まだまだです2014年07月25日 16時18分38秒

昨24日(木)は、この秋に《マタイ受難曲》公演を控えている市川混声合唱団さんのお招きで、市川に行ってきました。千葉県では意外に仕事をした記憶がなく、佐倉を覚えている程度。知らない土地を訪れるのが好きな私には、嬉しいお招きでした。

友好団体である行徳混声合唱団を始め、外部からも人が来られ、会場はにぎやか。終了後の楽しい団らんを含めて、たいへん良くしていただきました。そうした感謝をここで述べつつも、私としては、お話が中途半端になってしまったことを反省しています。

正味1時間半で《マタイ受難曲》を語ることは、やはりむずかしい。でもそれは、できなくてはいけないことだと思うのですね。私は若い頃から、短い中に少しでも多くの内容を盛り込むことを、批評であれ解説であれトークであれ目指して勉強してきているつもりなのです。それが講演サイズになるとどうしても欲が出てしまい、もう少し時間さえあれば、という結果に、しばしばなってしまうのです。

この日は機材が不調で音源を使えなかったということも手伝って(もっともその時間もありませんでしたが)、細部の機微に触れてバッハを実感していただくことが、ほとんどできませんでした。次に機会があれば、ずっと少ない素材で曲のエッセンスに手が届くような、密度高い講演を工夫したいと思います。

講演開始前、ぱらぱらと雨が落ちてきました。帰宅する頃も少し降っていましたが、傘はささずじまい。今朝起きてから猛烈な降雨と雷が東京を見舞ったという話を聞き、びっくりしました。

今月のCD~ガーディナーとゲームの接点2014年07月26日 08時15分39秒

今月の特選盤は、ガーディナー指揮、モンテヴェルディ合唱団とイングリッシュ・バロック・ソロイスツのバッハ《復活祭オラトリオ》+カンタータ第106番。これと拮抗する次点は、イザベル・ファウストがハーディングと入れたバルトークのヴァイオリン協奏曲です。ファウスト、ケラス、メルニコフのベートーヴェン《大公》もあり、ファウスト絶好調。すべてキング・インターナショナルの発売です。

ガーディナーの《復活祭オラトリオ》実演がすごかったことは昨年のライプツィヒ訪問記でお伝えしましたが、そのすぐ後(13年6月)にロンドンで録音したのが、この一枚。現地で接した究極の完成度が記録されており、バッハ・アルヒーフの名誉総裁となったガーディナーが、いよいよバッハ演奏の頂点を極めたという感があります。この名演奏が、合唱のトップがソリストを務めるコンチェルティスト方式によって達成されていることは、ぜひ強調しておきたいと思います。

話は変わりますが、数年前の「キングズ・バウンティ」というRPGを引っ張り出して、このところやっています。コンセプトといいグラフィックといい、本当にすばらしいゲームです。

主人公はいろいろな国に赴いて冒険してゆくのですが、そこにはお姫様や名物女性がいて、妻にすることができる。妻は装備品のスロットをもっていて主人公を強化できますし、ボーナス付きの子供を、4人までもつことができます。離婚結婚を繰り返した方が地域の戦闘には有利になるのですが、別れのやりとりをしなければならず、ちょっと辛いです。

とりわけ美しいのはエルフのお姫様。たいていはこの人で、最後までやってしまいます。この女性がスロットに入ると、射手だのドルイドだのスプライトだのといったエルフの軍勢の士気が劇的に上がり、射程が長くなったり、クリティカルを連発したりする。

ああこれだ、と思いましたね。ガーディナーが指揮をするコンサートがめざましいのは、演奏者、とりわけ合唱の士気がものすごく高いからです。たとえばバスのパートを、ハーヴィーのような名歌手が、闘志満々で牽引している。ガーディナーのバッハがすばらしい最高の要因は、ここにあると思います。上から指導するのでなく、下から生命力を吸い上げているのです。すごいですね。

舞台上演に接近2014年07月30日 08時10分29秒

日曜日から月曜日にかけて、ようやくモンテヴェルディ・コンサートの字幕と演出ノートを完成し、メンバーに送りました。《ウリッセの帰還》《ポッペアの戴冠》には既存のいい翻訳がありますが、やはり自分で訳してみないと、自分として気がつかないことがありますね。演出のイメージも、そこからようやく固まりました。

「演出」という言葉を使っているということは、8月1日のブルーローズのコンサートにおいて、演技が行われるということです。暗譜でやろうというみんなの意欲から始まり、オペラ的な視覚化を伴うところまで来ました。その分、楽しんでいただけると思います。「演奏会形式」と告知するのではなかったと後悔しています。

29日(金)に1日がかりの練習を行い、こうした一歩一歩の作業こそが音楽家を、コンサートを作るのだということを、感動をもって実感しました。今回はかつてなくキャストが充実していますが、間近で聴く渡邊順生さんのチェンバロもすごいです。洞察力、造形力が桁違いです。

《ポッペアの戴冠》のすばらしさを全身で浴びるにつれ、作品に対する考えが変わってきました。ストーリーには勝者と敗者があるわけですが、敗者の高貴さを表現することが重要だ、と思うようになっています。自らの哲学を実践して天上への道を歩むセネカ、厳しい追放の中にも生きる意志を示すオッターヴィア。そこには人間にとってきわめて大切なものが示されており、この作品を猟奇的に上演してはならないと、あらためて思った次第です。

まったく違うように見える《ウリッセ》と《ポッペア》にも、つなぐ意図がずいぶんあるなあとも、思うようになりました。皆様、ぜひお出かけください。