットがずいぶんたくさん録音されている、ということでした。バッハ以前の最高のバッハとされるヨハン・クリストフ・バッハと、同じかそれ以上の数があります。わかったのは、この2人はアルンシュタットのオルガニスト、ハインリヒ・バッハの息子で、兄弟であることでした。この2人の音楽を学ぶことによってバッハの最初期の作品(オールドルフ時代)が作られたと、ツェーンダーは述べています。

ゲーレンでオルガニストをしていたミヒャエルは4人の娘を残して死んだそうですが、その末娘がなんと、バッハの最初の妻となったマリーア・バーバラ。ということは、バッハの義理の父が、ヨハン・ミヒャエル・バッハということになります。といっても結婚は死後13年経ってからですから、バッハはこの偉大な先人が自分の親になるとは、勉学中には、想像すらしていなかったことでしょう。ちょっと近親過ぎ、という気もしますが・・・。

などなど、気がつくと面白いことがたくさんあります。バッハがライプツィヒでたくさん演奏したヨハン・ルートヴィヒ・バッハのカンタータと、それをモデルにしたバッハのカンタータ(第39番)の比較も取り入れました。聴いてくださいね。

関係ありません!2010年09月14日 23時58分35秒

 「礒山さん!」と言われれば、私は、躊躇なく振り向きます。「佐藤さん!」と呼ばれたら、世の佐藤さんはどうするのでしょう。きっと、自分かどうか、躊躇しますよね。私は、「同姓」の人が存在することに、慣れていません。

ですから、「さやか」さんという方の存在することが、たいへん気になります。「礒山」は少ないが「磯山」は多い、という方向で考えられればいいのですが、さやかさんは本当は「礒山」だ、と聞いたことがあります。

そうしたら、北海道で大麻大量所持の女性が、同じ読みだというではないですか。気になります。おそらく、このニュースに接した方は、私のことを思い出されるのではありませんか?

まあしかし、珍しい名前で特をしていることは、確かです。しかし、少ない弊害もある。音楽の世界に私と同じ名前の方がおられ、私との関係を再三聞かれて、苦り切っているという話を聞いたことがあります。恐縮です。まあ、当家には男の子がいないし、本家も女の子だけでみな姓が変わりましたので、遠からず消滅する心配ではありますが。

う~ん、歌謡曲!2010年09月16日 23時32分57秒

いずみホールの歌謡曲企画。私の仕切ったコンサートの中でも有数の、熱い盛り上がりになりました。昭和初期から昭和25年までという古いプログラムのためお客様の年齢層がひじょうに高かったことを考えると、これほどストレートな高揚感があったのは、不思議なくらいです。

私も、大感激でした。でも、どうしてこんなに感激するんでしょう。青春の思い出?若き日の感傷?それだけでは、ないようなのです。やっぱり、音楽がいいのではないか。花岡千春さんがオリジナルに徹底してこだわり、和声も前奏・間奏・後奏も当時のままに復元した楽譜を使ってみると、素朴な中にいろいろな工夫や凝った表現のあることがよくわかり、クラシック畑の人たちが積極的に関与して作られていた初期歌謡曲のステイタスの高さを、実感する結果になりました。大熱演の出演者の方々、ありがとうございました。

終了後は、私が客席に入っていって、アンコールのリクエスト募集。小泉惠子さんには《蘇州夜曲》が、内之倉勝哉君には《赤城の子守歌》が、田中純さんには《イヨマンテの夜》がリクエストされたと言えば、雰囲気がわかっていただけるでしょうか。あ、若い人はご存じない曲ばかりですね・・・。最後は、トリの曲目だった《長崎の鐘》を、お客様といっしょに歌いました。客席からも、ずいぶん声が出ていましたね。

東京方面の方は、バリトン歌手の田中純さんを、あまりご存じないのではないでしょうか。すばらしい芸術家です。リハーサルでその声に触れてからどの曲も涙があふれてしまい、困りました。本番はステージ上なので抑制していましたが、それでも《新雪》(「紫けむる、新雪の~」)には泣いてしまいました。司会者は絶対泣いてはダメだ、と思っているんですけどね。

やわらかで味わいのある、ノーブルな美声。言葉をすみずみまで大切にした歌いぶりの中に、いつもほのかに漂う、ロマンティシズム。作品のために、音楽のために歌う芸術家に、またひとり出会いました。

言ってみたかった言葉2010年09月18日 11時46分16秒

忙しい一週間を、何とか乗り越えました。準備の必要なイベントも多かったので、少ない時間をけっして無駄にしないようにして、早め、早めに準備しました。

!!!一度言ってみたかったことを言ってしまいました。もう一度言うぞ。「少ない時間をけっして無駄にしないようにして、早め、早めに準備しました」--美しい言葉ですね。頭ではわかっているのだがどうしてもできない、少ない時間を無駄にしては準備が間に合わなくなってしまう--という人生を、これまでずっと過ごしてきたのです。それが変わったのは、もう無理はできない、という年齢の知恵かもしれません。

金曜日は、その頂点。朝の9時から、大教室を含む授業が3つ、個人指導が延べ6人。これでもうへとへとでしたが、夕方は新宿に出て、新しいイベントの打ち合わせと、その壮行会をこなしました。今日は疲れてしまって、何をする気も起きません。久しぶりの休日だなあ、と思って調べたら、最後の休日は8月27日でした。

壮行会までやったイベントが、すばらしいのです。12月26日(日)に須坂で、モンテヴェルディのオペラ《ポッペアの戴冠》を上演します。私が音楽監督と演出を兼ね、指揮とチェンバロが渡邊順生、ヴィオラ・ダ・ガンバが平尾雅子。iBACHコレギウムの歌手たちが大挙出演します。遠くの方からも聴きに来ていただけるといいな、と思っています。え、あんた演出の素養があるの、とおっしゃるのですか?あるわけないですが、作品の本質をお届けするべく、多少の工夫をしたいと思っています(汗)。