カンニング2011年03月08日 18時22分36秒

インターネットを使ったカンニングの件、最初はミステリーの世界の出来事がこの世に出現したように思え、どういう風に落着するのか、興味深く見ていました。そうしたら、計画し腕を磨くことによって個人でも実現できるという単純な結論が導かれ、なあんだという思いです。

同情論が多いのは、なぜでしょう。教育の場における試験は厳格なルールのもとに成り立っていますから、カンニングぐらいいいじゃないか、という意見には与せません。そういう人がいるから、試みる人がいるんじゃないだろうか。当日の見張り番の先生には一定の責任があると思いますが、大学に矛先を向けるのも、行き過ぎのように思えます。

私自身、自他の試験監督をずいぶんやってきました。学内の試験の場合、カンニングで得点を取り、いい成績をもらう、あるいは卒業できる、という不合理は、ひじょうに大きい。したがって、見つかれば処分されます。次がんばれよ、とはなり得ません。入学試験はちょっと違いますが、緊張度のもっとも高い試験であることは確かで、みんなが真剣に臨んでいる場で、カンニングは許されないと思います。

ただ思うのは、やった人は得をしない、ということです。とにかく合格すれば親が喜ぶ、将来得をする、という一心で行われたことだと思いますが、それは甘い。そのようにして京大に入っても、相手は全部京大生です。対抗しようがありません。「むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ」ということわざは、入学試験のためにあるようなものなのです。トップの大学で落伍するよりは、二番手の大学で上位を取ったほうが絶対ためになる、という実例を、たくさん見てきました。よろず、無理は禁物です。

コメント

_ Clara ― 2011年03月09日 11時59分24秒

今回のことは、いろいろ考えさせられることがありました。凶悪犯罪ではありませんが、不正は不正ですから、この受験生に同情はしませんが、「事件」に複数の人間が関与したとか、金銭がらみのようなことがなかったらしいのは、少しホッとします。立ち直って、良い人生を歩んでほしいと思います。

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