ドイツ旅行記(6)--アイゼナハ ― 2012年06月22日 23時59分24秒
11日(月)はコンサートがなく、1日観光。バッハ生誕の地、アイゼナハに同行の皆様をお連れしました。珍しく列車がひじょうに混み、席を確保するのに苦労しました。
バッハ・ファンの方には、アイゼナハは、特別な思いのある土地でしょうね。ザクセンから西にテューリンゲン州へと旅し、全ドイツのちょうど中央のあたりに、アイゼナハはあります。小さな町なので、観光は一本道。最初に訪れるのは、中央広場にある聖ゲオルク教会です。バッハが洗礼を受けた教会がここで、当の洗礼盤がまだ使われています。
小さな教会の壁に、代々のオルガニスト一覧が貼ってありました。17世紀半ばからの100年ほどは、バッハ家の人ばかり4人が就任しています。それ以上に教会が押し出している音楽家は、テレマン。バッハがワイマールでオルガニストをしていた頃に、ちょうどテレマンがアイゼナハの宮廷楽長を務めていたのです。バッハは9歳までここで過ごしましたが、ゆかりの作品とかは、ないわけです。
バッハ・ファンの方には、アイゼナハは、特別な思いのある土地でしょうね。ザクセンから西にテューリンゲン州へと旅し、全ドイツのちょうど中央のあたりに、アイゼナハはあります。小さな町なので、観光は一本道。最初に訪れるのは、中央広場にある聖ゲオルク教会です。バッハが洗礼を受けた教会がここで、当の洗礼盤がまだ使われています。
小さな教会の壁に、代々のオルガニスト一覧が貼ってありました。17世紀半ばからの100年ほどは、バッハ家の人ばかり4人が就任しています。それ以上に教会が押し出している音楽家は、テレマン。バッハがワイマールでオルガニストをしていた頃に、ちょうどテレマンがアイゼナハの宮廷楽長を務めていたのです。バッハは9歳までここで過ごしましたが、ゆかりの作品とかは、ないわけです。
少し登りとなった観光路は、バッハ・ハウスへ。かつてバッハの生家と考えられていたところで、博物館になっています。きっと、どなたも訪れるところだと思います。
でもその期待は、多分満たされないでしょう。理由のひとつは、ここがバッハ家の跡ではないことが判明していること。博物館が優秀ならそれでも構いませんが、たいしたコレクションがない上に、展示も専門性を欠いています。いくつかの鍵盤楽器を試奏してくれたガイドさんの緊張感のなさにはがっかりしました。下手なのに、悪びれたところがないのです。
アイゼナハでは、ルターが幼少期を過ごしました(バッハの学校の先輩)。そのルター・ハウスの展示は立派で、雰囲気があります。でもそれをいうなら、郊外にそびえるワルトブルク城はすばらしい。ここを訪れなければ、アイゼナハに来た意味はほとんどない、と言ってもいいでしょう。ここの売りは2つあります。ルターがここにかくまわれ、聖書のドイツ語訳を行ったこと。ワーグナーの歌劇《タンホイザー》の舞台となったことです(オペラの正式な題は《タンホイザーとワルトブルクの歌合戦》)。
お城は、深い森に囲まれた丘陵の上に聳えています。中世に豊かであったようには思えないし、参集も不便であったに違いない。しかしここには、ルターと聖エリーザベトの思い出が、生き生きと住み着いているのですね。私としては、ルターより断然、エリーザベト。この女性が実在し、この城に住み、あたりを散策していたことを考えるだけで、感動に包まれます。歌合戦の模様を空想すれば、なおさらです。もちろんそれは、ワーグナーの名作があるため。優れた芸術が歴史を、歴史上の人物を不朽のものとして輝かせることが、これでよくわかります。
つい長居をしてしまい、帰りにバス停にたどり着いてみると、もう終バスが発射したあとでした。タクシーの電話を割り出して来てもらうのに一苦労。でもそれも、よい思い出です。
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