魂の躍動2013年11月01日 11時39分41秒

皆さん、ダヴィデヒデさん、日本シリーズ、見ておられますか?レギュラー・シーズンでも、CSでも、アンチ巨人を爽やかに貫いてきた私ですが、巨人が日本シリーズに進出したのは、実力であり、顔ぶれであり、財力ですから仕方がない。おかげで、日本シリーズを楽しませていただいています。

巨人の大選手たち、高額年俸選手たち、FA選手たち、ドラフト拒否選手たちの間を縫って、楽天の若い選手たちが、言うところ「魂」を込めて走り回るのは、心を洗われるような見物です。『魂のエヴァンゲリスト』などという本を書いている「魂」つながりかもしれません。

昨夜は幸い自宅で観戦できましたので、9回、10回の攻防には感動。涙が止まりませんでした。私はいままで星野監督をあまり好きではなかったのですが、最近、選手を信頼して使う監督のようだな、と思うに至っていました。びっくりしたのは10回の表、当然代打だと思っていたら、9回に追いつかれていた則本が、そのまま打席に向かったことです。

4回戦でもわかるように、序盤でリードして追加点が取れないでいるうち、巨大戦力の巨人が追いかけてくるという展開は、危険大です。9回裏はまさに巨人に波が来ていたので、いったんはサヨナラを覚悟しました。ところが、それをはねのけて延長戦。これでもし勝ったらすごいな、と思っていたところです。

一番からの打順が控えるところでピッチャーを打たせ、一死を与えることはまずいんじゃないか、と思うと同時に、そこまで則本を信頼しているんだなあ、と、傍目にも伝わってくるものがあり、もしかしたら打つのではないか、という期待感が出てきました。そうしたら、西村が妙に縮こまって、四球。後はご承知の通りです。最後は則本のすばらしい投球と外野のファインプレーで、決まりました。

終了後は、ワインを飲みながらスポーツニュースをはしご。第6戦(ともしかしたら第7戦)は見られませんが、いい日本シリーズでした。

今月の「古楽の楽しみ」2013年11月01日 23時32分08秒

今月は、ライプツィヒのコーヒー店におけるコレギウム・ムジクムのコンサートを覗く、という構想で、「いかにもありそうな」プログラムを空想してみました。資料から実証される曲目はごくわずかですが、冒頭に管弦楽組曲が置かれ、メインのコンチェルトが使われたのは、確かなよう。この2つを骨格にして、前後を彩ったであろう室内楽やソロを、時間の枠内で配するという器楽プログラムです。調性も、なるべく揃えました。

4日(月)は、テレマン(コレギウム・ムジクムの創始者です)のホ長調組曲(演奏:デメイイェール)と、ピゼンデルのホ短調コンチェルト(フィオリ・ムジカーリ)、バッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第3番ホ長調(マンゼ/エガー)、そしてテレマンの《スケルツォ》ホ長調から(ブリュッヘン、クイケン、ビルスマ、レオンハルト)。

5日(火)は、グラウプナーの管弦楽組曲ニ長調(マックス)と、バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調(カフェ・ツィンマーマン)、ヘンデルのトリオ・ソナタニ長調 op.5-2(レコール・ドルフェ)。

6日(水)はバッハの管弦楽組曲第2番ロ短調(サヴァール)、テレマンの協奏曲ニ長調(ピノック)、フリーデマン・バッハのトリオ・ソナタニ長調(アンサンブル・サン・スーシ)。

7日(木)は、ファッシュの管弦楽組曲ト短調(ピノック)、ピゼンデルの教会風コンチェルトト短調(フライブルク・バロック・オーケストラ)、バッハのチェンバロ・ソロ用協奏曲2曲(バルキ、ボーモン)です。

どの日も、くつろいで聴いていただけると思います。バッハの管弦楽組曲第2番、2つのヴァイオリンのための協奏曲は定番中の定番ですが、私が番組で取り上げるのは初めてです(=切り札として温存していた)。どうぞお楽しみください。

凛とした私2013年11月06日 08時08分01秒

私、長い間、たくさんの人に、数限りないほど言われてきました。結婚式には泣くぞ、号泣だぞ、彼氏があらわれたら腹が立つぞ、などなど。

そのつど、きっぱり拒否してきました。私は喜びこそすれ、泣きません、と。ちなみに、最初に「彼」と食事をしたときには、ああ、いい人でよかったな、と思い、「かわいがりすぎてわがままになってしまいました。ごめんなさい」と言いました。

で、次女の渓子の結婚式が、4日につつがなく行われました。ご案内のところに書いたのでびっくりされた方がいらっしゃるようで、申し訳ありません。軽く予告したのは、上記のように私を見ておられる方々に、結果をもって反論しようと思っていたからです。私はいかに溺愛しようと、娘の結婚式に涙を流すような男ではありませんよ、と。

結果。まったく涙を流しませんでした。やっぱり、自分を一番よく知っているのは自分です!祝福あるのみ。小さい頃は双子の同時結婚式もいいな、と思っていましたが、なりませんでした。しかしもう一度可能性があります。絶対に早くあって欲しいと、思っております。

え、納得できない話だ、とおっしゃるのですか?涙が抑制された理由がひとつあるとすれば、それは式が、今はやりの「人前結婚式」だったからかもしれません。やはり冠婚葬祭には、どの宗教でもいいから、神様が必要だと思っています。人間たちが証人になれば誓いが誓いになるほど、人間は偉くありません。

神経の問題2013年11月09日 08時16分45秒

秋の風物は、日生劇場のオペラ。毎年すばらしい成果を積み重ねていますが、8日(金)にはアリベルト・ライマンの《リア王》が日本初演されました。ひじょうに考えさせられる内容なので、そのことを、少しだけ。

もし批評の担当なら、総力を挙げた圧巻の公演、と書くと思います。音コン1位で話題となっていたカウンターテナーの藤木大地さん、初めて聴きましたが、これほどの逸材とは。演奏には、たくさんの賛辞を書けます。

作品も、第一級のレベルであることは明らか。しかし私は、これでもかこれでもかというどぎつさに、神経が耐えられないのです。私が弱いだけなのか、あるいは作品に、ないし作曲者の姿勢に一線を踏み越えたものがあるのか。それについては、もう少し考えてみたいと思います。「ドイツ」を、はっきりと感じます。

日生劇場に駆け込む前は、NHKで収録をしていました。シュッツの特集を、12月に出すのです。新しいCDを集めてプログラミングする過程の、楽しいこと。ラーデマンがすばらしい録音を積み重ねていて、とりわけ《クライネ・ガイストリッヒェ・コンツェルテ》に感嘆しています。ドイツもいろいろです。

危ないスマホ2013年11月11日 00時00分16秒

結婚式(月曜日)の翌日から、スマホが見あたらなくなりました。このところ忙しく、ゆっくり探しているひまもなかったものですから、探せば出てくるだろうと楽観し、携帯頼みで過ごしていました。

土曜日。ようやく郵便の整理などしましたが、どこを探しても、スマホがありません。この時点で、紛失が、現実味を帯びてきました。

考えてみると、パスワードもかけてないし、おサイフケータイが使えるようになっている(本人は使っていない)。もし誰かの手に渡って使われていれば、大金が請求される可能性があります。にわかに、危機感が出てきました。

指示を仰ぎに、国立駅そばのドコモ・ショップへ。さっそくストップはしてくれましたが、使われているかどうかは、わからないとのことです。5000円で保険が利くようなのですが、それには警察の遺失物証明をもらわなくてはなりません。放棄して新機種、という乱暴にも魅力を感じます。なぜなら、私の使っていたギャラクシー3はほぼ半日しかバッテリーがもたないのに、新機種には「3日もつ!」という宣伝が踊っていたからです。

遠い記憶を呼び起こしてみると、結婚式のあとは、山のような荷物と共に、タクシーで帰ってきました。車中でスマホを見た記憶があります。となると、タクシーの中に落とした、あるいは、タクシーから降りた後に路上に落とした、という可能性が大。そこでレシートを頼りに、タクシー会社に問い合わせてみました。そうしたら、ちゃんと保管されていたのですね。やれやれ。明日、新三河島の営業所まで取りに行きます。

教訓。パスワードはかける。すべり落ちないように、ケースに収める。見あたらなくなったら、すぐに探す。機種変更も、できるようにしておいた方がいいように思いました。中途半端な機種を2年間使うのは辛いです。

車内で笑う2013年11月12日 10時18分01秒

移動時間が連日あるので、文庫本は必携。相変わらず、篠田節子を読んでいます。ただ、店頭にあるものが限られており、未読のものを入手するには、ある程度探さなくてはなりません。圧倒的な筆力の持ち主なので、もっと読まれていいのに、と思っています。

『神鳥--イビス』も迫力満点でしたが、『讃歌』には考えさせられました。なぜなら、挫折の後ひっそりと活動していた元天才弦楽器奏者が注目され、彼女を主人公にしたテレビ番組が全国的な感動を呼んで一躍スターになる、という、われわれの世界でいかにもありそうなストーリーだからです。しかし彼女がブレイクするのは、小説の、まだ始めの方。以下続くのは、一歩ずつ明らかになる、隠れた真実です。

とても面白く、参考にもなりました。ただ、全体を考察し意味づける最後のあたりは、その世界を本当に知らないと突き詰められない部分で、取材では限界があるとも思いました。

少し著者を広げなければと思い、新しい(←自分にとって)女性作家2人に照準を定めました。ひとりは佐藤愛子さんです。とりあえず『お徳用 愛子の詰め合わせ』という文春文庫を選び、読み始めました。このエッセイ集が、じつに面白いのです。

私はユーモアを好むことにおいては人後に落ちないのですが、どんなに面白いなあと思っても頭でそう思うだけで、表情は変わりません。無表情で読んでいます。ですから、テレビでタレントが手を叩きながら相互爆笑しているのを見ると、これってなんなの、と思ってしまいます。ところが、佐藤さんの本には、まだ始めの方なのに、南武線の中で思わず2回、吹きだしてしまいました。じつに上質のユーモアです。

余生再考2013年11月14日 08時38分11秒

立川を本拠とする「楽しいクラシックの会」は、今年がたしか26年目。本当によく続いています。私もリラックスして、砕けたお話をいろいろさせていただいている場です。

先日、例会終了後の食事の場で会長さんが、私と付き合っていく上で最重要に心がけていることはかくかくしかじかです、とおっしゃったことに、とてもびっくりしました。それは、「私に絶対に無駄な時間を使わせないこと」だそうです。なるほどそうだったのか、と来し方を振り返り、温かい気持ちが広がりました。

その話をNHKの録音のさいアシスタントにしたところ、私が1分1秒を無駄にしないよう行動していることはありありしている、とのこと。ありありしていることが感じがいいかどうかは別として(多分よくないでしょう)、そうせざるを得ない状況に身を置いてきたことは確かです。最近はその度合いが上がっており、好きなPCゲームも、しばらくやっておりません(←指標になる)。

ただ、あまり余裕がなくなると、毎日が楽しくないことも事実です。それに、目先の仕事で日々が過ぎていってしまう。これでは、『ヨハネ受難曲』の書き下ろしなど夢の又夢のまま、ジエンドです。

先日用談でお会いした方が、『ヨハネ受難曲』やカンタータの仕事をみんな待っている、とおっしゃってくださり、たしかに、一番大事なのはそこだよなあ、と思いました。日々のスケジュールを再検討したいと思いますが、それは、皆様のご理解・ご寛容がなくてはできないことです。よろしくお願いします。

PET検査その後2013年11月17日 09時47分34秒

先日新百合ヶ丘総合病院で受けた最新の「PET-CTがんドック」、興味のある方もいらっしゃることでしょう。結果がどう知らされるかわかりました。

「メディカル・チェックアップ・レポート」というのが、半月ほどで送られてきました。内容は、レポート1枚、カラー画像3枚、画像を収めたCD-ROM1枚です。

レポートは、「PET-CT検査」「総合判定」の2項目から成っています。前者は一連の観察記録、後者はそれをまとめたものです。「総合判定」は私の場合5項目あり、「を疑います」が2項目、「を認めます」が3項目でした。「を認めます」の中にだから「~に注意してください」という記述があり、それはまさに最近のコンディションを指摘したものでした。その下に、外来受診の予約専用ダイヤルが記されている親切ペーパーです。

私はその後胃の内視鏡検査を受け、その結果を聴きに行くために診察予約をしていましたので、そのさいに、「を疑います」の2項目、とくに要再検査の項目について、ご相談することにしました。大腸の内視鏡をすることになるでしょうが、そろそろやらなくてはと思っていたので、幸便です。

というわけで、なかなか合理的なシステムです。今は大病院に通っていても、健康をすべてチェックしてくれるわけではありません。毎年の習慣にしようかなと思っています。

《第九》のあと2013年11月19日 07時23分54秒

サントリーホールにおけるウィーン・フィルのベートーヴェン・チクルス。私は、最後の《第九》(+《第八》)だけ顔を出しました。

入場券といっしょにいただいたのが、フェアウェル・パーティのご案内。さて、と考え込みました。翌日の準備など、その夜、やらなくてはならないことがたくさんあったからです。帰り際まで迷っていましたが、立場上ここは出るべきだと決心し、会場のブルーローズへ。

このパーティ、通し券を買うと招待されることになっていたそうですね。全シンフォニーとコンチェルトを聴かれた方が、100人以上いるとか。さすがです。総力を挙げた大演奏のあとですので、出演者、関係者で満員の会場にも熱気がありました。いちばんトーンの高かったのが通訳の方です(笑)。

ウィーンの伝統は確固として健在だ、と痛感したのは、アトラクションで披露された弦楽四重奏(チェロではなくコントラバス)。ひときわ若いコントラバス奏者がじつに音楽的で、上声部に寄り添うように、響きを取りにいく。完璧にアンサンブル優先、ウィーンの香りを花開かせるための駒になっているのです。なるほど、こうした献身の総和として、ウィーン・フィルがあるわけですね。

公演で最大の拍手を集めたのは、2回のステージのためだけに来日した楽友協会合唱団(ヴィーナー・ジングフェライン)でした。アマチュアを標榜する彼らですが、存在感と芸術性は並々でなく、響きが、ウィーン・フィルと完全に融合している。彼らも、名伯楽プリンツさんの指揮で、楽しいアトラクションを聴かせてくれました。

合唱団の東京公演は三十数年ぶりというのを聴いて、心ひそかに満足。というのは、いずみホールで今世紀、すでに2回彼らを招聘していたからです。大阪大好き、また絶対行きたい、と、団員の方々。いろいろな方とお話しするうち、大阪のウィーン音楽祭がなくなって一番残念がっているのは、ウィーンの人たちなのではないかとさえ思えてきました。いい形でウィーン・サウンドを聴いていただける工夫ができないかどうか、将来に向けて検討を始めたところです。

『氷点』に挑戦2013年11月20日 05時51分53秒

このカテゴリに書くことが多いのは、専門外で気楽だからです。コンサートの感想は責任上正確を要するので、書いたり、書かなかったり。新聞批評は今月、ペライアとムーティをやりました。それは紙面でご覧ください。

女性作家の小説探訪、三浦綾子さんに挑戦してみました。もちろん『氷点』です。

読み始めての最初の思いは、文章がこなれていないなあということと(偉そうにすみません)、設定がどぎついなあということ。極限状況を設定してその力で引っ張るというのは、しばしば行われて効果を上げますが、文学の手法としてはどうかなあという思いが以前からあります。すばらしく描かれている「陽子」という主人公があまりにも気の毒な流れになるので、ちょっとたまりません。

と思いつつもその迫力に吞まれて読了し、いま、続編に入っています。人間の「罪」を掘り下げる問題意識には、全面的に共感。「罪」という考え方がわからない、違和感がある、とよく言われますが、「内なる悪」ととれば、ほとんどの人が思い当たることではないでしょうか。どこまでそれと向き合うかは、メンタリティにおける宗教性の問題なので、千差万別でしょうが。

間違いないことは、バッハの宗教声楽曲の演奏において、「罪」への理解と体感が死活的に重要だ、ということです。世の中には悪いやつが多い、と外に心を向けながら「キリエ・エレイソン」というわけにはいきません。

そのことをますます考えるようになっている昨今ですが、メンタルヘルスの分野では違うのですね。過度に自分と向き合い、自分を責める傾向にある人は鬱になりやすいので、そういう意識から離れることが重要だ、と。この違いをどうとらえるべきか、まだ考えがまとまりません。