何を研究するか2011年11月23日 11時04分36秒

私の司会する月曜日のゼミで、先日、興味深いラウンド・テーブルがありました。野中映先生のコーディネートするテーマは、「誰がために研究は在る」というもの。研究と勉強の違いから始めて、種々の基礎的かつシリアスな問題が取り上げられました。そのトピックの1つだった「何を研究すればいいのかわからない」という点について、今日は自説を申し述べます。

文系の学問で、テーマの自主性が尊重されているところでは、「何を研究すればいいかわからない」ことが、多くの学生の悩みになります。卒論にしろ修論にしろ、早くからテーマ提出を求められる場合が多いですから、テーマの選択に何ヶ月も費やしてしまうという例も、まれでありません。

ここでわきまえるべきは、「何を研究すればいいか」ということは、研究を始めないうちにはけっしてわからない、ということです。適切なテーマを選ぶためには、その対象についてどういう研究が行われているのか、すでにわかっていることは何か、わからないことは何かをまず知る必要がある。どんなに研究されている対象でも、わかっていることより、わからないことの方が、はるかに多いはずです。

そこでテーマ探しの着眼は、わからないことを知る方向に向かう。しかしすでにわかっていることを再吟味することも、選択肢としては重要です。再吟味による通説の修正は、学問の柱とも言えるものであるからで、もう研究されているという理由から忌避する必要はありません。

「まだわかっていないこと」の中に自分の知りたいことが含まれていれば、そこにテーマ発見のチャンスが生まれてきます。この段階で大切なのは、それが自分の現能力や与えられた時間との天秤において、成果としてまとめられるかどうかを見極める、ということです。成功を左右するのは、十中八九、焦点を狭めた絞り込みです。大きな問題意識が背後にあるのであれば、絞り込んだテーマ設定は有意義だし、先につながります。

という次第なので、興味のあることをどんどん調べ、まずは知識を増やしていくことです。それが面白くなってくると、疑問が疑問を呼んで世界が広がり、選ぶべきテーマへのアンテナも磨かれてゆきます。それをしないて考え込んでいては、いけません。

対象に関するすぐれた著作や論文を読むことは、つねに助けとなる方法です。また、情報を集めるだけでは研究にならないとしても、それらに対して自分なりの評価と意味づけを行うことは、その第一歩になります。文献の丸写しは手の運動。しかしそこでわかったこと、自分が考えたことを記述してゆくことで、小さなレポートも、研究の第一歩とすることができるのです。

先にテーマを決めてしまおうとあせらず、暫定的なテーマから始めて、発展的に修正していくことが一番いいと思います。つねに後押ししてくれるのは、知的な好奇心です。