アマチュアとプロ2013年10月21日 22時21分31秒

19日(土)は越谷で、合唱団の方々を相手に、《ロ短調ミサ曲》のレクチャーをしました。短い時間に話を集約しきれなかった経験を踏まえて、「演奏で心得るべき十箇条」という形に整理していったのですが、それでもやはり内容が多すぎ、すごい早口でお話ししても何項目かカット、ということになってしまいました。次は「五箇条」にして、実例も減らし、その代わり、ていねいにお話しするようにしなくては。またまた、課題が先送りになってしまいました。

にもかかわらず熱心に聞いていただき、ありがたかったです。最後に、優秀とお見受けする若い指揮者の方から、「こういう難曲にアマチュアが取り組むことについて、エールを送ってください」というお申し出がありました。

私がお話したのは、アマチュアに恵まれているのは時間である。長い時間をかけて、さまざまに勉強しながら、作品に取り組むことができる。それによって名曲のすばらしさにどれほど深く入り込めるか計り知れない、ということでした。演奏をしてみてわかる作品の良さというのは、ひじょうに大きい。多くの方が合唱を通じて《ロ短調ミサ曲》に分け入っているなんて、すばらしいことだと思います。

蛇足ですが、アマチュアの方々には、プロに対する尊敬を忘れないでほしい、とも言わせてください。理由は2つ。1つは言うまでもないことですが、演奏家は高度な技術の修練に一生を費やすわけで、それがあって初めて音楽の世界は回っているのだということ。もう1つは、プロの演奏家はステージに乗ったら逃げの利かない音楽の厳しさを知っており、自己批判を欠かさず音楽に向かっている、ということです。この第2点がきわめて重要であると、私は思っています。

もっと本当なのは、音楽の前にはプロもアマも違いはない、ということではないでしょうか。私がコンサートに行くとき、今日はアマチュアの演奏だから寛容モードに切り替えて聴こう、などということはあり得ないし、できないことです。生み出される音楽を同じように聴き、感動したり、感心したり、失望したり、腹を立てたりします。演奏が寛容モードを求めているのに対応できないときには、自分が冷たいように思われて後味が悪くなります。バッハでは、まま起こることです。