6月のイベント ― 2014年06月02日 22時43分15秒
すぐ、ご案内の時がやってきてしまいますね。
4日(水)と18日(水)が、朝日カルチャー新宿校。10:00からの《リング》徹底研究は、《ジークフリート》第3幕を、2回に分けてとりあげます。13:00からの《ヨハネ受難曲》は、イエスの死の前後です。
5日(木)に見本ができてくる私の新しい文庫本(ちくま学芸文庫)が、10日に発売になります。これについては、あらためてご案内します。
7日(土)は、私が関係している藝術学関連学会連合の年1度のシンポジウム、題して「藝術の腐葉土としてのダーク・サイド」が、東京国立近代美術館講堂で開かれます(13:30分~17:30)。芸術に裏からの光を当てる興味深い内容で、諸学会のパネリストの論戦が面白そう。入場無料ですので、ふるってお出かけください。
11日(水)には大阪で、いずみホールの今年のモーツァルト企画に関する記者会見を開きます。これについても、詳細はあらためて。
14日(土)は「バッハアンサンブル富山」さんのお招きで、《マタイ受難曲》の講演会を開きます(富山国際会議場、13:00~15:50)。お近くの方、お会いできると嬉しいです。
21日(土)は、立川の「楽しいクラシックの会」。今月は《トリスタンとイゾルデ》の第3幕です。10:00~12:00の例会終了後、夏恒例のビアパーティが開かれます【間違えました。ピアパーティは7月だそうです】。
22日(日)はすざかバッハの会(須坂駅前シルキーホール、14:00~16:30)。《ヨハネ受難曲》の第2部が、中ほどにさしかかります。
28日(土)は、朝日カルチャー横浜校のエヴァンゲリスト講座。演奏を論じているためか多くの方に足を運んでいただいていますが、今月は「古楽器はどう違うか--金管楽器、木管楽器篇」と題してお届けします。13:00~15:00です。
今月もがんばります。
4日(水)と18日(水)が、朝日カルチャー新宿校。10:00からの《リング》徹底研究は、《ジークフリート》第3幕を、2回に分けてとりあげます。13:00からの《ヨハネ受難曲》は、イエスの死の前後です。
5日(木)に見本ができてくる私の新しい文庫本(ちくま学芸文庫)が、10日に発売になります。これについては、あらためてご案内します。
7日(土)は、私が関係している藝術学関連学会連合の年1度のシンポジウム、題して「藝術の腐葉土としてのダーク・サイド」が、東京国立近代美術館講堂で開かれます(13:30分~17:30)。芸術に裏からの光を当てる興味深い内容で、諸学会のパネリストの論戦が面白そう。入場無料ですので、ふるってお出かけください。
11日(水)には大阪で、いずみホールの今年のモーツァルト企画に関する記者会見を開きます。これについても、詳細はあらためて。
14日(土)は「バッハアンサンブル富山」さんのお招きで、《マタイ受難曲》の講演会を開きます(富山国際会議場、13:00~15:50)。お近くの方、お会いできると嬉しいです。
21日(土)は、立川の「楽しいクラシックの会」。今月は《トリスタンとイゾルデ》の第3幕です。10:00~12:00の例会終了後、夏恒例のビアパーティが開かれます【間違えました。ピアパーティは7月だそうです】。
22日(日)はすざかバッハの会(須坂駅前シルキーホール、14:00~16:30)。《ヨハネ受難曲》の第2部が、中ほどにさしかかります。
28日(土)は、朝日カルチャー横浜校のエヴァンゲリスト講座。演奏を論じているためか多くの方に足を運んでいただいていますが、今月は「古楽器はどう違うか--金管楽器、木管楽器篇」と題してお届けします。13:00~15:00です。
今月もがんばります。
高橋薫子、「倍返し」の熱唱 ― 2014年06月05日 12時10分52秒
話を5月25日(日)に戻します。バッグの紛失を免れた私は、良いツキを大量消費した形で夜9時からのリハーサルに臨み、26日昼のコンサートに余波が及ぶのではないかと、不安をもっていたのでした。昼のコンサートというのは、映画の主題歌を特集したいずみホール「日本のうた」のコンサートです。
出演者は高橋薫子(ソプラノ)、田中純(バリトン)、花岡千春(ピアノ)という方々で、いわば、信頼する仲間たち。ただリハーサルに様子見の感じがあったものですから、私は気安さも手伝って、いろいろ注文を出しました。本番に心配はないとは思いつつも、何割かでも生かしてもらえれば、というつもりでした。
驚いたのは、本番の出来映え。高橋さんの歌は言葉がほとばしるように前面に出て、《君の名は》など、精魂こもった絶唱。何割かどころではなく、「倍返し」という、去年の流行語を思い浮かべました。さすが一流ですね。田中さんはこのシリーズの常連で、その高貴で爽やかな声は、こうしたプログラムには不可欠です。映画に詳しい河内厚郎さんにコメントをいただきながら進めましたが、舞台上で何度も涙を拭わざるを得ないコンサートになりました。おかげさまです。
打ち上げでお二人と飲んだワインのおいしさは格別。田中さんとは、サントリーのブルーローズで《冬の旅》のコンサートを開くことになりました。またご案内します。
出演者は高橋薫子(ソプラノ)、田中純(バリトン)、花岡千春(ピアノ)という方々で、いわば、信頼する仲間たち。ただリハーサルに様子見の感じがあったものですから、私は気安さも手伝って、いろいろ注文を出しました。本番に心配はないとは思いつつも、何割かでも生かしてもらえれば、というつもりでした。
驚いたのは、本番の出来映え。高橋さんの歌は言葉がほとばしるように前面に出て、《君の名は》など、精魂こもった絶唱。何割かどころではなく、「倍返し」という、去年の流行語を思い浮かべました。さすが一流ですね。田中さんはこのシリーズの常連で、その高貴で爽やかな声は、こうしたプログラムには不可欠です。映画に詳しい河内厚郎さんにコメントをいただきながら進めましたが、舞台上で何度も涙を拭わざるを得ないコンサートになりました。おかげさまです。
打ち上げでお二人と飲んだワインのおいしさは格別。田中さんとは、サントリーのブルーローズで《冬の旅》のコンサートを開くことになりました。またご案内します。
最新・最後の『モーツァルト』 ― 2014年06月06日 11時50分11秒
6月10日発売のちくま学芸文庫『モーツァルト』の見本が上がってきました。
昨年6月にお話をいただいたときのご提案は、私が2000年に講談社から出版した『モーツァルト/2つの顔』を文庫化したい、というものでした。ありがたいお話と思いつつさて旧著を見直すと、いろいろな問題点が目につきます。そこで一定の猶予をいただき、抜本的に書き直すことにしました。
冒頭の「生涯」と、最後の「モーツァルトを知るための15曲」が、まったく新しい書き下ろしです。最後期を扱った第2~4章も、現在の考えに基づいて、原型をとどめぬほど書き直しました。これらを合わせて、全ページの半分ちょっと。残りの章、すなわち伝記論、作品目録論、歌曲論、オペラ論、交響曲論、バッハとの比較論もかなり直しましたので、自分としては、新しい本として読んでいただければ、という気持ちです。
モーツァルトの最後の時期に関しては、百家争鳴というよりも新旧激突というような見解の対立があり、私自身、立ち位置を決めかねていました。しかしヴォルフ先生の近著(目下翻訳中)を読み、なるほどそう考えるとすべてを整合的に理解できるな、と膝を打つ視点があることに気づいたのです。そこで、そうした視点のもとに、生涯と作品、とくに後期に対して根本的に見直しをかけた結果が、本書です。
十数冊の本をこれまで出版してきましたが、編集者が女性というのは、今回が初めてでした。その編集者、平野洋子さんには、共感と感動をもってサポートしていただき、かぎりない励みになりました。次の写真は、見本をご持参いただいたときのものです。モーツァルトの本はおそらくこれが最後になると思いますが、どうぞよろしくお願いします。
ダークサイド? ― 2014年06月08日 23時51分30秒
私が副会長として関与している「藝術学関連学会連合」(藝関連)の第9回公開シンポジウムが、7日の土曜日、東京国立近代美術館で開かれました。「藝術の腐葉土としてのダークサイド」という、一種奇抜なテーマを掲げたこのシンポジウム。チラシには、「老い・倦怠・挫折・過疎・・・・文明的生の腐葉土を滋養に換え、アートは芽吹いている」というなかなかの文章が載っています。まさに「野心的」(西村清和会長)なテーマです。
この日は大雨で、ICUから「警報が出ていますが授業は実施します」という連絡が回ったほど。受講者の数を心配しながら、委員会を終えて会場に向かいました。着いたのがちょうど、午後1時になってしまいました。
地下の会場に降りてみると、受付の学生さんとパネリストの方々がおられるだけで、がらんとしています。少ないとは思ったが、まさかゼロとは。これは、究極の内輪向けシンポジウムだな・・・と覚悟を決めたところ、開始は1時半と判明。なんとか、一定数のお客様を確保できました。
藝関連のホームページにもレジュメが載りますので、全部は紹介いたしませんが、面白かったですね。とくに美術史学会・山本聡美さんの「醜い身体--日本中世仏教絵画における病と死」という発表は、仏教経典における因果応報思想と図像との関連が克明にたどられていて、バッハを考える上で、とても参考になりました。律法における病死への考えをどう克服してゆくかが、イエスの課題であったと同時に、バッハの問題意識でもあったと思うからです。
東洋音楽学会・ジェラルド・グローマーさんの「瞽女--差別と芸能」という発表も、かつて私のもとでいい卒論を書いた学生がいたことを思い出し、胸に迫るものがありました。外国人が古文書に分け入って行う研究、たいしたものですね。
最後、5分間の閉会スピーチをする役割が回ってきました。皆さんへのお礼とともに上記のことも述べたいと思い、シミュレーションもして前へ出たのですが、私としたことが、しゃべることを忘れ、しばし立ち往生してしまったのです。いわゆる「頭が真っ白」の状態。この期に及んで、人前で上がるとは思いませんでした。次回はメモを取ります。
神保町で打ち上げ。疲れてしまい、二次会は失礼しました。
この日は大雨で、ICUから「警報が出ていますが授業は実施します」という連絡が回ったほど。受講者の数を心配しながら、委員会を終えて会場に向かいました。着いたのがちょうど、午後1時になってしまいました。
地下の会場に降りてみると、受付の学生さんとパネリストの方々がおられるだけで、がらんとしています。少ないとは思ったが、まさかゼロとは。これは、究極の内輪向けシンポジウムだな・・・と覚悟を決めたところ、開始は1時半と判明。なんとか、一定数のお客様を確保できました。
藝関連のホームページにもレジュメが載りますので、全部は紹介いたしませんが、面白かったですね。とくに美術史学会・山本聡美さんの「醜い身体--日本中世仏教絵画における病と死」という発表は、仏教経典における因果応報思想と図像との関連が克明にたどられていて、バッハを考える上で、とても参考になりました。律法における病死への考えをどう克服してゆくかが、イエスの課題であったと同時に、バッハの問題意識でもあったと思うからです。
東洋音楽学会・ジェラルド・グローマーさんの「瞽女--差別と芸能」という発表も、かつて私のもとでいい卒論を書いた学生がいたことを思い出し、胸に迫るものがありました。外国人が古文書に分け入って行う研究、たいしたものですね。
最後、5分間の閉会スピーチをする役割が回ってきました。皆さんへのお礼とともに上記のことも述べたいと思い、シミュレーションもして前へ出たのですが、私としたことが、しゃべることを忘れ、しばし立ち往生してしまったのです。いわゆる「頭が真っ白」の状態。この期に及んで、人前で上がるとは思いませんでした。次回はメモを取ります。
神保町で打ち上げ。疲れてしまい、二次会は失礼しました。
名前が出てこない! ― 2014年06月11日 09時43分19秒
という経験、皆様お持ちですよね。私もそうなのですが、まだ、ひどいというほどではありません。不思議なのは、出てきにくい名前が決まっていて、それが親しさ、親密さとは関係がないように思えることです。いずれにしても、さまざまな文脈を通じて記憶に定着する一般名詞と比べて、固有名詞は記憶に負担をかけるもののようです。
いま述べたのは、特定の人に対してイメージも輪郭もはっきりしているが、名前だけが出てこない、という場合です。もうひとつのケースがある。それは、久しぶりに会った人がいて、なつかしい顔なのだが、名前が出てこない、という場合です。
この場合、しにくいけれどもなすべきことは、「お名前なんでしたっけ?」と尋ねることです。「○○です」と答えを聞くと、ああそうだ、と合点がゆき、その人にまつわる記憶や出来事がよみがえってくる。名前が出てこなければ、見たことのある顔だ、で終わりです。
どうやら人のイメージは、固有名詞という概念に司られて、記憶されているようなのです。名前を覚えているが顔を思い出せない、ということもたしかによくありますが、名前を覚えていれば、どんな人だったかの知識はある程度残っています。
顔を忘れやすいか名前を忘れやすいかには、個人差があるのかもしれません。私は、どちらかといえば顔を忘れやすいように思います。いずれにしろ、顔と名前が一致しなくなる状況が問題です。どういうことがどう進んでいつそういう状況に立ち至るのかが、気になります。
いま述べたのは、特定の人に対してイメージも輪郭もはっきりしているが、名前だけが出てこない、という場合です。もうひとつのケースがある。それは、久しぶりに会った人がいて、なつかしい顔なのだが、名前が出てこない、という場合です。
この場合、しにくいけれどもなすべきことは、「お名前なんでしたっけ?」と尋ねることです。「○○です」と答えを聞くと、ああそうだ、と合点がゆき、その人にまつわる記憶や出来事がよみがえってくる。名前が出てこなければ、見たことのある顔だ、で終わりです。
どうやら人のイメージは、固有名詞という概念に司られて、記憶されているようなのです。名前を覚えているが顔を思い出せない、ということもたしかによくありますが、名前を覚えていれば、どんな人だったかの知識はある程度残っています。
顔を忘れやすいか名前を忘れやすいかには、個人差があるのかもしれません。私は、どちらかといえば顔を忘れやすいように思います。いずれにしろ、顔と名前が一致しなくなる状況が問題です。どういうことがどう進んでいつそういう状況に立ち至るのかが、気になります。
ツーショットのお隣は・・ ― 2014年06月12日 23時54分46秒
11日(水)は、いずみホールの年間企画「モーツァルト~未来へ飛翔する精神」PartIIの記者発表のため、大阪へ。地下鉄の淀屋橋で降りると、向かいに、ビジネスマン向けの小さな本屋さんがありました。
私がそこに立ち寄ったのは、10日発売のちくま学芸文庫が、11日から書店に並び始めるという情報を得ていたため。自著が並んでいるかどうか、とりあえず入ってみました。
こんな小さいお店じゃあるわけないよな、と思いつつ探したところ、意外にも、棚に4冊並んでいたのですね。良かった、とは思ったものの、私の辞書に「幸先がいい」という言葉はありません。私に似合うのは、「竜頭蛇尾」という言葉です。その後寄った梅田の紀伊國屋書店では、さすがに山積みになっていました。しかし山が一番高かったのは、売れていないという証拠ですよね。売れなくても仕方ありませんが、筑摩書房さんと先のお仕事ができるぐらいの結果は、出せたらと思っています。
記者会見には、コンスタンティン・リフシッツさんが同席してくれました。今年度のモーツァルト・シリーズで、トリのコンサートをお願いしているのです。来年2月11日(水)の、「輝ける主役」(←ウィーン時代前半のモーツァルトのこと)と題するコンサートです。ピアノ協奏曲第15番と第23番の弾き振り、そして《ハフナー交響曲》の指揮をお願いしています。
これだけの方が来てくれると、やはり、会見が引き締まりますね。まずは私が今年の企画の狙い、概要、リフシッツさんにお願いした理由、といったことをお話ししたのですが、優秀な通訳の方がすべて内容を彼に伝えてくれましたので、彼もその意義を理解し、ばっちり、信頼関係ができてしまいました。
モーツァルトのコンチェルトは弾き振りでこそやりたい(=ピアノと楽器の直接対話を楽しみたい)と思っている私には、音楽への大きな展望をもつリフシッツさんは、最強の人材。抱負を述べる言葉は、まさに私の気持ちにぴったりのものでした。このコンサートが本当に楽しみだ、という言葉を何人もの出席者からいただき、勇気百倍です。リフシッツさんといろいろなコンサートをやりたい、という思いが募ります。
富山でバッハを語る(1) ― 2014年06月16日 07時32分23秒
バッハアンサンブル富山さんのご招待で、《マタイ受難曲》について話しに行ってきました。
私はいつもベストの講演をしたいと思っているのですが、一番むずかしいのは、バッハの大曲について、1回でお話しすることです。お話ししたいことがたくさんある上、いい演奏を鑑賞していただきたいので、つい盛りだくさんになりすぎ、収拾がつかなくなってしまう。素材をぐっと絞り、ていねいにご説明するのが理想だとは思っているのですが、なかなかそうできずに今日に至りました。
今回は、来年2月22日の公演に寄与するためのレクチャーです。そこで演奏者のヒントとなるポイントを中心にまとめ、それによって時間の効率化を図ることにしました。前日泥縄で、プレゼンテーションを作成。
西国分寺、南浦和、大宮、越後湯沢と乗り換えて富山に着くまでは、かなりの道のりです。新幹線の開通が楽しみ。富山県は、過去に立山登山の帰り、魚津に一泊したことがあるだけで、富山市に降りたことはありません。到着した11時過ぎには雨も上がり、よい天気になっていました。
富山は区画整理が行き届いて広々とし、木々の緑が印象的な町です。
ぶらぶら歩きを楽しみ、途中お蕎麦を食べて、国際会議場へ。行き交う人は少なかったのですが、会場は、合唱団の方々に外部参加者を交えて、思いのほかにぎわっていました。しかも皆さん、私に興味がおありなのか(笑)、興味津々の強い目線で、話に備えていてくださるのです。これでは、気持ちが高まらざるを得ません。
私は「名演奏の条件」というテーマで、話を始めました。私の挙げた条件は、「作品をして自ら語らしめる」「受難に向き合う」「言葉を重んじる」の3つです。(続く)
富山でバッハを語る(2) ― 2014年06月17日 23時43分20秒
「作品をして自ら語らしめる」ことが実現するためには、《マタイ受難曲》をできる限り「識る」ことが必要です。そこで、識っておくべき作品のポイントをいろいろ挙げ、テキストを読んだり、楽譜を見たり、絵を参照したり、鑑賞したりしながら、話を進めました。話すほどに時間は足りなくなるのですが、まあ一通り話せたので、会心の出来、と申し上げましょう。もちろんそれは、食いつくようにして聞いてくださった受講生のおかげです。
最後の20分は、指揮者の津田雄二郎さんと対談。私の著作を読んでくださってのご質問でしたが、私を善良だと思っておられるようでしたので、私は性悪説ですよ、と釘を刺しておきました。善良でないから芸術の研究をするわけで、これは皆様、ご了解の通りです。
それにしても、富山の方々の反応は、過去に経験したことのないほど熱いものでした。打ち上げではワインを置いているお店に鈴なりで詰めかけたのですが、そのマスターが大の古楽ファンで、奥様ともども、「古楽の楽しみ」を聞いておられるとか。ありがたいことですね。二次会にも行き、富山ならではのおいしいお魚をいただきました。
写真その1は、サインです。古い本をもってこられ、昔の写真を指さして「これ、本当に先生ですか」と言われる方が複数。すみません、歳を取ってしまいました。
打ち上げのお店では4つのテーブルを移動してお話ししました。初対面なのにどこでも話が盛り上がり、泣く泣く移動。エネルギーにあふれた合唱団です。
指揮者、津田雄二郎さんと。とてもいい写真のような。
写真には写っていませんが、合唱指揮者兼エヴァンゲリストとして団を牽引しておられる東福光晴さんのバッハへの打ち込みと見識はすばらしいもので、感銘を受けました。富山まで来てくださるとは思わなかった、とおっしゃる方が、大勢。とんでもないです。こういう機会があっての人生、と思っております。(続く)
富山でバッハを語る(3) ― 2014年06月19日 08時36分30秒
講演は土曜日の午後でしたので、翌日富山県を少し見るにはどこで泊まるのがいいかと思い、検索をかけてみました。すると高岡に、ニューオータニがあることがわかったのですね。これは高岡の観光上のステイタスを示すもののように思え、高岡に泊まることにしました。それから氷見に足を伸ばし、戻ってこようという計画です。
土曜日にはしゃぎすぎたためか、日曜日は風邪気味で足も痛いという、バッド・コンディション。通行人に次々と追い越される、とぼとぼ歩きになってしまいました。でも高岡、いいですね。日本三大大仏のひとつが、宿の近くに。
隣接する、緑豊かな高岡古城公園。
さらに良かったのが、前田利長の菩提寺だという、瑞龍寺。さすが国宝、端正なたたずまいで心が洗われるようでした。
1両だけの小さな電車に乗り、能登半島の右端を北上して、漁港と温泉の町、氷見へ。海産物の集まる「ひみ番屋街」までの30分の道のりを、とぼとぼと歩きました。駅にコインロッカーがなく、荷物を持参するはめに。
足湯に漬かっていると、理系の大学生を相手に話しているおじさんの声が聞こえてきました。STAP細胞の話です。STAP細胞はないと言われているが、本人があると言っているのだから、あるかもしれない。だとしたらすばらしいことだ、応援したい、という趣旨。よくある意見なのでしょうね。
私は、学問の世界に身を置いてきた人間として、いい加減を許容するような立場はとれません。手続き的にも信頼の置ける仮説だと認められて、初めて次に進めるわけで、その立証責任は、仮説の提唱者にあります。ないことを立証するなどという気の遠くなるようなことを、回りがすべきだということではない。どの分野にも、立証されない仮説を好都合に打ち上げる人もいれば、客観性を得るために苦労している大勢の人もいることを、見てきています。
期待したお寿司屋は長蛇の列であきらめ、市内で食事を済ませて帰宅しました。おかげさまの週末。バッハアンサンブル富山の皆さん、ありがとうございました。
昔おおらか ― 2014年06月22日 10時57分15秒
21日(土)は、「たのくら」のワーグナー・プロジェクトで《トリスタンとイゾルデ》の第3幕を鑑賞したあと、皆さんと立川の「五十番」で昼食。毎度の「砂肝」に舌鼓を打ちました。いつもにぎわい、ジャズのコンサートも開かれるお店です。
夕方は、国立劇場で「日本音楽の光彩」と題する現代邦楽のコンサート。この手の作品を西洋音楽のホールで聴く機会はよくありますが、日本音楽のロケーションで聴くのも、別の味があっていいですね。舞台が照明で美しく彩られ、「和」の雰囲気があります。
勉強になるプログラムでしたが、とりわけ、最後に演奏された伊福部昭の郢曲《鬢多々良》に魅了されました。和と雅楽の楽器がよりぬきの奏者で並び、吉村七重さんの目覚ましいリードで演奏するさまは壮観。のびやかな古代の中国に空想の翼を伸ばしました。伊福部の最近の人気、わかりますね。
最近国立劇場によく行くのは、ここ(日本文化伝統協議会)の評議員のお仕事をいただいているから。公表しないでいたのですが、どんどん言っていただいて構わないということですので書きました。歌舞伎、能、文楽など、いろいろ勉強させていただいています。
夕方は、国立劇場で「日本音楽の光彩」と題する現代邦楽のコンサート。この手の作品を西洋音楽のホールで聴く機会はよくありますが、日本音楽のロケーションで聴くのも、別の味があっていいですね。舞台が照明で美しく彩られ、「和」の雰囲気があります。
勉強になるプログラムでしたが、とりわけ、最後に演奏された伊福部昭の郢曲《鬢多々良》に魅了されました。和と雅楽の楽器がよりぬきの奏者で並び、吉村七重さんの目覚ましいリードで演奏するさまは壮観。のびやかな古代の中国に空想の翼を伸ばしました。伊福部の最近の人気、わかりますね。
最近国立劇場によく行くのは、ここ(日本文化伝統協議会)の評議員のお仕事をいただいているから。公表しないでいたのですが、どんどん言っていただいて構わないということですので書きました。歌舞伎、能、文楽など、いろいろ勉強させていただいています。
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