《マタイ受難曲》の「変容アリア」2013年08月05日 18時12分01秒

朝日カルチャー新宿校で牛歩のごとく進めて来た《マタイ受難曲》講座、先週ようやく、第60曲のアルト・アリアに到達しました。第59曲の〈ああ、ゴルゴタ〉を受ける、2本のオーボエ・ダ・カッチャのついたアリアです。

名曲揃いのアルト・アリアの中でもこれが一番好き、ということはかつても書いたかと思いますが、研究を重ねるにつれてその思いが募り、準備の段階で、これを「変容アリアVerklärungsarie」と呼びたい、というアイデアが浮かびました。

シュトラウスの交響詩に、《死と変容》というのがありますね。昔は、《死と浄化》と訳されていました。この変容・浄化がVerklärungで、動詞がverklären。シェーンベルクの《浄められた夜》はその過去分詞を使っています(verklärte Nacht)。他動詞ですが、再帰動詞としても使われます。

ルター訳の聖書では、この言葉が、マタイ17.2と、マルコ9.2に、印象深く登場します。新共同訳でマタイの方を引用しますと、「六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた」という部分です。

「イエスの姿が目の前で変わり」という部分を、ルターは"Und er ward verklärt vor ihnen"と訳しました。ギリシャ語を受けてmetamorphosieren、ラテン語を受けてtransformierenとする手もあったかもしれませんが、ルターはドイツ語化(Verteutschung)にこだわり、verkrärenとしました。「変容を受ける」「浄化される」イメージがどのようなものであるかは、続く描写から明らかです。ちなみに、『ヨハネ福音書』では「栄光を受ける」という系列の言葉にやはりverkrärenを当てているのですが、これは考察から省きます。

リュッケルト詩によるシューマンの《献呈》に、この言葉が出てきますね。明らかに、聖書を踏まえた用法です。「君のまなざしは、僕を僕から浄化してくれた Dein Blick hat mich vor mir verklärt)の部分で、異名同音によるすばらしい転調の準備されるところです。(続く)

コメント

_ かみや ― 2013年08月10日 12時38分08秒

先生、er ward ではなく、er wurde では無いでしょうか?

_ I招聘教授 ― 2013年08月13日 00時50分25秒

かみやさん、ご指摘ありがとう。wardはwurdeの古形です。ルター訳の聖書では、現行のものでもwardのままのようです。

_ かみや ― 2013年08月14日 15時23分26秒

勉強になりました。ほんとうにドイツ語は難しいです。(苦笑

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