生家探訪2013年04月08日 22時06分55秒

7日(日)、東京春祭の《ニュルンベルクのマイスタージンガー》。キャストの人選が完璧と言いたいほどみごとでしたが、私がつくづく感心したのは、ベックメッサーに扮したアドリアン・エレート。2幕のセレナードでこれほど感動したのは初めてです。詳しくは、新聞批評に書きます。

帰宅したら疲れていて何もできず、今朝は早起きをして、授業準備。聖心女子大の初授業でした。今年は音楽室を使わせてもらえることになり、収容力の関係で、学生は抽選。阿弥陀ではなかったですが、こういうときは、神様にまかせるに限ります。学生の把握も行き届き、本当にやりやすくなりました。今日はモーツァルトの誕生、天才神話の形成について講義しました。

午後2時から目黒区の大岡山で予定があり(あらためてご案内します)、1時間、空白が生まれました。大岡山は私鉄がクロスするところですが、大井町線に乗ると3つ目に、荏原町という駅があります。そこに行ってみようと思い立ちました。なぜなら私は、そこで生まれたからです。もう50年は行っていないので、その場所が見つかるかどうかわかりませんが、身体に染みついているかもしれない記憶に、賭けることにしました。あ、私は4歳までそこに住んでいたのです。少年時代に、あと数回訪れたと思います。

荏原町は、鈍行だけが停まる小さな駅。右(南東)の方向に行くという感覚はあったので、商店街をずっと進んでいきました。半信半疑のままかなり歩いたところで、環七との立体交差に遭遇。そこを降りる古びた石段に記憶がありました。、降りて右へ。

幼時の記憶では、家のそばで国道が下りになり、そこから登りに転じて、遙か彼方に続いていた。気がついてみると、少し進んだところが、まさに下りになっているのです。しかし下りも登りも短い間で、遙か彼方どころではない。すると右に妙に急な石段があり、引き入れられるように登ってみました。昔は石垣の間の道で、蛇が出たりしたものですが、今は整備されて、穏やかな住宅街になっています。

ここが正しければ、生家は左側にあるはず。少し進んだところで、母の旧姓と同じ家を発見。当然立て直されていますが、おそらく私の生家だと思います。門を叩くことはせず、大岡山に戻りました。父が転勤となり、一家で、長野県の上山田(現・千曲市)に移住したのです。以上、日記代わりに。