ケガレ脱出2011年03月02日 23時27分09秒

運気が悪く、ドクター入試の学務をこなしていても、もうひとつ気が晴れない。どうやら、「ケガレ」の状況になっているようです。脱出には、祭事を営まねばなりません。

折よく、1日に飲み会が設定されていました。そのお話をさせてください。

論文の個人指導を含む授業では、どこかで飲み会をやっておくと、その後がたいへんスムーズになります。声楽の学生たちはとくにお祭り好きですから、その必然性が高い。オペラ専攻の修士を論文指導していますので、節目節目の飲み会を、自分のスケジュールに入れていました。

ところが今年の1年生は、むずかしいのです。なかなか作業がはかどらず、まとまりがないように思えて、声をかけるのをためらって来ました。しかし提出が近づくにつれて、エンジンがかかってきた。それならと打ち上げを提案したところ、待ちかねていたのか、ワーイと喜びが爆発。立川のイタリアンで、会食が実現しました。

参加者は7名で、女6名、男1名。唯一の男性はにこにこ笑っているのみで、完全に女性主導で進むのが、いかにも今風です。ワインを飲みながら話しているうちに、じつは仲良し同士の、とてもまとまりのいい学年であることがわかってきました。理解が至らず、ごめんなさい。よく飲み、よく食べる人たちなので盛り上がりも大きく、二次会は、カラオケに行くことになりました。

みんな、うまい。オペラ専攻なのだから当然でしょうが、情感あふれる人、明るく元気のいい人、セクシーなムードの人、個性がみんな違う。カラオケが一番、個性を理解する早道だと思いました。

歌の時間差は、いたしかたないところ。デュエットをやろう、《隅田川》(←東海林太郎)行くぞっ、と叫んでも、誰も知りません。普通なら座が白けるところですが、白けないのです。お相手は伴奏を聞きながらついてきて、3番では、もう歌えるようになっている。さすが、プロですね。学生たちの歌には、英語がすごく多かったです。グローバリゼーションがここにも、ということでしょうか。

度が過ぎたのか、今日は二日酔いでした。能率が落ちてしまい、今日は深夜まで仕事せざるを得ません。明日録音なので、がんばります。

3月のイベント2011年03月03日 23時55分59秒

いろいろあります。

6日(日)14:00、東大和市ハミングホールの東大和市民合唱団「第九を歌う会」10周年記念演奏会の《魔笛》ハイライトに、ナレーションで出演します。論文弟子の葛西健治君も、モノスタトスで出演。

12日(土)10:00、立川市錦町学習館視聴覚室 「楽しいクラシックの会」例会。5月、同会主催で公演予定の《ポッペアの戴冠》に関する詳細勉強会の第1回です。

12日(土)14:00 立川市錦町学習館講堂 錦まつりコンサート「昭和の歌っておもしろい!~クラシックな歌謡曲」 いずみホールで成功したコンサートの再演。昭和初期から戦後までの歌謡曲の名曲を、豪華な顔ぶれでお届けします。小泉惠子(ソプラノ)、内之倉勝哉(テノール)、田中純(バリトン←京都から特別出演)、花岡千春(ピアノ)の出演で、なんと入場無料!絶対お薦めのコンサートです。

14日(月)、15日(火)18:00 国立音楽大学講堂小ホール 博士研究コンサート 私の論文弟子たちが出演しますので応援よろしくお願いします。14日の出演者が内之倉勝哉君(テノール)、小島芙美子さん(ソプラノ)、高橋幸恵さん(メゾ・ソプラノ)。15日の出演が、高橋織子さん、阿部雅子さん、川辺茜さん(いずれもソプラノ)、服部慶子さん(ピアノ)です。

16日(水)18:30 国立音楽大学講堂小ホール 新人演奏会 大学院修了者による選抜コンサートです。くにたちiBACHコレギウムから、実力者の小堀勇介君(テノール)、坂本久美さん(ソプラノ)が出演。安田祥子さん(ソプラノ)もおなじみですね。たのもーさんに絶対お薦めなのが、大武彩子さん(ソプラノ)です。超高音のコロラトゥーラに度肝を抜かれること、まちがいなし。もちろん、ピアノ、フルート、作曲の部門からも、優秀な修了者が出演します。

21日(月)16:00 いずみホール(大阪) バッハ・オルガン作品連続演奏会 いつも高いクォリティで評価をいただいているこのシリーズ、バッハの誕生日と重なった今回はヴォルフガング・ツェーラー氏の出演で、曲目は大作の《クラヴィーア練習曲集第3部》です。22日にはオルガンの公開講座もあります。

26日(土)13:00 朝日カルチャーセンター横浜校 『魂のエヴァンゲリスト』を読み進めるシリーズ、今度はワイマール時代のオルガン作品の2回目。さまざまな映像を御覧いただきます。

27日(日)15:00 立川アミュー大ホール 国立音楽大学コンサート「モーツァルト~晩年の境地を探る」 この時期恒例のモーツァルト・コンサート。これまでは管楽合奏でしたが、今年はフル・オケで、武田忠善さんによるクラリネット協奏曲、山下浩司さん、松原有奈さんその他の出演による《魔笛》第1幕抜粋を演奏します。1000円ですから、絶対お得です。

30日(木)19:00 いずみホール(大阪) 日本のうたシリーズ「クラシックな歌謡曲」その2 12日のコンサートの後編で、戦後から昭和の終わりまでの歌謡曲を取り上げます。大人の抒情~花開く夢~若者からのメッセージ~時間への詠嘆の4部構成。出演は石橋栄実(ソプラノ)、小堀勇介(テノール)、三原剛(バリトン)、花岡千春(ピアノ)の4人です。ちなみに最初の曲は《港が見える丘》、最後の曲は《川の流れのように》です。感動しそう。

ずいぶんありますね。忙しそうです。

限界2011年03月05日 16時43分35秒

今、西武新宿線の車中です。

今年になってからもう3回ぐらい、「今週は乗り切れるだろうか」と思う時がありました。いずれも、仕事のラッシュ時です。その都度乗り越えることができ、体調がいいからだ、ありがたいなあ、と思ってきました。しかし今度は、乗り越えられないような気がするのです。いくつか急ぎの仕事が持ち越しになっていますが、ここ数日はスケジュールが詰まっていて、取り組める目算が立ちません。

こうなると、心理的に、「焦りモード」になる。弱った、急がなくちゃ、こんなことやってられない、といった焦燥感が、つねにつきまとう。これは、心身ともに不健全な状態です。昨日は記者会見で大阪を往復したのですが、もちろん自慢のレッツノートで、往復の車中、仕事をしました。しかし疲れてしまい、夜中に神経が冴えて、寝付かれなくなってしまったのです。仕方ないので起きだし、気になることだけ片付けたのですが、こういうときにやってはだめですね。メールを書いても、つい、調子がきつくなってしまう。深夜のメールで仲違い、というのは、世の中によくあることのようです。

ひとりの人間、そうそういろんなことはできない、と言えば、それにちがいないと思います。年齢相応に無理のないペースで、仕事は当然するべき。その当たり前のことが、私はできないのです。

市民オペラ!2011年03月06日 11時54分00秒

尊敬する友人、慶応大学教授の三宅幸夫さんが、5日(土)、最終講義をなさいました。シューベルトの《白鳥の歌》から〈影法師〉の分析を中心に話されたというのはいかにも「らしい」と思いますが、私はどうしても時間が空けられず、夜の懇親会に駆けつけるという形になりました。締めのユーモラスなスピーチも、優秀な方にふさわしい、冴えたものでした。これからますます活躍されると、確信しています。

6日(日)は、東大和市民合唱団10周年記念+同市ハミングホールの開館10周年記念イベント「華麗なるオペラ」へ。私の役割は、《魔笛》の抜粋公演にナレーションを行うことです。いわゆる「市民オペラ」に参加するのは初めての経験でしたが、皆さんは「市民オペラ」なるものについて、どのようなイメージをお持ちでしょうか。少なくとも私は、自分の中にあった概念を、完全に覆されました。これは、書いておかなくてはなりません。

市民合唱団のものすごい熱意と、それに協力を惜しまなかった方々によって、公演がまれに見るほど盛り上がったこと。それは事実です。だがそれが可能になったのは優秀な指揮者が統率していたからで、逆に言えば指揮者が優秀で全力投球されれば、市民オペラの可能性はじつに大きい、ということです。その指揮者は時任康文さんのだったのですが、この方の人間性と力量には、感嘆を覚えました。

オーケストラやソリストを揃えての練習時間は、当然、限られています。その中で、感じよく、無駄なく練習を進め、本質的なところに絞ってわかりやすい指示を出して、演奏の質を、目に見えて向上させる。高い集中力と威厳を保ちながら、配慮にあふれていて、スマート。みんなが眼の色を変えてついてくるのも、当然です。日本ニューフィルハーモニック管弦楽団の向上度合いも、眼に見えるほどでした。

ソリストは、ザラストロ 志村文彦、夜の女王 佐藤優子、パミーナ 横山美奈、タミーノ 土崎譲、パパゲーナ 白木あい、パパゲーノ 小林昭裕、モノスタトス 葛西健治という顔ぶれ。初めての方がほとんどだったのですが、皆さん、相当な力量です。若手にチャンスを与え、クラシック音楽の啓蒙の場にもなるという意味で、市民オペラというのは本当に大事なイベントなんだなあということを肝に銘じる、この1日でした。

カンニング2011年03月08日 18時22分36秒

インターネットを使ったカンニングの件、最初はミステリーの世界の出来事がこの世に出現したように思え、どういう風に落着するのか、興味深く見ていました。そうしたら、計画し腕を磨くことによって個人でも実現できるという単純な結論が導かれ、なあんだという思いです。

同情論が多いのは、なぜでしょう。教育の場における試験は厳格なルールのもとに成り立っていますから、カンニングぐらいいいじゃないか、という意見には与せません。そういう人がいるから、試みる人がいるんじゃないだろうか。当日の見張り番の先生には一定の責任があると思いますが、大学に矛先を向けるのも、行き過ぎのように思えます。

私自身、自他の試験監督をずいぶんやってきました。学内の試験の場合、カンニングで得点を取り、いい成績をもらう、あるいは卒業できる、という不合理は、ひじょうに大きい。したがって、見つかれば処分されます。次がんばれよ、とはなり得ません。入学試験はちょっと違いますが、緊張度のもっとも高い試験であることは確かで、みんなが真剣に臨んでいる場で、カンニングは許されないと思います。

ただ思うのは、やった人は得をしない、ということです。とにかく合格すれば親が喜ぶ、将来得をする、という一心で行われたことだと思いますが、それは甘い。そのようにして京大に入っても、相手は全部京大生です。対抗しようがありません。「むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ」ということわざは、入学試験のためにあるようなものなのです。トップの大学で落伍するよりは、二番手の大学で上位を取ったほうが絶対ためになる、という実例を、たくさん見てきました。よろず、無理は禁物です。

迷ったら2011年03月09日 23時46分18秒

迷うことは、人生で、よくあります。どの店に入るか。何を食べるか。時間がなければ、それでも食べるべきか、食べざるべきか。どちらの仕事を先にやるか。この仕事を引き受けるべきか、断るべきか。等々、きりがありません。

大切な案件に対してぎりぎりの選択を下すとき、その人の人間性が明らかになる。そんなとき、指針をもちたいと思われませんか?私は最近、「迷ったらこうする」という指針を得たいと思うようになりました。

バッハの関係の仕事で、迷うことがあるとします。A案、B案のどちらにすべきか。人間関係が大事なのか、筋を通すことが大事なのか、人を呼べる方がいいのか、などなど。こうした場合、「迷ったらバッハの利益に」という原則を立てると、すっと選択できることに気づきました。

いろいろ、応用例があると思います。文章のAとBで迷ったら、かならず短い方を選ぶ。ワインをもう1本頼もうかどうか迷ったら、頼まない方を選ぶ(←むずかしい)。指針を心にもつと、効率よく人生を送れそうです。次話で、その実例を。

迷ったらバッハの利益に2011年03月10日 23時58分59秒

「迷ったらバッハの利益に」というのは、こういうことです。

先日、あるアマチュア合唱団のバッハ・コンサートに行きました。最初にカンタータ78番があり、ここには、エキスパートを含むソリストと、プロのメンバーによるオーケストラが共演しました。次にモテットの《イエスよ、私の喜び》が、合唱団プラス通奏低音で演奏されました。

要するに、モテットがアマチュア中心に、カンタータがプロの参加のもとに、演奏されたわけです。それだと、カンタータの演奏の方が良くなって当然ですよね。しかしじっさいはモテットの方がはるかに良く、その盛り上がりは、感動的でさえあった。これはどういうことなのかと、私は考え込んでしまったわけです。

結論は、こうした結果は、プロとアマチュアの関係という基本的な構造にかかわっている、ということです。それ自体が演奏者の責任というわけではないが、お互いに、意識改革は必要ではないか。こういうことは私の立場でなくては書けないことなので、差し障りがあると申し訳ありませんが、書かせていただくことにしました。

私はこの日はしごの予定で、前半しか聴きませんでした。後半では音楽がまとまり、さすがプロが入ると違う、という結果になっている可能性は、あると思います。ですから、当日の批評ではなく、原則的なことにかかわる提言として、お読みください。

プロとアマチュアのコラボレーションは、危険を内蔵しています。なにしろ、練習の回数が違う。アマチュアが徹底して作ってくる演奏の方向性を、プロは消化しないままステージに上る、ということが考えられます。しかし、もしそうしたことがあるとすれば、それは、そのソリストがどんなに優秀でも、演奏にはマイナスに作用します。

カンタータ78番にもそれがあったように思いますが、今回は、ひとつの点に絞りたいと思う。それは、合唱団が後ろに控え、ソリストが前面に並んで脚光を浴びる形式がバッハの演奏として正しいかどうか、ということです。

78番はコラール・カンタータで、この日のコンサートも、「バッハとコラール」をテーマとしたものでした。しかるに、コラール楽曲を展開するのは合唱です。ソリストが歌うのは、そこから派生した楽曲だけ。この事実からすれば、ソリストがスターのように脚光を浴びるのは、どう考えてもおかしい。合唱団の立場ではそうせざるを得ないのでしょうが、外部にいる私には、ソリストは合唱団の中に入り、せめてコラールを一緒に歌うのが正しい形だ、と思われます。

バッハの演奏のためには、アマチュアも妙に遠慮すべきではないし、プロも「お客様として自分の曲だけを歌う」意識を捨てるべきだ、と私は思います。一体として演奏にあたった方がバッハは必ずよくなるし、その方が、協力する側にとっても得です(きっぱり)。たしかに演奏の現場では、プロに対して失礼ではないかなどなど、いろいろな局面で迷うに違いありません。そこで「迷ったらバッハの利益に」という原則が生きると思うのですが、いかがでしょう。

【付記】もちろんアマチュアの演奏が至らず、ソリストの貢献でコンサートが立派になった、というケースも、多々あると思います。上に書いたことは、アマチュアが最善を尽くすことを前提としています。

お見舞い申し上げます2011年03月11日 23時39分30秒

大惨事になりましたね。被災された方、たいへんお気の毒でした。お見舞い申し上げます。

〔付記〕申し訳ありません、このときには被害の深刻さがわかっておらず、少しのんきな書き方をしてしまいました。お叱りをいただきましたので、謹んで削除させていただきます。お詫び申し上げます。

Mein Herz ist mit Euch.2011年03月13日 12時31分30秒

日に日に被害の様相が明らかになるにつれ、想像を絶する現実に驚愕しています。私のお弟子さんにも家族と連絡の取れない方がおられ、本当に心配です。ごいっしょに、無事を祈りたいと思います。少しでも多くの方が救出されますように。

日曜日のコンサートは、一種壮絶な前史を伴って、開催されました。それについては、少し状況が落ち着いてからご報告します。表記のドイツ語は、”Erdbeben"(地震)というタイトルでジョシュア・リフキン氏からいただいた開封確認付きメールの本文です。知己の方々にお送りします。皆さん、こういうときこそ、心をこめて音楽をいたしましょう。

中止のお知らせ2011年03月14日 11時57分51秒

ご案内していた今週のコンサート、すべて中止になりましたのでお知らせします。博士研究コンサートの方は追って行われるようですが、新人演奏会の方は、文字通りの中止です。出演者はお気の毒ですが、これほどの状態ですから、正しい判断だと思います。一日も早い復旧・平常化を、皆様とご一緒に祈りたいと思います。