マッサージの後2012年06月01日 00時12分50秒

月曜日が、楽しみな曜日になりかかっています。お気に入りのマッサージ店アルファウェーブに、しばらく通うことにしました。朝の11時に入り、終わるとちょうどお昼時。新橋は大飲食店街ですので、おいしそうなお店がたくさんあります。しかしすぐ食べない方がいいですから、お店探しを兼ね、少し散歩してから食べることにしています。

八方、どちらに行っても、たくさんのお店があります。しかし、おのずと地域の個性がある。そこで、時間のあるときには、なるべく違う方向に行ってみることにしました。ある日は、虎ノ門の方向へ。ある日は、神谷町からサントリーホールへ。ある日は、芝公園から東京タワーへ。汐留の方向、銀座の方向、日比谷の方向、さまざまです。迷って決められず、つい歩き続けてしまうのですが、本格的な日本蕎麦のお店(麻布十番)とか、担々麺の専門店(虎ノ門)とか、いいお店を見つけると、幸せな気持ちになります。

今週は月曜日に静養したので、今日(木曜日)実践しました。ただしお昼を食べたのは、羽田空港です。渡欧が近づいているので、準備を兼ねて出かけてみたのです(お寿司屋ですがとてもいいお店でした)。帰路、銀座へ。山野楽器で「古楽の楽しみ」のためのCDを調達したあと、隣の教文館に入りました。

この書店の3階(キリスト教書売り場)に行くと心が清められるような気がすることは過去に書きましたが、久しぶりに訪れて、その気持を新たにしました。清潔な店内に、ひたむきな研究のオーラが立ち昇っているのです。奥まった音楽書コーナーを見ると、私の本がよく揃えられているのですね。欠けているのが世俗カンタータの本というのはできすぎ(笑)。キリスト教の方々に支えていただいているんだなあと、あらためて思いました。この雰囲気の中に置かれているのが、嬉しいです。

ケリー『初期キリスト教信条史』(一麦出版社)、ニュッサのグレゴリウス『雅歌講話』(新世社)の2冊を買って、店を出ました。

6月のイベント2012年06月01日 23時30分23秒

いよいよ6月ですね。今月は10日間のドイツ旅行がありますので、予定にだいぶしわ寄せが来ています。

2日(土)の10:00から、朝日カルチャー新宿校で仕事始め。世俗カンタータ講座の2回目で、ケーテン時代の祝賀カンタータを取り上げます。具体的には、173番の世俗稿と教会稿をじっくり比較して、パロディを考える一助とします。

9日(土)に予定していた東京バロック・スコラーズの《マタイ受難曲》講演会は、申し訳ないですがキャンセルさせていただきました。しかしビデオで出演します。合唱団のご協力で30分の「番組」を作成してあり、聖書研究の佐藤研先生と指揮者の三澤洋史先生があとをフォローしてくださるようです。16日(土)の「たのくら」例会は、演出の中村敬一先生にピンチヒッターをお願いしました。とてもお話の上手な先生です。

帰国後。23日(土)は朝日カルチャー横浜校のエヴァンゲリスト講座で、今回は「妻に贈る第2の楽譜帳」がテーマとなります。13:00から。翌24日は、14:00からすざかバッハの会の、《ロ短調ミサ曲》講座です。前回から場所が須坂駅前のシルキーホールとなり、電車の方はずっと便利になりました。いよいよ《ニカイア信条》に入ります。

最後30日(土)の10:00からは、朝日カルチャー新宿校の世俗カンタータ講座の次の回。「トーマス学校、ライプツィヒ大学講師のための祝賀カンタータ」3曲を予定しています。以上、どうぞよろしく。

今月の「古楽の楽しみ」2012年06月02日 23時55分45秒

今月は、18~21日です。「ドイツ・バロックのオルガン音楽」という特集にしました。目下録音中ですが、結構、愛着があります。

オルガン音楽が、大好きになってしまったのです。これは明らかに、いずみホールのシリーズのおかげ。聴き慣れるにつれて、加速度的に面白くなるのがオルガン音楽です。そこで、声楽曲を交えたりせずに、4日間、オルガンだけが響く企画にしました。前半をバッハに至る系譜、後半をバッハとして、各回を構成しています。

18日(月)は、スウェーリンク、シャイト、ツァホウ、バッハ。演奏者は、フォーゲル、ラムル、レオンハルト、ブリツィ、国分桃代です。バッハはトリオ・ソナタ第4番、プレリュードとフーガイ短調BWV543など。19日(火)はトゥンダー、ブクステフーデ、バッハで、演奏者はフォックルールと小糸恵。バッハはプレリュードとフーガイ長調BWV536、ホ短調BWV548など。しかしブクステフーデも本当にいいと思います(プレリュードとフーガ嬰ヘ短調、シャコンヌホ短調など)。

いま小糸恵さんに注目しているのは、ヴォルフ先生の人選によるいずみホールのシリーズに、日本人として最初に選ばれた方であるからです。ローザンヌで活躍しておられるということで、私もまったく知りませんでした。CDを聴くと、すごいですよ。コンサートは、来年の3月です。

20日(水)は、パッヘルベル、ラインケン、シュトルンク、グリニー(←フランス人ですが)、バッハ。演奏は椎名雄一郎、レオンハルト、イゾワール、フォーゲル。バッハの曲目は《ピエス・ドルグ》BWV572です。

21日(木)はオール・バッハで、ヴィヴァルディのコンチェルト編曲を2つ、アルビノーニのコンチェルト編曲、最後にバッハの《トッカータ、アダージョとフーガ》BWV564。ギエルミ圧巻の演奏で構成しました。

オルガン曲が好きになると、バロックの価値観は倍加します。その一助になることを願っています。

ドイツ行き迫る2012年06月04日 23時37分00秒

5月に体調を崩したこともあり、ドイツ行きになかなか気乗りがしなかった私ですが、ここへ来て、エンジンがかかってきました。行く前に済ますべきことがたくさんあるのは、現役時代とそう変わらず。日曜、月曜と集中して作業し、ほぼ安全圏に漕ぎ着けました。

パソコンをもっていって更新するか、しばらく閉じて身軽で旅行するか迷っていたのですが、諸事の連絡等にもパソコンが必要ですので、ドイツ通信も行うことにしました。そのためにと、デジカメを購入。木曜日に出発します。

面白い通信を待ってるよ、とおっしゃるあなた。私のドイツ通信に皆さんがどんなことを期待されるかは、わかっております。コインロッカーの鍵がどうしても開かずに途方に暮れる、といった話題を、皆さん、お好みのようなのです。しかし私も有事に備える慎重な性格の人間に成長していますので、ご要望にはお応えできそうもありません。

ガーディナー2003年ライヴの《ヨハネ受難曲》をかけながら書いています。いま、〈溶けて流れよ〉のアリア。すばらしいなあ。彼は自分のレーベルを立ちあげているので、輸入盤を探さないと、新録音に接することができないのですよね。もったいないことです。

小銭2012年06月06日 23時20分29秒

渡独前最後の仕事は、「古楽の楽しみ」の録音。原宿でJRを降り、昼食に入りました。カレー屋です。

注文してから気づいたのですが、財布がない。持たずに出てきたようです。いまはスイカ1枚あれば都内までどんどん来てしまうので、財布を忘れても気が付かないのです。

淡々と記述していますが、あわてました。初めてのお店でじつは持ち合わせがない、となるのは最悪。カバンの中を調べましたが、よく入ったままになっている封筒入りの紙幣は、全部使い積みで見つかりません。今日は名刺もないし、すっかり困ってしまいました。

繰り返し探す内、カバンの中に、小銭があるのを発見。全部集めてみたら、なんと、1170円になったのです。カレーは900円なので、270円残して支払うことができました。良かった。悪いツキを使ったので、収録は順調にいきました。もちろん、当初予定していた床屋は諦め、何も買わずに帰宅しました。

夜はスピーチ原稿の完成に励み、ひととおり旅行準備を済ませたところです。今はネットでチェックインができるのですね。じつに便利。妙に荷物が少なく、何か忘れているのではないかと心配です。

ようやく更新2012年06月11日 06時37分39秒

有事に備える、慎重な性格の私。定年とはいえ日本との連絡は切らせませんから、三重の通信方法を用意しました。携帯電話、パソコン、スマホです。セーフティネットの構築とは、こういう発想を言うのだと思います。

携帯電話は、空港で海外仕様に設定していただき、完璧。スマホも同様です。しかし、伏兵はあるものですね。充電器を忘れていた。このため携帯は、ドイツ入国後まもなく、使えなくてなってしまいました。

もちろんあわてません。パソコンがあるからです。しかもホテルには、高速の無線ランが備えられています。立ち上げればすぐつながる、スグレものであるとのこと。

しかしこの無線ランが、つながらないのです。万策尽きてホテルに相談すると、機能の提供元の電話番号を示し、ここに相談しろという。これはダメだということでパソコンは諦め、スマホで通信することにしました。スマホなら、パソコンと携帯電話の機能を兼ねられるからです。

スマホは、充電から始めなくてはなりません。ところが現地方式の奥まったソケットにプラグが届かず、これで2日を浪費。やっと正しい変換器をゲットし、充電を開始しました。しかし起動と終了の間をループするばかりで、一向に充電できません。

何かないかと荷物を物色していたら、充電用のコードがもうひとつあることに気付きました。よく見るとスマホ用、試していたのはデジカメ用であったのです。

ようやく充電が始まり、やっと更新できるようになりました。次は、嵐の日々をご案内いたします。

ドイツ旅行記(1)--快適なフライト2012年06月17日 23時50分29秒

たいへんお待たせしました。帰国しましたので、連載を開始します。

今回の渡独で、画期的なことがひとつあります。それはこれが、生まれて初めての、自費によるビジネス・クラスの旅行だったことです。

自費でないビジネス・クラスのフライトは過去に2度経験したことがあります。最初の時には大いに舞い上がって吹聴し、『穴(ANA)の糸』なる小説の主人公にしていただきました。ビジネスとエコノミーの違いは本質的にメンタルなものだ、というのが、私の主張です。エコノミーの場合には、すし詰めの空間でサービスをしてくださるアテンダントに、「忙しいのにすみません」という、上目遣いの対応になってしまう。しかしビジネスであれば、「自分は客である」という自信を持った対応をすることができる。それが旅行の快適さを大きく左右する、というのが、私の持論なのです。

あるときその持論を、学生たちに対してとうとうと述べていました。君たちはビジネスに乗ったことないだろ、と当たり前の質問を投げかけたところ、ある女子学生が、「航空会社の都合でファースト・クラスに乗りました」と言ったのです。白けましたね、私は。理不尽なことだと思います。私も飛行機にファースト・クラスが存在することは知っていますが、そのことをなるべく忘れようとして、ビジネス・クラスを讃えているのだからです。

ともあれ、ANAミュンヘン行きのビジネス・クラスに、胸を張って搭乗。やや引け目を感じるのは、マイルがゼロであることです。迎える側はどのお客がマイルの溜まった常連かをすでに把握している、という風説に接していましたので。

ビジネス、やっぱりいいですよ。いきなり振舞われるシャンパン、選択肢の多いお酒、充実した食事、幅広いスペースと高機能の座席。ひとつひとつ喜びをもって受け止めましたが、そのたびに、エコノミー席の状況が気になります。もちろん、なるべく差をつけて欲しいと思っているわけです。

12時間のことですから、ここは節約して、という価値観も、十分にあり得ると思います。帰りにはもう行きほどの感動はありませんでしたが、それでも水平に寝られるスペースはありがたく、ゆっくり睡眠を取ることができました。

ミュンヘンで乗り継ぎ、ドレスデン空港で降りて、新市街のホテルへ。まだ深夜ではありませんでしたので、旅の前半に同行されるすざかバッハの会の幹部の方々とご一緒に、旧市街を散策しました。もちろん、翌日のオブリゲーション(祝辞を述べる)を気にしながらです。

ドイツ旅行記(2)--鈴木さんに祝辞2012年06月18日 23時35分31秒

宿泊地ドレスデンからライプツィヒへは、1時間ちょっとかかります。見本市が売り物の商業都市であるためか、来るたびににぎわいを増すのが、ライプツィヒ。7日からバッハ祭が始まっていますので、あちこちに垂れ幕があり、活気があります。


聖トーマス教会にたどり着くと、向かいのレストランからヴォルフ先生が飛び出してこられ、ご挨拶。教会に入ると、なんと《マタイ受難曲》の最終合唱曲が流れてきました。丈高い空間に幾重にも反響して届いてくる響きは美しく、同行の方々が感激。鈴木雅明さんとバッハ・コレギウム・ジャパンが、リハーサルをしていたのです。そのこと自体、大したものだと思います。

今が盛りの珍味、シュパルゲル(白アスパラガス)を食べ、バッハ博物館を覗きました。バッハ所蔵の聖書、トーマス学校関連の文書など新たに発見された資料を加えた展示はさすがで、見応えがあります。私は閲覧もそこそこに、旧市庁舎へ。この建物、ご存知ですか?広場の縁に立つ歴史的な建物で、2階が、コンサートやイベントの会場になっています。クイケン兄弟の《音楽の捧げもの》DVDは、ここで録画されたものです。

会場では、8日15:00から始まる鈴木さんの受賞式の準備が進み、人が集まってきていました。2003年から始まったライプツィヒ市提供のこのメダル、過去の受賞者は、レオンハルト、リリング、ガーディナー、コープマン、アーノンクール、マックス、ベルニウス、ヘレヴェッヘ、ブロムシュテット。東洋/日本からの受賞者は、もちろん鈴木さんが最初です。内外の報道陣がすごく、この賞の権威を裏付けています。

「バロッキアーナ」という小アンサンブルの奏楽で、式は始まりました。ここでサックバットを担当している和田健太郎さんの演奏がみごと。声楽とともに歌い合い、曲の内側に入り込んでいるのです。

いろいろな方がスピーチされるのかと思ったら、市長の挨拶のあとはすぐ私の祝辞になっています。きわめて重い役割であることがわかりました。市長(ブルクハルト・ユング氏)は長身の美男子で、知性と社交性にあふれた挨拶。これでは太刀打ちのしようがありませんが、私もネイティヴの方の協力をいただいて準備をしっかりしておきましたので、それほど緊張せずに、スピーチに立つことができました。


私がお話ししたのは、次のようなことです。鈴木さんが最初の非ヨーロッパ人として受賞したことは、バッハの音楽のもつ普遍性の証明であること。鈴木さんはバッハと同質の「学識ある音楽家」(ヴォルフ氏)であり、その意味で「日本のバッハ」と呼ぶにふさわしいこと。日本人の伝統的な感性は本来バッハの音楽とは距離があり、キリスト教を信仰している人もわずかではあるが、それでも日本人は宗教性、霊性への豊かな感受性からバッハを尊敬し、その受容に努力を払ってきたこと。その流れの上で、鈴木さんはまさに待望されたバッハ・スペシャリストであること。本当に数多い日本のバッハ愛好家のためにも、このような形であらわれた本場との交流を大切にしたいこと。などなどです。

何はともあれ、堂々とやるように務めました。言葉が届いている手応えはもちながら話しましたが、鈴木さんと握手して席についてもなお拍手が続いていたので、自分なりに結果は出せた、と安堵しました。そのあとにヴォルフ先生の賞状朗読とメダルの授与、鈴木さんのスピーチ、奏楽と続いて、1時間余りの式は終了しました。解散後はドイツ大使主催のレセプション、ヴォルフ先生を交えての食事会となり、夜の8時から、バッハ・コレギウム・ジャパンによる《マタイ受難曲》演奏会が、聖トーマス教会で行われました。

ドイツの方々、またドイツ在住の方々から「すばらしいスピーチだった」とずいぶん言っていただきました。しかし喜んでばかりもいられないのが、この手の賛辞です。なぜなら、そこには私のドイツ語力に対する過大評価が含まれているからです。準備して初めてできることは、準備なしではなしえません。しかし、「なあんだ」と思われることは、避けたいわけです。

鈴木さんの受賞は慶賀の極みですが、それは大きな重荷を背負われたことでもあります。今後は、聴き手からの要求も厳しく、欲張りになってくることでしょう。この機会に自分の音楽をもう一度見直され、内側から喜びの湧きあがるような、柔軟で新鮮なアプローチを育てていただけるよう、お願いします。

ドイツ旅行記(3)--マイセン探訪2012年06月19日 23時33分57秒

1727/29年の初稿によって演奏された、BCJの《マタイ受難曲》。終わったのは11時でした。開始が8時過ぎでしたので、テンポがひじょうに速ければこそ、この時間に終わったのです。しかしドレスデン行きの最終列車は、もう出てしまっていました。そこでタクシーで帰りましたが、遠距離の割に、160ユーロは安いですね。円高の恩恵でもあります。しかし運転手さんがアウトバーンを飛ばしに飛ばしたため、トラックを追い越すごとに冷や汗をかきました。180キロぐらい出ていたでしょうか。

9日は、近郊のマイセンを探訪。もちろん陶器の博物館からです。当地のものばかりでなく、日本や中国を含む世界の陶器が集められており、美しくも充実したコレクションでした。しかし、ビジネス・クラスに大枚をはたいてやってきた私に、購入のゆとりのあろうはずはありません。こうした陶器文化もみな、バッハに対マルシャン勝利の賞金を与えた選帝侯、フリードリヒ・アウグスト1世に発するんですよね。

博物館を出て、大聖堂を目指すルートを散策しました。これが、すばらしいのです。閑静で落ち着いていて、ドイツの小都市の魅力が一杯。小高いところにある大聖堂の手前、見晴らしのよいレストランで昼食にしました。からりとした好天では、室内で食べる人はいません。庭で景色を楽しみながら食べるのが、こちらの流儀です。


全員大満足でドレスデンに戻りました。同行の方々は、国立歌劇場でオペラ鑑賞(ドニゼッティの《愛の妙薬》)。私は聖ニコライ教会のコンサートを聴くために、ライプツィヒに向かいました。トン・コープマンがアムステルダム・バロックを率いて、バッハの管弦楽組曲とカンタータを演奏するのです。

ドイツ旅行記(4)--2つのコンサート2012年06月20日 23時00分58秒

ライプツィヒ・バッハ祭6月9日のハイライトは、聖ニコライ教会で20:00から始まるコンサートでした。ニコライ教会は《ヨハネ受難曲》を初演したところで、バッハのカンタータ演奏においてはトーマス教会以上の重要性をもっていた教会です。


コープマンの出演が人気を呼び、チケットは発売と同時に売り切れたそうですが、私は、一抹の不安を感じていました。コープマンはいま一番活躍しているバッハ演奏家ですが、とにかく出来不出来がある。私が日本で聴いたコンサートは、あいにく全部不出来でした。優秀なオーケストラと合唱団を擁していますから、鍵盤のソロはともかく、指揮ならばそうなるはずはないのですが。

しかしこの日は、登場から闘志満々。さすがハイレベルの、生気にあふれた演奏でした。曲目は管弦楽組曲第1番ハ長調、カンタータの第51番、第199番、第202番というものでした。えっ、ソプラノのソロ・カンタータが3曲?と思われますよね。その通りで、3つの難曲をすべて、ドイツのソプラノ、ドロテー・ミールツが歌ったのです。若々しい魅力的な女性で、歌唱も輝きにあふれて完璧。こうしたプログラムで起用されるだけのことはあります。51番のトランペットも、たいしたもの。沸きに沸く会場をあとに、終電車でドレスデンに帰還。

翌10日は日曜日。午前中にゼンパー・オーパーで、ドレスデン・シュターツカペレのコンサートが組まれていました。大統領(←ドイツでは儀礼的な役割のために存在している)の主宰するチャリティで、国歌の吹奏、大統領とザクセン州知事のスピーチのある、晴れがましいコンサートです。曲目はブルックナーの第8交響曲で、指揮はクリスティアン・ティーレマン。じつに幸運なタイミングで、このコンサートに飛び込めました。


壮麗な演奏でしたね。ホルン、ワーグナー・チューバ、トロンボーンなど金管陣の厚みはすばらしく、ブルックナー・サウンドがホールを包んで圧巻。最後、各楽章の主題が同時的に結合されるクライマックスが訪れますよね。響き終わったあと、私は大きな拍手とブラボーの嵐が来ると思っていました。

ところが、演奏の余韻を噛みしめる静寂が、私の感覚では15秒ほど、訪れたのです。さすが熟した聴衆と、私は本当に感心しました。taiseiさんがヴィンシャーマンのコンサートに対して同じ感想を書かれていますが、やはりコンサートはこうあるべきいう確信を新たにしました。すぐ拍手したのではその時点で日常に戻ってしまいますが、余韻を楽しむ時間をもつことにより、すばらしい演奏を聴いた体験を、心に深く刻むことができるのです。皆さん、ぜひそうしていきませんか。