音楽批評2011年12月14日 10時10分01秒

「音楽美学概論」の授業で、音楽批評について取り上げました。その困難さやあるべき姿を、自分の経験をお話ししつつ考える、という趣旨です。授業の進行中新聞に発表し、配布して読んでいただいた批評が3つありました。ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、パドモア/フェルナーの《冬の旅》です。

興味を示された聴講生の方が、授業の最後に、これからも読みたいのでブログに載せてくれないか、とおっしゃいました。かつてホームページをやっていた頃は、行ったコンサートのほとんどに少しずつ感想を書いていたのですが、今は控えていて、とくに良かったものの中から、ぜひ知っていただきたいものの一部をご紹介しています。職業柄不用意な価値判断はできませんし、コンサート通いの詳細を公表するのも良し悪しだ、という思いがあるからです。

上記3つのうちでは、《冬の旅》が断然良かったです。12日の毎日新聞に掲載された批評、許可をいただきましたので次に引用しておきます。タイトルは、新聞社によるものです。

従来イメージ吹き飛ばす名演
 イギリスのテノール、マーク・パドモアが、ピアノのティル・フェルナーと、シューベルトの三大歌曲集を共演。トッパンホールの「歌曲の森」に含まれる企画で、私は12月4日の《冬の旅》を聴いた。テノールが《冬の旅》を歌うということは、曲が作曲者の指定したオリジナルの調で再現されることを意味する。その効果はやはり大きく、バリトンやバスで積み重ねられてきた従来のイメージが、一気に吹き飛んでしまった。冬を旅するのは悟りきった老人ではなく、これから生きなくてはならぬ、血の通った青年のはずだからだ。

 すっきりと明晰な声。すみずみまで聞き取れるドイツ語。枢要な言葉にわずかな余情を彫り込みつつ、端正に重ねられる語り。パドモアの発声は広い音域にわたってゆるみなくコントロールされ、音程の正確さに加えて、楽譜への反応が針を穿つように鋭敏だ。《最後の希(のぞ)み》における声とピアノの掛け合いは現代の器楽曲さながらで、思わず息を呑んだ。

 古楽が専門というイメージから連想するひ弱さは、まったくない。歌唱は芯の強い毅然としたスタンスで運ばれ、劇的な振幅も豊か。疲れた主人公を時に幻覚が襲う後半でも、パドモアは分岐の〈道しるべ〉をしたたかに見据え、墓地という〈宿〉を前に、すっくと背筋を伸ばす。こうして蓄えられた〈勇気〉に促されて、青年は未踏の旅を続けるのだ。

 ウィーンのピアニスト、フェルナーの貢献を特筆しておきたい。《冬の旅》のピアノ・パートには一見単調な持続がいたるところにあらわれるが、フェルナーは和音の構成に配慮し、変転する明暗をみごとに弾き分けて、パドモアを支えた。大切な音をわずかのタッチできらめかせる間合いと集中に効果があり、鬼火の描写も絶妙だった。

 歌い手とピアニストの紡ぐ純度の高い楽の音が、ひとえにシューベルトのみをめざしてホールに湧く。そんなひとときに居合わせるのは、なんとすばらしい体験だろう。

コメント

_ N市のN ― 2011年12月14日 23時28分54秒

パドモア、私はトッパンホール最終日(6日)の白鳥の歌を聴きました。
声質の美しさ、繊細な変化、言葉の美しさに聴き惚れました。私はドイツ語が理解出来ませので、最初対訳を見ながら聴いていましたが、途中からそれを止め、美しさに身を委ねました。
何度目が潤んだことか…高い知性と感性バランスの良さが、曲への温かな愛情と、ドラマ性に表れていたと思いました。
余談ですが、その2日後(8日)パドモアとシューベルトの3大歌曲をCD録音しているポール・ルイスのピアノリサイタル(王子ホール)も聴きました。こちらも本当に素晴らしかったです。ティル・フェルナーとはブレンデルつながりです。(両者ブレンデルの弟子)

_ I教授 ― 2011年12月15日 11時43分02秒

《白鳥の歌》、さぞ良かったでしょうね。Nさんの新幹線代に投資しての音楽会通いには敬服あるのみです。

_ N市のN ― 2011年12月15日 13時24分38秒

恐れ入ります。
1月15日、楽しみにしております!

_ たのもー ― 2011年12月31日 23時37分04秒

パドモア、先生のご推薦を伺って、私は土曜日に所沢ミューズで聴きました。期待にたがわずの、すばらしさ。第1曲の終りのピアノ伴奏で、早くも涙腺がゆるんできて、困りました。

《冬の旅》は、名歌手の来日公演だけでも、ホッター、プライ、ヘフリガー、最近は女声のシェーファーら、(フィッシャー・ディースカウが聴けなかったのは痛恨事でした!)を聴き、いづれ劣らぬ名演と、その時は感動、感激したのですが、今回のパドモアを聴くと、新しい時代が来たことを痛感します。かつて、シュワルツコップが朝日新聞のインタヴューで、自分とフィッシャー・ディースカウが引退したらドイツ・リートはどうなるのか?と懸念を表明していましたが、その心配は杞憂だったと断言できそうです。

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