密度高い流行歌史2013年10月12日 10時13分00秒

私がプロデュースするコンサートでもっともお客様が涙を流される確率の高いもの。それは流行歌のコンサートです。いま一本企画しているので、勉強のため塩澤実信著『昭和の流行歌物語』(展望社)という本を読みました。とてもいい本でした。

年を追い、はやった歌を歌詞を添えて紹介しながら、その変化を世相をからめて展望していくという、正統的な音楽文化史のスタイルです。記述に無駄がなく、多くの情報が整理して盛り込まれていて、とても読みやすい。いかなる歌か、いかなる歌唱かはほとんど1つの形容詞で語られるのですが、その選択が正鵠を射ていて、しかも潤いに満ちているのです。ひとつの、みごとな昭和史です。

著者の力量をひしひしと感じ、読後リサーチしてみると、出版界の大御所、長野県出身でいらっしゃるのですね。たいへん勉強させていただきました。

古い流行歌・歌謡曲はたくさん知っているつもりでしたが、知らない大事な歌がどれぐらいあるか、またそれらがいかに忘れられてしまったか、ということもよくわかりました。私が好きな昭和20年代の歌謡曲も、今の若い人が聴けば、古色蒼然に響くのでしょうね。

私がクラシックの人間だからでしょうか、古い歌が音楽的にしっかりしていること、それを歌う歌手の力量の高さに驚くことしきりです。たとえば近江俊郎の音量を控え、レガートで繊細に歌うテノールを聴くと、ジーリやスキーパとのつながりを感じるほどです。

やはりオリジナルがいいという思いから、ネットに乗っているSPの復刻を深夜聴いていますが、どうしても涙が流れるという心理は何でしょう。クラシックの分野に関しては「昔懐かし」という感情が起こらない私なのに流行歌で完全にそうなるというのは、やはりこの分野が、時間の詠嘆に根ざしているからかもしれません。