北海道3日間--ひとり旅行はむずかしい(1)2013年09月02日 09時15分13秒

おひまな方、私の北海道旅行にお付き合いください。便宜上「外国滞在」のカテゴリに入れましたが、もちろん北海道は日本です。「旅行記枠」ということでお許しを。

8月28日(水)。大きな積乱雲の中を激しく揺れながら、ANA飛行機は旭川空港に着陸しました。地上には、雨上がりで空気の澄んだ、気持ちのよい北海道が広がっています。バスで駅まで出て、さっそく旭川ラーメンを試食。

この時点で認識したのは、旭川という北海道第2の都会にはじつに飲食店が多く、文字通り軒を連ねていることでした。にもかかわらず、マッサージ、リラクゼーションのお店が(少なくとも中心街には)まったくないのは驚き。ラーメンは第1日の昼、第2日の朝(!)、第3日の夕方と、計3回食べました。

初めて、旭川ラーメンと札幌ラーメンの違いを知りました。味噌ラーメンを売りとする札幌に対して、旭川は醤油が伝統なのですね。函館が塩だそうです。お店が林立しているので選択が困りますが、やはり、初期から創業している歴史のあるお店に入るのが、地域のラーメンの概念を知る意味でも正解だというのが結論。「青葉」「梅光軒」どちらもおいしかったですが、今ネットを調べてみると、人気ランキングの2位、1位ですね。私の世代には、こうした中華そば風の醤油味が、結局いちばんです。

夕食までの時間に、何を見るか。ガイドを見ると、ページ数のほとんどを費やしている、突出した見所があります。私も大勢に順応して、そこに行くことにしました。目的地は、旭山動物園です。

この歳になってひとりで動物園では、哀愁漂ってしまうのでははいかとよほど思ったのですが、行ってみると、家族連れに混じって高齢者も多く、命旦夕に迫った車椅子の方も。人間は動物園に回帰するのか、動物からありがたい元気をもらえるのか、両方かもしれません。

この動物園の売りは、ホッキョクグマ、アザラシ、ヒグマなどなど、北の動物たちなのですね。動物たちへの愛の感じられる気の利いたプレゼンテーションを、多くの人が楽しんでいます。どんな動物にも雄と雌がいるという当たり前の事実が、とりわけ味わい深く感じられました。

北海道三日間~ひとり旅はむずかしい(2)2013年09月03日 08時40分45秒

さて、夕食をどうするか。私はどこにでももぐりこむほど度胸がありませんので、情報収集したり、道路を歩いたり戻ったり、迷走しばらく。三度も通り過ぎた料亭風のお寿司屋に、結局入ることに決めました。

カウンターの中央に座り、お刺身のおいしいところを、とお願いすると、サンマがある、との答え。「いいですねえ」。さらに知らない貝の名前が挙がり、それも「いいですねえ」。ホタテがある、ともおっしゃるので、いや今はいいです、と答えたのですが、珍しいほどいいホタテだ、とのことで、結局、サンマ1匹の上にホタテを含むお刺身の並んだ大皿が出てきました。

相当あるなあ、と思って一生懸命食べていると、「お刺身の後はなにか召し上がりますか」との質問。まだ半分にも達していませんので、「食べ終わってから考えます」と返答しました。

わかってきたのは、このマスターが、かなりせっかちな方だということです。カウンターが司令塔になっていて、いろいろな方向に、指令が飛ばされる。「差し替えろ」「戻せ」という言葉が頻出するところからみると、お座敷のコース料理をどんどん回転させろ、と言っているようです。

しかし、呼びかけられた人たちから返事が聞こえないのですね。カウンターにやってきた女性に同じ指示が発せられたところ、「おっしゃる意味がわかりません」「いろいろ考えずにただやればいいんだ」という、仰天の対話が。進度に合わせて料理を出したい現場の人たちが、抵抗しているようなのです。

ようやく大皿のお刺身を食べ終わったタイミングで、年長の女性が、「お食事はどうされますか」と尋ねてきました。マスターは電話中でしたので、「食べたいのはやまやまなんですが、雰囲気が・・。マスターがいらいらしておられるじゃありませんか」と言うと、女性は「申し訳ありません」と、深くお辞儀。私も気の毒になり、にぎりを数品頼みました。

私がいいたいのはお店がどうこうということではなく、ひとりの食事ではお店選びがとてもむずかしい、ということです。お相手がいておしゃべりしていれば、以上のようなことも気にならなかったことでしょう。しかしカウンターの中央にひとりで陣取っていると、いろいろなことが手に取るようにわかり、おいしいものもおいしく食べられない、という状況が生まれます。気持ちよく飲み食いできる店、という条件がとても重要になるわけです。

しかし「飲む」段階で、もっと大きなトラブルが待っていました。あ、旭川のせいでは絶対ないですよ。個人の問題です。

北海道三日間--ひとり旅はむずかしい(3)2013年09月04日 08時28分50秒

ホテルに戻り、バーでワインを飲もうと思い立ちました。当然、カウンター席です(笑)。話し相手がいませんので、今計画中のカンタータのコンサートの構想でも練ろう、と思って出かけました。

席は6分ほど埋まっていたので、一番左にいる私と同年輩の女性からひとつ置いた席に腰を掛けました。この選択が、致命傷でした。

ひとりで来ているその女性、バーテンの男性とさかんに話しています。彼女と私、バーテンが正三角形の配置になっており、彼女の声もよく透るので、すべての話が克明に聞こえてくる。カンタータの構想どころか、その話を聞きながら飲む、という状況になってしまいました。

当然話の内容が問題になります。要するに自分の身の回りの話で、他人にはまったく興味がもてない。しかるに人のよさそうなバーテン氏は、じつにこまめに相槌を打つのですね。こういう仕事もたいへんだなあと思いながら、女性が帰るのを待ちました。

たまにバーテン氏が席を外すと、一瞬の静寂が訪れます。戻ってくると、待ってましたとばかりに、話の続き。ワインの2杯めに入り、かなり腹が立って来たころ、彼女もおかわりをして、話が続くことになりました。毎年この時期に来られる、常連客のようです。

私は、このあと自分が取った行動への深い反省のもとに、この時点でどうすべきであったか、考えます。もっとも穏当な選択肢は、ワインをあきらめて店を出る、というもの。でももう深夜ですから、他に行くところがありません。

次善の選択肢は、カウンターも空いてきていたので、もっとも離れたところに移る、というもの。そうすべきだったな、と思います。考えてみると、さらによい選択肢もあった。心の広い人、ダヴィデヒデさんのような方ならおできになるでしょうが、私にはとても取れない、ウルトラCの選択肢。それは、自分も話に加わってしまう、というものです。三方一両得の選択肢ですが、皆さん、お取りになれますか。

ワインが進むに連れ不寛容になった私は、2杯で終えようと決意しました。加速して飲み終えるちょうどそのタイミングで、「おかわりはいかがですか」と尋ねられ、手拍子で言ってしまった言葉は、「座る席を間違えた!」どいうものです(赤面)。

お勘定をしていると、カウンター席に、「ナニ、今の男!」という叫びが響くのが聞こえました。なだめるのがたいへんだったと思うので、お店には悪いことをしました。私のような一見の客より、常連さんの方が大切であることは間違いありませんから(合掌)。

このケースに当てはまるかどうかわかりませんが、常連客をお店が喜ばないケースも、よくあるように思います。過去のお店で見聞したいくつかの場面が、自然に心に浮かびました。

北海道三日間--ひとり旅はむずかしい(4)2013年09月05日 16時15分00秒

旭川からのびやかな道央を列車で走り、富良野へ。もうラベンダーの季節ではないですが、楽しみなのはカレーです。富良野はカレーが名物で、いろいろなカレーが食べられるというのです。

駅からホテルへの途中でカレーを食べよう、と思って歩き始めました。お目当てのお店は意外な行列であきらめ、川をわたってスキー場地区へ。ところが本日休業、準備中などで、歩けども歩けども、カレーに到達しません。汗びっしょり、空腹をかかえて歩くうち、森林公園のようなところに入ってきました。そこに喫茶アトリエ「あかなら」というお店を発見。だいぶ時間も過ぎていましたから、カレーもビールもあきらめて、ここに入りました。


山小屋風の造りの内部はしゃれていて、芸術性を感じさせる空間。とても温かく迎えられて、嬉しくなってしまいました。カウンター席では、品のいいママさん(?)を中心に、穏やかな会話が交わされています。どうやらイベントの相談がされているようで、「チェンバロ」という言葉も聞こえてくる。スパゲッティとウーロン茶の昼食は想定外でもありましたが、驚いたのは、なんとママさん(?)が、地元のスイカをサービスしてくださったことです。おいしさは比類がなく、「生涯最高のスイカ」という言葉で御礼申し上げました。

なごんだ気持ちでお店を出ると、ちょうどロープウェイ行きのバスが来る時間。ロープウェイに乗り、最終便を気にしつつ展望台に登ってみると、富良野の向こうに十勝岳連峰の望める、すばらしい展望が広がっていました。


街へ戻り、ようやくカレーを食べ、タクシーで「富良野演劇工場」へ。コーヒーを飲みながら開演を待っていると、「さきほどの方ではありませんか?」という声がします。振り向くと、スイカをくださった妙齢の女性。名刺をいただいてみると、地域の文化活動を牽引しておられる方なのですね。そうか、行列も本日休業も富良野文化への道筋だったのだなあと思い、とても嬉しくなりました。(続く)

北海道三日間~ひとり旅はむずかしい(5)2013年09月07日 09時14分43秒

大自然の中に立つ「富良野演劇工場」は倉本聰さんの理想を実現した劇場だそうで、舞台と舞台裏にスペースを惜しみなく使い、しかしまことに簡素に建てられた木造建築です。ちょっと、バイロイト祝祭劇場を思わせる。そこで上演されたのは、矢代静一作の一人芝居『弥々』。いくつかの劇場のネットワークで行われる公演の第1回でした。

弥々というのは良寛の初恋の女性で、いったんは彼を拒否し、すさんだ生活を送りますが、その過程で、良寛への愛と尊敬を深めていく。マグダラのマリアのイメージが、背後にあるそうです。独演した毬谷友子さんの演技のすばらしさは、言葉もないほど。陰惨な場面もからりとした明るさで処理されるのがよく、女の一生が、スピーディーに綴られてゆきます。ベートーヴェン《悲愴ソナタ》の第2楽章が二度にわたって響き、深い慰安の効果を作り出していました。人生、愛、男女、理想、現実、あこがれ、真実--などなど、いろいろなことと向き合い続ける1時間半でした。

演劇はいいなあという思いが、人生のここに至って、加速しています。ただ、演劇を1つ観ることはコンサートを1つ聴かないということですから、音楽の世界における責任達成度が下がることも事実。しかし長いこと音楽音楽で費やしてきた人生が最後に他芸術に開かれて終わるというのも、個人的には悪くないなと思っています。また、芸術の本質を考えた場合、関係者がそれぞれのジャンルのことで手一杯という状況も、理想的ではないように思われます。

31日(金)。タクシーを頼んで十勝岳を周遊するというプランを考えましたが、雨模様であきらめ、小樽に海を見にいきました。地図で見ると留萌が近いし、1本で網走という可能性もなくはない。しかし乗り継ぎの便を考えて、小樽再訪を選びました(お寿司付き)。帰路札幌で降り、大通公園を往復。やはり大通公園にちょっとだけでも身を置かないと、北海道に来た気がしません。旭川からの飛行機夜の便で、羽田着。一気に気温が上がり、汗が噴き出してきました(完)。

今月の「古楽の楽しみ」2013年09月08日 08時26分34秒

ぎりぎりのご案内になってしまいました。今回は、詩篇曲(部分への作曲も含む)の特集です。番組のために集めているCDに詩篇曲がたくさん入っているので、じゃあ特集しよう、ということになりました。力作が多く、当時の礼拝および教会音楽における詩篇の重要性を痛感します。

9日(月)。シュッツの第19篇〈天は神の栄光を語り〉(Geistliche Chormusikから)を冒頭に置きましたが、これがすばらしい。ラーデマンの指揮です。シュッツからはもうひとつ、Symphoniae sacrae第3巻に含まれる第13篇。次にシャインで第39篇、スウェーリンクのオルガン曲をはさんで、ハマーシュミットの第8篇(←バッハ《ヨハネ受難曲》冒頭合唱曲のもとになったもの)。隠れた名曲と呼びたいのがフェルチュの第1篇。最後にクーナウの第31篇です。

10日(火)。シャイトの第66篇で始め、ドゥリヒウスの第84篇、第96篇と第93篇を使ってのブクステフーデとパッヘルベルの比較、シェレの第51篇と来て、最後はカイザーの《詩篇第62篇について》という作品で締めました。

11日(水)は、百番台。ここには夕べの祈り(晩課)を構成する詩篇が集中しているので、《涙とともに種蒔く者は》をシュッツの2つの作曲で聴いた後は、ビーバー、ファッシュ、トゥンダー、クニュプファーの作品によって、晩課の流れを作ってみました。〈ディクシト・ドミヌス〉〈ラウダーテ・プエリ〉等々の曲たちです。

12日(木)は、バッハ。詩篇テキストによるカンタータ第196番と第131番を枠組みとし、オルガン曲〈深き淵より〉とモテット〈主をたたえよ、すべての異邦人よ〉(偽作?)で構成しました。演奏は196がアラルコン、131がヘンゲルブロックです。

有名曲が少ないので渋い週になりましたが、内容は多彩にして豊かです。どうぞよろしく。

ビクトリア、歌舞伎2013年09月11日 11時01分53秒

北海道から帰り、《ゴルトベルク変奏曲》の話をした土曜日を挟んで、埼玉県合唱コンクール第3日へ(9月1日)。いくつかの部門に分かれていましたが、本当にようやく、ある程度のゆとりをもって対処できるようになりました。

課題曲は混声、男声、女声各4曲ずつあり、傾向の違う曲が選ばれています。必然的に何度も聴くことになりますが、やはり、光り輝く名曲がしっかり歌われると、うれしくなります。

すばらしいのは、混声の部の最初にあるビクトリアのO magnum mysterium。激戦となった大学職場一般/室内合唱の部では、1位、2位(私の順位=全体の順位)の団体が、どちらもこの曲に、抜きんでた合唱を聴かせてくれました。しかし、アプローチはまったく逆。一方はつややかで磨き抜かれたハーモニー(スカートラ・ディ・ヴォーチェ)、もう一方は、テキストへの共感を湧き上がらせる熱い演奏(あべ犬東)。どちらも、今なお記憶が鮮烈です。

3日(火)は、津の三重県文化会館に、松竹大歌舞伎を見に行きました。中村吉右衛門を総帥とする播磨屋一門の出演で、『連獅子』など。

歌舞伎では、役者が花道を退場するときに様式が発動されますよね。注目と喝采の中で、役者は姿を消す。こういう舞台芸術って、世界にどのぐらいあるでしょうか。ほとんどは、退場者は視線から外れて、静かにいなくなると思う。ここに、重要な価値観があるように思えてなりません。長幼の序、老の尊重、異界との接続などなど、いろいろな連想が浮かびます。勉強すると面白そう。

津の夜は静かですね。開いているお店もほんとうにわずか。翌日は午後の仕事に間に合わせるよう早起きし、海に行ってみました。海が近いと、どうしても行ってみなくなります。台風の余波で風が強く、海は荒れて、厳粛な趣を漂わせていました。本来なら見えるはずの知多半島も見えず、さいはての地に来たような気持ちになりました。残念ながら、写真を失敗。

弱音の美2013年09月13日 10時03分15秒

5日(木)はいずみホールで、今年度のモーツァルト企画を導入するレクチャー・コンサートを開催しました。今年度はザルツブルク時代の終わり、モーツァルト20~25歳の作品に「克服」と題して光を当てますので、そこに至るまでのモーツァルトの歩みを、「天才の学習」と題してたどるのが目的です。

と書くといかにも私が企画したようですが、選曲、構成、演奏はすべて久元祐子さんによるものです。久元さんの負担を軽減するために、私が説明と司会を買って出たにすぎないのですが、久元さんのおかげ、またお客様のおかげで、たいへん楽しく進めることができました。

舞台上に左から、チェンバロ、フォルテピアノ、グランドピアノ(ベーゼンドルファー)が勢揃い。いずれも、いずみホールの所有する楽器です。モーツァルトの鍵盤音楽活動はチェンバロで始まり、まさにザルツブルク時代後期に、フォルテピアノとの出会いによって大きく展開しました。その響きを実感しながら、現代ピアノとの比較も行おうという、入場無料とは思えないぜいたく企画です(笑)。さすがに、スタインウェイとの比較は諦めましたが・・・。

後半に登場したフォルテピアノは、ベートーヴェン世代の名製作者、ナネッテ・シュトライヒャーによるオリジナル(!)。山本宣夫さんが修復に修復を重ねて実用に供しているものです。今回その音色がいままでになく心に響いたのは、久元さんが楽器への愛を込めて演奏されていたからに違いありません。

何より、モデラート・ペダル(弦とハンマーの間に布を挟んで減音する)の効果が美しく、耳を澄まして聴き惚れてしまいました。弱音がはっきりした音色の変化を伴って、耳を引き寄せるのです。いずみホールの楽器には、このペダルが2つ(!)。フォルテピアノはチェンバロにできない音の強弱を表現に導入するために発達したわけですが、その真価は弱音をこのように傾聴させるためにあったのだなあ、と思いました。

書き忘れたこと+幸福な体験2013年09月15日 10時37分59秒

そうそう、書き忘れたことをひとつ。

いずみホールでのコンサートの後、演奏者、マネージャー、なぜかまさお君、の4人で、大阪は北新地に、打ち上げにでかけました。いつぞや、大阪で一番おいしいものを食べられるところ、とご紹介した、カジュアル・スナックのMMMです。快活に迎えてくれる、気持ちのいいお店です。

私がブログで紹介したことにママさんがとても感謝されていて、訪れるたびに、「美人のママさんがすてきだ」と書いてくれて嬉しかった、とおっしゃいます。「飲食」のカテゴリで取り上げましたので、ママさんにはまったく触れなかったのですが、何かの錯覚で、そう思われているようなのです。

この日も、フツーなようでいて凝っている、B級のようでとびきりの珍味をいただきました。レストランとしても使える、本当にいいお店です。お薦めします。

あ、書き忘れるところでした。ママさんは年も若く快活な、フランクでキュートな、とてもすてきな方です。お薦めします。

9月上旬には、サントリー芸術財団のサマーフェルティバルが開催されていました。今年から始まった「ザ・プロデューサー・シリーズ」、トップバッターは池辺晋一郎さんで、さすがに多彩な企画を提供されました。私は2つしか聴けず申し訳なかったのですが、6日(金)にブルーローズで披露された〈インプロヴィゼーション×ダンス〉は興味深かったですね。

邦楽、民俗音楽、ジャズなど世界の多分野からつわもののソリストが集合し、小一時間に及ぶ合同の即興演奏を行い、後半(「大自然―畏れと共生、そして美」)ではそこにダンスがつく。乗せられているうちに、音楽・芸術を通じての世界の協調と和合が、ひとしきり実現したような思いにとらわれました。幸福な体験です。

国際化の証明2013年09月18日 10時38分15秒

日にちがどんどん過ぎ、いくつかのイベントについてご報告やお礼をするタイミングを失ってしまいました。松本には8日の「バッハの会」に続いて、16日に演劇を観にいくことになっていたのですが、台風で特急が全面運休に。また出直したいと思います。

その間に、広島東洋カープが怒濤の勢いで、7連勝。クライマックス・システムというのは妙な制度だと思いますが、後半を盛り上げることは確かですね。今の勢いなら、阪神を破って巨人と対決、ということになるかもしれません。パ・リーグは、西武にもうひとがんばりしてほしいです。

バレンティンのホームラン記録には、なかなか感動しました。私も長くプロ野球を見ていますから、王のかつての記録に外国人選手が挑戦するたびにアンチ機運が盛り上がり四球の連続、というシーンを、いくつも覚えています。それに比べると、バレンティンが投手に勝負され、記録をみんなに祝福されている姿は、隔世の感がある。まさにこれは、日本が国際化されたことの証明です。国際化の壁ということもさかんに言われますが、日本人が国籍を問わず外国人に慣れ、妙な偏見から格段に解放されていることは間違いないと、日頃から実感しています。ただ野球の選手、何年のいる人は、もう少し日本語ができるようになってもいいですね。せめて力士の半分ぐらいは。

去年からずっとやってきた朝日カルチャー新宿校の「マタイ受難曲徹底研究」講座、今日が最後です。昨夜は最終合唱曲を細かく分析し、なるほどこうなっているのか、と膝を打ちましたが、いまごろそんなことを言っていてはいけませんね(笑)。今日はリヒターとフィッシャー、究極の比較を行います。終了後会場を飛び出し、いずみホールに向かいます。