ドイツ旅行記(2)--鈴木さんに祝辞2012年06月18日 23時35分31秒

宿泊地ドレスデンからライプツィヒへは、1時間ちょっとかかります。見本市が売り物の商業都市であるためか、来るたびににぎわいを増すのが、ライプツィヒ。7日からバッハ祭が始まっていますので、あちこちに垂れ幕があり、活気があります。


聖トーマス教会にたどり着くと、向かいのレストランからヴォルフ先生が飛び出してこられ、ご挨拶。教会に入ると、なんと《マタイ受難曲》の最終合唱曲が流れてきました。丈高い空間に幾重にも反響して届いてくる響きは美しく、同行の方々が感激。鈴木雅明さんとバッハ・コレギウム・ジャパンが、リハーサルをしていたのです。そのこと自体、大したものだと思います。

今が盛りの珍味、シュパルゲル(白アスパラガス)を食べ、バッハ博物館を覗きました。バッハ所蔵の聖書、トーマス学校関連の文書など新たに発見された資料を加えた展示はさすがで、見応えがあります。私は閲覧もそこそこに、旧市庁舎へ。この建物、ご存知ですか?広場の縁に立つ歴史的な建物で、2階が、コンサートやイベントの会場になっています。クイケン兄弟の《音楽の捧げもの》DVDは、ここで録画されたものです。

会場では、8日15:00から始まる鈴木さんの受賞式の準備が進み、人が集まってきていました。2003年から始まったライプツィヒ市提供のこのメダル、過去の受賞者は、レオンハルト、リリング、ガーディナー、コープマン、アーノンクール、マックス、ベルニウス、ヘレヴェッヘ、ブロムシュテット。東洋/日本からの受賞者は、もちろん鈴木さんが最初です。内外の報道陣がすごく、この賞の権威を裏付けています。

「バロッキアーナ」という小アンサンブルの奏楽で、式は始まりました。ここでサックバットを担当している和田健太郎さんの演奏がみごと。声楽とともに歌い合い、曲の内側に入り込んでいるのです。

いろいろな方がスピーチされるのかと思ったら、市長の挨拶のあとはすぐ私の祝辞になっています。きわめて重い役割であることがわかりました。市長(ブルクハルト・ユング氏)は長身の美男子で、知性と社交性にあふれた挨拶。これでは太刀打ちのしようがありませんが、私もネイティヴの方の協力をいただいて準備をしっかりしておきましたので、それほど緊張せずに、スピーチに立つことができました。


私がお話ししたのは、次のようなことです。鈴木さんが最初の非ヨーロッパ人として受賞したことは、バッハの音楽のもつ普遍性の証明であること。鈴木さんはバッハと同質の「学識ある音楽家」(ヴォルフ氏)であり、その意味で「日本のバッハ」と呼ぶにふさわしいこと。日本人の伝統的な感性は本来バッハの音楽とは距離があり、キリスト教を信仰している人もわずかではあるが、それでも日本人は宗教性、霊性への豊かな感受性からバッハを尊敬し、その受容に努力を払ってきたこと。その流れの上で、鈴木さんはまさに待望されたバッハ・スペシャリストであること。本当に数多い日本のバッハ愛好家のためにも、このような形であらわれた本場との交流を大切にしたいこと。などなどです。

何はともあれ、堂々とやるように務めました。言葉が届いている手応えはもちながら話しましたが、鈴木さんと握手して席についてもなお拍手が続いていたので、自分なりに結果は出せた、と安堵しました。そのあとにヴォルフ先生の賞状朗読とメダルの授与、鈴木さんのスピーチ、奏楽と続いて、1時間余りの式は終了しました。解散後はドイツ大使主催のレセプション、ヴォルフ先生を交えての食事会となり、夜の8時から、バッハ・コレギウム・ジャパンによる《マタイ受難曲》演奏会が、聖トーマス教会で行われました。

ドイツの方々、またドイツ在住の方々から「すばらしいスピーチだった」とずいぶん言っていただきました。しかし喜んでばかりもいられないのが、この手の賛辞です。なぜなら、そこには私のドイツ語力に対する過大評価が含まれているからです。準備して初めてできることは、準備なしではなしえません。しかし、「なあんだ」と思われることは、避けたいわけです。

鈴木さんの受賞は慶賀の極みですが、それは大きな重荷を背負われたことでもあります。今後は、聴き手からの要求も厳しく、欲張りになってくることでしょう。この機会に自分の音楽をもう一度見直され、内側から喜びの湧きあがるような、柔軟で新鮮なアプローチを育てていただけるよう、お願いします。