よろめきつつ2016年05月19日 05時42分46秒

10歳歳取って、どうなるかと思いつつ5月に踏み出しましたが、やっぱり影響ありますね・・。

疲れるようになった。外で仕事をして帰ってくると、それからまたというわけにいかなくなりました。夜は、メールを書く気も起こりません。面倒なことでも調べたり片付けたりということができるのは、どうやら朝だけ。「効率のいい」1日をフル回転で過ごしたりすると、てきめんに後に来ます。

まあ、こういう中でやっていくしかないと思うので、工夫してみます。夜はもう疲れているという状況はコンサートにいい影響を及ぼしませんが、伊藤(尾池)亜美さんのヴァイオリン・リサイタルには、元気をもらいました。この方は早晩、スターの地位を確立することでしょう。カリスマ性抜群ですから。

オペラの新演出には概して腰が引けてしまう私ですが、朝日カルチャーの講座で使ったロイヤル・オペラ2013年の《パルジファル》(アントニオ・パッパーノ指揮、スティーヴン・ラングリッジ演出)のすばらしさには、鳥肌の立つ思いでした。

ブックレットにあった演出ノートを訳していき、皆さんと鑑賞。向き合ってみると、テキストの細部までしっかり研究されているばかりか、演出家(と指揮者)の強力な采配で、高度な一体感のある、白熱の舞台が展開されているのです。

デノケ(クンドリー)、フィンリー(アムフォルタス)、オニール(パルジファル)、パーペ(グルネマンツ)といった主役陣も、役柄と作品に分け入って、みごと。哲学者のような存在感をクリングゾルに与えるウィラード・ホワイト、衰えた今だからからこそのティトゥレルを歌える、ロバート・ロイド。脇役に至るまで、考え抜かれた配役です。

新しいものにしっかり向き合うことが必要だという、当たり前のことを認識しました。これがあるうちは、前進できますかね。

古稀になりまして2016年05月02日 05時59分08秒

毎年5月に入ると、歳が一つ増えます。でも今年は、一挙に10歳増えたような実感があります。なぜなら大台に乗って、(あまり口にしたくはないが)「古稀」という段階に達したからです。

最大の慨嘆は、50歳になったときにありました。しかし「60歳よりまし」と思って乗り越えました。60歳の衝撃はそれほどではなく、「70歳よりまし」という思いが、より大きな励みになりました。今回は、「80歳よりまし」という思いが、決定的な励みとなっております。

60歳の時に思ったのは、70歳になったら人生の罪滅ぼしに般若心経でも書き写しているのではないか、ということでした。そう申し上げたところ、「たのくら」の大先輩が「そんなことは絶対あり得ない」とおっしゃったことを覚えています。先って自分にはわからないものですね。確かに、そうなっておりません(笑)。

40歳の時に大病をし、父の71歳を目標に生きよう、と思ってきました。相当近づきましたが、もうこの先は、目標を立てるような時間帯ではないことでしょう。できるだけ本質に集中して、恩返しになるような仕事をしたいと思います。

ギリシャ語が、あるところまで来ました。本当にやってよかったと思っています。しかし恐れていた通りのことが起こりました。ヘブライ語をやらないわけにはいかない、と思うに至ったのです。文字が同じように見えることに、途方に暮れているという段階ですが・・。

夜の新番組2016年04月26日 15時01分51秒

4月から、テレビの番組がかなり変わりました。見とれていた方がいなくなったのは残念(!)ですが、新しい楽しみも生まれてきます。

フジテレビの深夜ニュースにチャンネルを合わせたら、がらりと雰囲気の変わったスタジオが目に飛び込んできました。え、これ報道番組?と思うように柔らかな、憩いの雰囲気。キャスターの女性はまったく知らない人でしたが、この方が、すてきなのですね(汗)。

市川紗椰というモデルさんだとか。ツルッと美しい人はたくさんいますが、この方は表情が豊かで陰影があり、個性的です。ギターとヴァイオリンがお上手のようです。

日本語が聞きにくいときがありますが、頭のいい方らしく、当意即妙に、しっかりしたコメントをされます。よくこんな人を見つけてきたなあ、と思ってネットで番組を検索したら(「ユアタイム」)、視聴率が取れず批判が集中。これにはびっくりしました。

わかったのは、本来ホストに川上某さんが予定されていて、スキャンダルの結果、市川さんの片肺飛行になっていること。なるほど、それなら番組の雰囲気も、ペアの選択もよく理解できます。でも今の形で正解でしょう。慣れたら、とてもいい番組になると思います。

ついでに、キャリア詐称の件について私見を。同情される方もおられますが、私は絶対いけないと思います。このところ、書類審査をすることが多いですが、人事や助成にかかわる、大事な仕事です。これは書類を正しいとして行うわけで、本当かどうかをチェックするすべはないし、ほとんどの方が正直に書いてくださっています。適当でいいじゃないか、となったら、たいへんなことになります。

最後の桜2016年04月13日 10時48分05秒

月曜日から、聖心女子大の授業が始まりました。長く非常勤を務めさせていただいた大学の、最後の年です。

聖心女子大は、広尾にあります。私のルート(往路)ですと、地下鉄を降りて商店街を抜け、小さな門を入る。そこからかなり階段があり、たどり着いた建物の3階に、哲学研究室があります。この標高差が、案外大きい。私は山登りをやっていたので上り下りは平気なのですが、あわてていたりすると、息が切れます。

研究室の副手さん方に温かく迎えられ、支度を済ませて教室へ。これがまたかなり離れていて、聖母マリア像の佇む聖堂の脇を抜け、別校舎の地下にある音楽室まで行きます。そこに学生さんたちが詰めかけていました。

まずすることは、抽選です。音楽室の座席が60しかないので、抽選をして、受講生を決める。私は抽選とかあみだくじとかが好きな方ですが、受講生を決める抽選は、辛いものがあります。落ちた学生さんが、荷物をまとめて去って行くからです。まあしかし神様ないし仏様の思し召しと考えて、後ろ姿を見送ります。でも、ツキの論理があります。私の授業に出なかったからこそ恵まれる別の出会いが、きっとあることでしょう。

こういうこともありますので、授業を一生懸命やらなくては、という思いが募ります。聖心での1年目に、よき弟子に恵まれました。その弟子は国音大学院でモーツァルト研究を専攻し、いま上野学園に勤めています。そんなことを思い出しながら岐路(別ルート)につくと、伝統美あふれる校庭に、八重桜が爛漫と咲いていました。桜は、見納めだと思います。

メンズ館2016年04月07日 10時40分56秒

定職を離れたし、世間のモードも簡素化されているし、ということで、長いこと洋服を買いませんでした。必然的に着古したものをいつも着ていることになるわけですが、おりおりステージに立つ身としてそれではまずいのではないかという反省が生まれ、じつに久しぶりに、洋服(スーツ)を買うことにしました。買う場所は決まっていて、伊勢丹のメンズ館です。

しかし、問題が発生。私はブランドを選ぶほどの知識も才覚も根性もありませんから、着るものはイギリスの安心ブランド☓☓☓☓、と決めていました。ところがそのブランドが、伊勢丹を撤退してしまったのです。さあ、どこに行くか。軒を連ねるブランドの数は多く、どれが自分に向いているか、まったくわかりません。

考えているうちに、凶暴な気持ちが生まれてきました。どうぜ買うのは一着。一生に一度ぐらいは有名ブランドで購入してみようか、というひらめきが浮かんだのです。

私は勇を鼓して、○○○○○という自分でも知っているお店に行き、私のような者でも着られるものはあるでしょうか、と尋ねてみました。長身の垢抜けた店員さんが、もちろんですと、相談に乗ってくれました。

品物を見ると、やはりいいのですね、これが(笑)。しかし、すぐわかるようには値段がついていない。そこで勇を鼓して、選択肢の1つについて、値段を訊いてみました。金額は、☓☓☓☓で買うとき用意する額の1.6倍ほどでした。それならまあ射程内と、私はほっとした気持ちになりました。

さんざん迷った末に、買うものを決定。すると長身の垢抜けた店員さんが、何かコーディネートするものは、とおっしゃいます。私は、どんなジャケットがあるのか見ておきたい気持ちになっていたので、その旨を告げました。するともってきてくれた候補が・・・すばらしいのですね、また(笑)。

勇を鼓してその値段を訊いてみると思ったより安く、スーツの金額と、いくらも変わりません。しかしジャケットとスーツの値段がいくらも違わないのは不合理に思え、問いただしてみると、何たること!私が購入を決めた選択肢は、値段を訊いた選択肢よりもずっと高く、☓☓☓☓で用意する額の2.4倍ほどの価格であることが判明したのです。さまざまな値段のモデルが、混じり合って並んでいたのでした。

私は激しく動揺しましたが、なにぶん一流店に入っていますから、ここで動揺を悟られては立場がありません。そこで、自分でも感心するほどの演技力で、鷹揚に対応しました。長身の垢抜けた店員さんは上客と思われたようで、しごく丁重に扱ってくださいました。

皆様にぜひお伝えしたいのは、このお店を出てから私が襲われた、いわく言いがたい高揚感です。そのあと近くのマッサージ店に行ったのですが、いつものようにリラックスせず、目がらんらんと光っている。血の循環がいいせいか、凝りもいつもほどではない、とのご判定です。

そこで先生(女性)に体験を話し、有名なメンズ・ブランドというとすぐ思い浮かべるところはどこか、と訊いてみました。すると先生はしばらく考えて、「○○○○○とか?」とおっしゃるではありませんか。正解なのです!

治療が終わり、受付にいる快活な女性に、同じことを尋ねてみました。その人もしばらく考えて、「○○○○○とか?」と、同じ答。正解です!ますます気分が高揚して、家路についた私でした。

じつは今日、その洋服が出来上がってくるのです。私の年齢、私の体型でそれが似合うかどうかという、大きな問題がまだ残っています。

失踪する私2016年01月31日 10時14分07秒

30日(土)は、名古屋で起床。前夜は大阪だったのですが、大雪情報がありましたので、名古屋まで戻って宿泊しました。杞憂に終わり、横浜へ。財布が空になっていることをうっかりして昼食に入ってしまいましたが、鞄を探すと500円玉が2つあり、事なきを得ました(ギリギリで危険回避>ダヴィデヒデさん)。

朝日横浜のモーツァルト講座は、いま一番人数が多く、熱気もあるカルチャー講座です。入っていくと、妙に緊張した雰囲気。それは、私がこの日ダブルブッキングで、15時講座終了、16時新宿校でレクチャーコンサート開始、という予定になっていることを皆さんがご存じで、心配しておられるのだとわかりました。私がきりっとした口調で「走ります!」と言うと、走ってはいけません、と皆さん。なぜそうおっしゃるのでしょう。

講座は、前回までやっていた《魔笛》の補遺から。最後に使ったシュタイン指揮の映画版(1971年)がすばらしいということで、いくつかのシーンを補いました。これ、本当にいいですね。ゲッダ、ドイテコム、ゾーティンといった名歌手が朗々と歌い、フィッシャー=ディースカウの弁者は感動もの、エディット・マティス(パミーナ)の美しさは、こわいぐらいです。

続いてクラリネット協奏曲を扱いました。この曲は本来シュタードラーのバセットクラリネットのために書かれたもので、新モーツァルト全集には、失われたオリジナルが復元されています。どの演奏があるかなと手持ちのCDを見直していたら、ザビーネ・マイヤーがアバド指揮のベルリン・フィルと競演しているものが、この稿を見事に演奏していることに気づきました(明記されていない)。普通のクラリネット用に編集した稿と比較すると(当日はシュミードルを使用)、低音域の広々と使われていることが、どのぐらい音楽を豊かにしているかがわかります。もっと広まれ、バセットクラリネット!です。

時間ちょうどまで講座をやり、15:16の湘南新宿ラインに乗って、定時に新宿に到着しました。15:48、残り12分です。到着したホームは駅の南東端なので、北西端の出口に行くまでが、かなりの距離。そこから住友ビル7Fまでの道のりを快走し、無事、16:00の1分前に、会場に着くことができました。当日この時刻に新宿駅西口周辺にいらした方は、颯爽と走る私の姿をご覧になったことでしょう。長くなりましたので、面白かったレクチャーコンサートの話は、次話で。

【付記】タイトル、「疾走する私」と打ったつもりが、変換違いになっていることに気づきました。どうやらATOKが「疾走」という形容を拒否したようなので、このままにしておきます。


やむを得ない質問2016年01月14日 22時15分34秒

年賀状シーズンが、やっと終わりましたね。

私は数年前に勝手ながら年賀状を卒業する気になり、以後、返信しか出しておりません。ですから数は減ってきていますが、それでもくださる方が、目上を含めてたくさんいらっしゃいます(汗)。もちろん、嬉しいもの、なつかしいもの、恐縮するもの等、良きものがいろいろ含まれています。くださった方、ありがとうございます。

でも、年に一度の挨拶習慣が、すっかり空洞化してしまったように思えるのは、私だけでしょうか。なぜでしょうね。季節感と不即不離に形成されていた生活の起伏が、喪失されたからに違いありません。ネットを使っている人ほど、郵便の習慣から離れ、年賀状からも離れやすいのではないでしょうか。

このように流されてしまっている私ですが、こうした合理化がいいことずくめだと思っているわけではありません。日本の文化はなにより鋭敏な季節感を特色としているので、守っていきたいという気持ちはあります。伝統芸能の活力を保つためにも、それは必要なことだと思う。「・・・しているのは先進国では日本だけだ」などというよくある論調の対象に、お正月がなってほしくありません。

結局300通ちょっとの返信を出すことになりました。しかしその中には、相手がわからぬまま出している、というケースが少なからずあります。とくに多いのが、連名で賀状をいただくが、自分の知人が旦那様か奥様かわからない、というケース。年々、増えつつあります(汗)。ツーショットの写真があっても同様なので、万一心当たりのある方がおられましたら、お名前に丸印をつけていただくとありがたいです。

最近あったこと。おいしそうなプレゼントが届きました。状況からすれば、送ってくださった方(男性)とは、大きな接点があったはずです。でもどうしても、そのお名前の方を思い出せないのですね。食べるに食べられませんので、失礼を重々承知で、あなたはどなたでしょうかと電話を差し上げてみました(汗)。すると高齢の方が電話を取られ、話が一進一退となって、確かめることができずに終わりました(大汗)。

これをお読みの方にも、あなたどなたでしたっけ、と質問してしまうかもしれません。でも、わからないままでいるよりお互いにいいと思うので、本当に失礼ではありますが、お尋ねしようと思います。

ヴォルフ著『モーツァルト 最後の4年』日本語版のWEBサイトはこちらです。  http://composed.webcrow.jp/

忍び寄るもの2016年01月11日 23時55分17秒

今日、成人の日は、新宿で用足しがありました。そこへ、知人からモーツァルト本を10冊仲介してくださるという話が入り、昼食を兼ねてお渡しすることに。本すべてにサインして袋に入れ、玄関に置きました。「用足し」の方は荷物がいりませんから、袋の重さは苦にならない、と見当を付けました。

国立からJRに乗り、国分寺で特快に乗り換えます。すると、席を譲られたのですね。見ると、相当いいトシのオジサンで、この人に席を譲られる理由がわからない。私の方から譲ってもおかしくないと思われる方なのです。

固辞しましたが、「私より上でしょうから」と強くおっしゃるので、ご厚意をいただき、座らせていただきました。でもそのモチベーションに、疑問があります。しばらく前にある方から、「先生はまだ譲られないでしょう?」と言われていたからです。「まだ」という副詞がひっかかりましたが、「もちろん」と答えていました。それが譲られたという現実を、どう考えるべきか・・。

座らなくても良かったのは、今日が身軽だったからです。でも座ってまもなく、身軽で良かったのかな、と気が回りました。身軽な理由が判明。本10冊を入れた袋を、玄関に置いたまま来てしまったのです。あわてて連絡を取り、三鷹でUターン。なんとか遅刻20分で、くだんの方とお会いできました。

私のうっかりは、皆様ご存じの通り。でも今日のうっかりはかなり重いのではないかと、瞑目しました。忍び寄るものがあるのではないかと指摘されれば、反論できません。

そんな私がライプツィヒのバッハ祭をご案内するというのでは心許ないですが、例年になく豪華な今年の旅行のWEB案内ができましたので、どうぞご覧ください。

http://www2.asahiryoko.com/djweb/TourDetail.aspx?tc=S27136160000

ヴォルフ著『モーツァルト 最後の4年』日本語版のWEBサイトはこちらです。

http://composed.webcrow.jp/

賢いコインロッカーの利用法(3)2015年12月21日 23時40分34秒

失敗を重ねている人間が訓戒を垂れるのは納得がいかない、とおっしゃるあなた(コメント参照)。私は想定内ですよ。でも伺いたい。人間は、何を通じて学ぶのでしょうか。そう、経験であり、失敗です。失敗を通じてこそ人は学べる、というのは、古今変わらざる世の通説。経験を通じてこそ、人は、コインロッカーについて語れるわけです。

さてさて、利用の最後の段階は、取り出しです。鍵をなくさないように、というのはイロハのイですから、いうまでもないですよね。なくさないように、鞄のポケットに収める、ですって?ダメです(きっぱり)。身につけてください。鞄は、もっていかれる場合があるからです。鞄はなくなるわ、荷物は出せないわでは、せっかくの旅行も、立ち往生になってしまいます。

コインロッカーの保存期限に留意するというのは、久美さんご指摘の通り。長く預けるには空港がお薦めで、駅のコインロッカーは、保存期間が短いです。保存期間を超えた結果、警察が保存し、荷物に税関経由で自分の顔写真が張ってある、なんていう結果になっては最悪。飛行機の時間が迫っていたら、これでアウトになります。

預けたコインロッカーを発見し、鍵をなくしていないことを確認し、無事荷物を取り出したときの安堵感は、相当に大きなもの。海外旅行でとくにそうですが、私は、日常的な利用でもそう感じています。どうやらコインロッカーは、旅に緊張感を与える薬味でもあるようです。(終)

賢いコインロッカーの利用法(2)2015年12月18日 23時24分09秒

さてあなたは、これにしようというコインロッカーを見つけました。百円玉もあります。しかし次に、とりわけ気をつけるべきポイントがやってきます。

それは、預けるべきものを預け、預けるべきでないものを預けない、という選択です。これを、心得の4としましょう。

しめたと荷物を放り込み、ガチャンと鍵をかける。これが最低。なぜなら、あなたはすぐ必要とされるものを預けてしまったかもしれないからです。たとえば、音楽会に身軽で行こうと預けたら、チケットもいっしょに預けてしまった、というようなケース。こうしたことは世の中によくあるのではないかと、私はにらんでいます。すぐ気がつけばいいが、300円が600円になる。気がつかなければ、コンサートの受付で立ち往生します。

あるいは、仕事がはしごになっていて荷物が多く、必要な資料だけもち、次の資料は残していく、という場合。そんなケースではほとんど、少なく持ち、余分に預ける、という結果になります(きっぱり)。あいにくそれに気がつくのは、いざ使う段になってからです。

まあ、でもそれはたいした問題ではないでしょう。次の「心得5」の重要性は、どんなに強調しても、しすぎることはない。それは、荷物を入れたロッカーには必ず鍵をかけろ、ということです。

荷物だけ入れ、鍵をかけ忘れる人っているんですよね。そうしたらどうなるか。預けたはずのDVDやCDは、きれいになくなっているはずです(きっぱり)。しかしその前に、「鍵が見あたらない!」という修羅場が来る。「艱難辛苦、悪戦苦闘、絶対絶命、はたまた孤軍奮闘」(CLAUDIO山田さん)の一幕です。

コインロッカーの前で鍵を探している人って、皆さん、どう思われますか。髪の毛を逆立てて千手観音のように同じポケットを調べ、財布だの鞄の中味だのをずらりと並べている。私は、こういう人を生み出さないように、上から目線で申し訳ないですが、ご忠告申し上げているのです。

私はそんなことにならないように、鍵をもっているかどうか、早めに確認する癖をつけています。先日も新宿駅で、預けていくらも経たないタイミングで確認したところ、どこを探しても、鍵がないのですね。ずいぶん探しましたが見あたらず。もしやと思ってまだそう離れていないコインロッカーに行ってみたところ、荷物のみ入って、鍵がかかっていませんでした。フランクフルトにおける有名な伝説も、言いたくはないが、じつはこのパターンでした(続く)。