顧みる2016年03月17日 05時58分14秒

尊敬する指揮者のブルーノ・ワルターが、晩年の対談(映像)で「長いこと指揮をしてきたので、これからはじっくり自分を見つめてみたい」という趣旨のことを述べています。引退して自分を見つめるとはどういうことだろう??と、長らく疑問に思っていました。

今でもわかりませんが、それに近いことを案外自分がするようになっているのではないか、という気もします。わが身を観察して変化だなと思うのは、たとえば「今日1日でここまで片付けてしまおう」的なやり方ができなくなってきたこと。割にすぐ、まあいいや明日にしよう、と思ってしまうのです。

反面、仕事や出来事の一コマ一コマにその意味を考えたり、充実を見出したいという気持ちが強くなっています。小さな喜びでいいから、少しずつ見つけたいという願望が、仕事の場にしろ、会合にしろ、町を歩いているときにしろ、出てきているのです。

そんな風になっているところへ、知人が朝日新聞の「はがき通信」という欄の切り抜きを届けてくれました。《マタイ受難曲》初稿の放送を聴いてくださった秋田の方の、「音楽の深さ」という投稿です。大きな励みになりました。心より御礼申し上げます。

放送では、まだ予定ですがアーノンクールの足跡を振り返る番組をやりたいと思い、初期の録音を聴き直しています。昔は結構抵抗を感じていた当時の演奏が、いま聴くととてもいいのですね。そこで少ししみじみしたりするのも、自分を見つめることに入るのでしょうか。