弱音の美 ― 2013年09月13日 10時03分15秒
5日(木)はいずみホールで、今年度のモーツァルト企画を導入するレクチャー・コンサートを開催しました。今年度はザルツブルク時代の終わり、モーツァルト20~25歳の作品に「克服」と題して光を当てますので、そこに至るまでのモーツァルトの歩みを、「天才の学習」と題してたどるのが目的です。
と書くといかにも私が企画したようですが、選曲、構成、演奏はすべて久元祐子さんによるものです。久元さんの負担を軽減するために、私が説明と司会を買って出たにすぎないのですが、久元さんのおかげ、またお客様のおかげで、たいへん楽しく進めることができました。
舞台上に左から、チェンバロ、フォルテピアノ、グランドピアノ(ベーゼンドルファー)が勢揃い。いずれも、いずみホールの所有する楽器です。モーツァルトの鍵盤音楽活動はチェンバロで始まり、まさにザルツブルク時代後期に、フォルテピアノとの出会いによって大きく展開しました。その響きを実感しながら、現代ピアノとの比較も行おうという、入場無料とは思えないぜいたく企画です(笑)。さすがに、スタインウェイとの比較は諦めましたが・・・。
後半に登場したフォルテピアノは、ベートーヴェン世代の名製作者、ナネッテ・シュトライヒャーによるオリジナル(!)。山本宣夫さんが修復に修復を重ねて実用に供しているものです。今回その音色がいままでになく心に響いたのは、久元さんが楽器への愛を込めて演奏されていたからに違いありません。
何より、モデラート・ペダル(弦とハンマーの間に布を挟んで減音する)の効果が美しく、耳を澄まして聴き惚れてしまいました。弱音がはっきりした音色の変化を伴って、耳を引き寄せるのです。いずみホールの楽器には、このペダルが2つ(!)。フォルテピアノはチェンバロにできない音の強弱を表現に導入するために発達したわけですが、その真価は弱音をこのように傾聴させるためにあったのだなあ、と思いました。
と書くといかにも私が企画したようですが、選曲、構成、演奏はすべて久元祐子さんによるものです。久元さんの負担を軽減するために、私が説明と司会を買って出たにすぎないのですが、久元さんのおかげ、またお客様のおかげで、たいへん楽しく進めることができました。
舞台上に左から、チェンバロ、フォルテピアノ、グランドピアノ(ベーゼンドルファー)が勢揃い。いずれも、いずみホールの所有する楽器です。モーツァルトの鍵盤音楽活動はチェンバロで始まり、まさにザルツブルク時代後期に、フォルテピアノとの出会いによって大きく展開しました。その響きを実感しながら、現代ピアノとの比較も行おうという、入場無料とは思えないぜいたく企画です(笑)。さすがに、スタインウェイとの比較は諦めましたが・・・。
後半に登場したフォルテピアノは、ベートーヴェン世代の名製作者、ナネッテ・シュトライヒャーによるオリジナル(!)。山本宣夫さんが修復に修復を重ねて実用に供しているものです。今回その音色がいままでになく心に響いたのは、久元さんが楽器への愛を込めて演奏されていたからに違いありません。
何より、モデラート・ペダル(弦とハンマーの間に布を挟んで減音する)の効果が美しく、耳を澄まして聴き惚れてしまいました。弱音がはっきりした音色の変化を伴って、耳を引き寄せるのです。いずみホールの楽器には、このペダルが2つ(!)。フォルテピアノはチェンバロにできない音の強弱を表現に導入するために発達したわけですが、その真価は弱音をこのように傾聴させるためにあったのだなあ、と思いました。
コメント
_ hajime ― 2013年09月15日 18時35分24秒
_ I招聘教授 ― 2013年09月15日 22時18分27秒
高橋さん、いつもありがとうございます。名称、たしかに歴史的には「ピアノフォルテ」というべきですよね。その方が、音の効果にも合います。ただ「フォルテピアノ」即古楽器、という慣用が定着しているようなので、私はそうしています。思えば奇妙な慣用です。
_ taisei ― 2013年09月27日 14時17分33秒
9月5~10にフィンランド・ラハティでの「シベリウスフェスティバル」で北欧音楽とアイノラ等北欧の自然と街をを堪能し、9月の15日に丹後ウルトラマラソン100kmを台風の近づく風雨の中、ランニングを文字通り「堪能」し、さて、今年最後の楽しみをといずみホールのコンサートを物色していたら、なんと12月の1日(京都バッハ合唱団)と15日(大阪コレギウムムジクム)にロ短調ミサのコンサートが!う~むどっちを見る(聴く)べきか?
やっぱり両方聴いて聞き比べですかねぇ~
やっぱり両方聴いて聞き比べですかねぇ~
_ taisei ― 2013年12月02日 12時16分32秒
昨日、その京都バッハ合唱団のミサ曲ロ短調を聴いて来ました。いずみホールぐらいが丁度良いのでしょう。楷書体のかっちりした良い演奏でした。当日のパンフレットに詳細な曲目解説があり、スコアも持って行ってたこともあり聴いて楽しむよりも学習状態で、譜面を追っている内にあっという間に終わってしまいました。隣の席の人が「それにしても『大曲』やなぁ」と言ってましたが全くそんな気がせず、むしろ親しみやすい曲が次々出てきて愛おしんでる間に終わった感じ。あの演奏の「楷書」の感じは日本人の演奏だからでしょうか?トーマス教会で聴いたのよりはこっちの方が確かにレベルはきっと上手だと思うのですが、楽しんでる感じというか「我らの歌だ」感はやはり彼らの方が上の様です。さて今年最後のロ短調聴き納め15日:大阪コレギウムムジクムはどんな演奏か、楽しみです。
ー最近ヨハネに興味が移りつつあるtaisei
ー最近ヨハネに興味が移りつつあるtaisei
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ところで、当夜「フォルテピアノ」と紹介されていた楽器を、久元さんはずっと「ピアノフォルテ」と呼んでおられました。名称の問題、なかなかむずかしいですね。
チェンバロでは(おそらく)不可能な “真の弱音” を出せる楽器が「ピアノ」と呼ばれているのは、実にもっともだと思います。
チェンバロには若干気の毒な内容だったかも知れません。最も魅力的だったのは「ベーゼンドルファー」。(普通の)「モダンピアノ」のモーツァルト演奏でしばしば感じる “寂しさ” のようなものと無縁でした。
来月からの企画、楽しみにしております。(高橋)