ギエルミ氏、バッハを彷彿とさせる名演2012年03月19日 02時12分57秒

14日(水)、ヴォルフ先生の講演会。バッハにとってオルガンがいかに肝要な楽器であったか、というお話です。ヴォルフ先生は、本来オルガニスト。それだけに、バッハの音楽をオルガニストの音楽だなあ、と思われることが多いようです。

たとえば、《ブランデンブルク協奏曲》。この曲集は6曲とも編成が異なり、曲ごとに新しい響きの世界が探究されています。ヴォルフ先生は、こうしたところにバッハがオルガンから音楽を発想したことを見て取れる、とおっしゃるのですね。オルガンにはストップがあり、さまざまな音色を弾き分けることができ、バッハもそれに務めていたから、というわけです。

岡本和子さんの完璧な通訳と、ロレンツォ・ギエルミ氏の実演を交えて進められる講演は、まことに贅沢。お客様は200人ほどで、普通の講演では大入りなのですが、800席のホールでの開催ですので、ガラガラに見えます。それでも意に介さず、大熱演してくださいました。

ギエルミ氏のコンサートの前振りを兼ねる趣旨から、オルガン音楽と他ジャンルの交流について、とくにくわしく言及されました。バッハのオルガン曲に、プレリュードとフーガニ短調BWV539という作品があります。そのフーガが、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の第2楽章と同一なのです。通説ではヴァイオリン曲からの他者の編曲、ということになっているのですが、ヴォルフ先生はバッハの真作でヴァイオリン曲はそこからの編曲、という見方を提示され、びっくりしました。

新しいお考えですか、とお尋ねしたところ、オルガン曲は筆写譜で確証はないのだが、どちらもワイマール時代の作品であり、自分はそう考えている、とのこと。たしかに、無伴奏ヴァイオリンのフーガがいきなり書き下ろされたというのも、不用意な想定かもしれません。無伴奏曲にもパロディ(既作の転用)がありうるでしょうか、と伺ったところ、十分にありうるというお答えでした。なるほど。その夜、北新地でお寿司をご一緒しました。お寿司が大好きでいらっしゃるのです。

15日(木)。先生のご尽力で、長距離ランニングで疲労困憊の私との記者会見もうまくいき、ギエルミさんのコンサートになりました。冒頭に、ヴォルフ先生のご挨拶をいただいたことは、いうまでもありません。

それにしても、ギエルミ氏の演奏は、すごかったですね。明晰にして透明、知的というのはいつも感じるギエルミさんの美点ですが、この日はイタリア人のテンペラメントのめらめらと燃え上がる趣きがあり、ヴィヴァルディ編曲のコンチェルトなど、こんなに面白い音楽だと思ったのは初めてです。ギエルミさんによるとヴィヴァルディなしでは考えられない曲であるというプレリュードとフーガイ短調BWV543も、同様にエキサイティングでした。

バッハの演奏にかかわる生前の記録として、テンポが速かった、レジストレーション(ストップの組み合わせによる音色づくり)がまったく個性的であった、テクニック(とくにペダル)が超絶的であった、ということがあります。そのすべてが当日のギエルミ氏の演奏にあてはまりました。燦然たるイタリア風のバッハ。これこそ、バッハの理想であったのかもしれません。

16日(金)に帰国されたヴォルフ先生、その日の20時からライプツィヒの見本市で、バッハに関する新しい出版物の紹介をなさるのだそうです。そんなご多忙の中、来日してサービスしてくださるご好意に、感謝しきりです。バッハの全曲シリーズの終わりにはお祭をしましょう、と約束して、お別れしました。