これもご縁?2016年11月17日 09時40分39秒

昨日、新宿で《マタイ受難曲》の聴き比べを終え、タワーレコードに寄って、放送や講義で使うCDを集めていました。

バッハのコーナーにいると、声をかけてきた方がおられます。上品な紳士の方。はっきり見覚えがありますが、どなただったかを思い出せないまま、親しくお話ししました。

するとその方が、「事典はもうないでしょうね」とおっしゃいます。ここは本屋さんではないし、何のことだろうと思ったのですが、そういえばそんな話をしたことがあるような気がしてきました。そこで失礼とは思ったのですが、どこでお会いしたか、尋ねてみました。

すると、上尾の教会、とのこと。今月、お話に伺ったところです。そこでようやく気づいたのは、その際に『バッハ事典』を手に入れる方法はないでしょうかという質問をいただいて、家に残部がないかどうか確かめてみますと申し上げ、連絡先までいただいていたことでした。

これはいけなかったと、私は恐縮。調べてご連絡しますと再度申し上げ、連絡先をもう一度書きましょうかとおっしゃるのを辞退して、家に帰ってきました。

これが、再度の失態。たくさんのCDや書類に紛れて、いただいた連絡先が、今のところみつからないのです。もしここをご覧になっておられましたら、ハンドルネームで構いませんのでコメントをいただくか(アドレス記入欄があります)、吉田さんにアドレスを聞いてメールしていただけると幸いです。

この出来事を通じて、自分は同じことをあちこちでしているのではないか、という気が濃厚にしてきました。頼んだのにそれっきりになった、連絡をくれるといっていたのに音沙汰がない、と思っておられる方がたくさんありそうです。

過去に積み重なった失礼はフォローしきれないでしょうが、ダブルブッキング同様、これからは起こらないようにしたいと思います。そのためには、お問い合わせ、ご相談、ご依頼などはメールでいただく、というのが第一。「口頭」はうっかりしたらそれきりですし、電話も同様。手紙形式は、開くのにも、返事するのにも時間がかかります。もう一つ、けっして遠慮なく、ご確認いただくこと。これをお願いしておきます。

ついでに。いま日々の仕事に加えて研究に多大の時間を取られており、興味も義理もあるコンサートに、なかなか行かれない状況です。ですので、コンサートへのお誘いは、間接的な形にとどめていただけるとありがたいです(メールでお断りするのはとても辛いものがあります)。CDは少しずつ聴くようにはしていますが、感想を聞かせてください、となると、対応できないことが多いです。すみません。

タワーレコードでの出来事は、「ご縁があれば再会する」という最近の実感の、一例でもあると思います。

つきまとう言葉2016年11月15日 23時07分48秒

その人その人に、つきまとう言葉というものがありますね。自分は何だろう、と思ってみると、いやな言葉が浮かんできました。多くの人が私に重ねている言葉は、きっと「ダブルブッキング」です。違いますか(笑)。

もちろん、ダブルブッキングをしないように、私なりに努力している。それでも人様に迷惑をかけてしまう、という連鎖の中で、今回のことは起こりました。

朝日カルチャーは横浜と新宿にお邪魔していて、ときどき、犠牲になっていただいています。最近、立川にも伺うようになりました。駅ビルですから至近距離、もっとも便利な仕事場です。

名曲の演奏比較を、いろいろやってみようということになり、土曜日で空いている日を探したところ、3月11日がいい、と決まりました。来年の話です。

対象を《ゴルトベルク変奏曲》に決め、チラシを作成するやりとりをし、プロフィールも、新しいものに直しました。あとは、その日を待つだけです。

ところがふとメールを見返しているとき、スケジュールにこそ書かれていないが、その日は同じ立川で「たのくら」の例会と錦まつりコンサートをすることになっている、と気づいたのですね。わーーーーっ!と思って、担当の方に「まだ間に合いますか」と連絡したところ、すでに印刷中です、というお返事。平謝りで、別の選択肢を挙げてもらいました。平日になってしまうのは、もう仕方ありません。

ところが今日、別の事実が判明しました。11日の土曜日はたしかに当初候補にしたが、出演者の都合で、12日の日曜日に変更した、というのです。メールを見直すと、確かにそう。私は大いに喜び、立川朝日の方に、「大逆転!」と題するメールを打ちました。私を担当される方は、きっと安らぎのない人生を送られるのですよね。申し訳ありません。

さて、ダブルブッキングというのは、普通、同じ日に二重の予定を入れていることをいいますよね。では、一つの予定を二つの日に入れたらどうでしょう。それもダブルブッキングではありませんか?

今日はサントリーの会議が予定されていましたので、家での仕事を打ち切り、出がけに念のため、予定を確認しました。私、手堅いのです。そうしたら、その予定は参加者の都合で11月に延期になったことが判明したのです。空いた時間を私がありがたく活用したことは、言うまでもありません。

もう汚名から逃れようとは思いません。かかわりのある皆様、くれぐれも確認をお願いいたします。

勉強は嘘をつかない2016年11月11日 00時38分19秒

taiseiさん、久美さん、ご感想ありがとうございました。マニアックすぎるかな、と気にしていましたが、こういう情報発信も大切と思うことができました。もうさっそく、来月のための録音です。今度は演奏に焦点を当てていろいろご紹介しますので、ご期待ください。

いまCDの選考をしていますが、今月は年末で量がとても多い上にいいものが多く、難渋しています。しかも、最後に届いたセットものが本命視される内容なので、もう少し時間が必要です。というわけで、今年の学会は現役の人たちにおまかせすることにしました。ごめんなさい。

小野光子さんは国音に学ばれた方ですが、続けておられた武満研究がすばらしい本になりましたね。『武満徹--ある作曲家の肖像』(音楽之友社)です。あらゆる細部に目配りしつつ、信頼性の高い記述が、いい文章で展開されています。勉強は嘘をつかないと、つくづく思います。

〔付記〕深夜こう書いて寝ましたら、美学のゼミについていけないでいる夢を見ました。授業をさぼっては置いていかれ、一応自信のあることに対しても、先輩が「君はこういうことには向いていないよ」というのですね。同傾向の夢は何度も見ています。

ジンクスは日々に2016年11月06日 21時54分26秒

4日(金)、大阪を往復。行きは新横浜から(若干早い)、帰りは東京へ(座って帰れる)というのが、最近の定番です。新横浜で少し時間が取れたので、下車してお店に入り、海鮮丼を注文。

ところが、なかなか出てこないのですね。食べ終わるまで20分を想定していたのですが、10分、15分と過ぎ、ついに20分経っても出てきません。仕方がないので、時間がないので帰ります、お金は払いますので、と言って千円札を出しました。

すると店員がうろたえ、相談している。そこで、注文が通っているかどうかだけ確認してください、と言ったところ、調べた結果は、通ってはいたが、作るのを忘れた、とのこと(笑)。もちろん千円札は引っ込め、走ってホームへ。昼食は駅弁に変更です。

初めにつまずくとその日はいい、というのが、皆さんご存じの私のジンクスです。その日もいい予感がありました。まずいずみホールで、スタッフと打ち合わせ。スタッフがすごく勉強する人たちなので、ディスカッションがいつも盛り上がります。支えてもらっています。

終了後、必要な本を物色しようと、梅田の紀伊國屋書店に寄りました。すると気がつきましたが、この本屋さん、私の本を丁寧に揃えてくれているのですね。感謝。気をよくして文芸書の棚に移動したところ、そう広くないスペースに、篠田節子さんの分厚い単行本が5種類も並んでいたのです。

そこで『冬の光』という15年の新刊を購入し、読み始めました。四国お遍路の出てくる宗教色は篠田さんらしいですが、これが圧倒的な迫力で、やめられない。新幹線、中央線と一心不乱に読みふけり、帰宅後も読み続けて、夜遅く読了しました。読後感爽快、10歳ぐらい若返った気分です。掘り下げた構想といい筆力といい、やはり第一級の作家だと確信します。

翌5日(土)。上尾の教会で、ルターのコラール《いざ来ませ、異邦人の救い主よ》とそのカンタータの話をする日です。電車はどこでもすぐ乗れ、立ち寄ったタイ料理も美味。迷うこともなく会場到着・・って、これはまずいんじゃないの!!

果たして、事前の資料のミスやDVDが映らずといった事態が起こりましたが、大過なく済み、とても熱心に聴講していただきました。

このブログを読んで来られたという近間の方もおられ、国音の卒業生も複数。最近つくづく思うのは、再会は自然に起こるものだ、ということです。別れもありますが、縁があれば必ず再会する。そう思うことで、肩の力がひとつ抜けました。

つながり(マッサージ篇)2016年10月15日 23時02分38秒

今年最大の仕事の集中、厳しいですが、月曜日まで頑張れば一息つけます。なんとか切り抜けられそうなのは、皆様に支えていただいている充実感と、思うに、マッサージのおかげです。

かつて、大岡山の「あんのん指圧鍼灸」というお店に伺っていました。ご夫婦とも正式資格をお持ちのグレードの高いお店で、私の記事を見た方がいらっしゃると、それはそれは喜んでくださいました。

にもかかわらず過去形で書くことになってしまい、申し訳ない気持ちで一杯です(皆さまよろしく)。ある日、ヘトヘトに疲れて、新宿を歩いていました。何かの終了後です。すると道筋に整体のお店があり、吸い込まれるように入ってしまったのです。大手のチェーン店です。

ここは何回かでワン・クールをこなすシステムなので、通うことになりました。どの仕事場からも近く便利で、内容も悪くありませんので、ついつい、ここに居着いてしまいました。

そのうち、上手な先生にいつもお願いできるようになりました。H先生、としておきましょう。ある時私が音楽関係だという話をすると、自分の父がクラシック音楽の愛好家で、バッハが大好きです、とおっしゃるではないですか。では私の名前を知っているかもしれないので、聞いてみてください、と申し上げました。

すると次回、私の読者でいらっしゃることが判明。そこで、一番好きな曲は何か聞いてみてください、と申し上げました。

《マタイ受難曲》が一番好き、という、できすぎのようなお答えでした。もちろん嬉しいですから、私の本を差し上げることにしました。丁寧なお礼状をいただきました。

指名競争になる先生ですので、時間が取れないとき、あるいは曜日を変えたい時に、どうしたらいいですか、と伺いました。そこで推薦していただいたのが、M先生です。この方も、すばらしい先生です。

そのM先生に治療していただいている時のこと。先生が、私の父がクラシック音楽好きで、家の本棚に私の本があった、とおっしゃるではないですか。線を引いて読み込んであり、先生の若い頃の写真がついていた、とこれは余分なお話。H先生のお父さんのことは、ご存じなかったようです。

そこで、どの曲が一番好きですか、という同じ質問をしました。次回の返答は、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番、とのこと。今カルチャーでやっている曲ではありませんか!

この偶然には、本当に驚きましたね。若い方の多く来るどちらかというとスポーツ・美容系のお店で、いつしかお世話になる流れとなった二人の先生のお父様が、いずれもバッハ好き、私の読者であられるとは。しみじみご縁だと思うと、血の循環もよくなってきました。がんばります(笑)。

何を着ていくか2016年09月29日 09時30分30秒

昨28日、国立劇場で、開場五十周年記念式典が開かれました。一応役員の末席に連なっていますので、出かけることにしました。

そこで困ったのは、何を着ていくか、ということです。紋付きに袴、きらびやかな着物の方々がずらり、といったイメージが浮かびますので、着古したものばかりの私としては、着ていくものがありません。

そこで思いついたのが、4月7日の「メンズ館」という談話でお話しした、○○○○○の高級スーツ。高揚感に燃えた買い物になった次第は書きましたが、白状しますと、妻に一発でダメ出しされて、着るに着られなくなってしまったのです。要は、私の体型の問題です。

というわけで半年、それは眠ったままでした。先生、急にお痩せになりましたね、と言われるようになってから着ても意味がありませんので、とにかく一度チャンスを与えよう、と思い立ちました。

体型に合わないと言ったって、人が驚きの目を見張るとか、思わず後ずさりするほどひどくはないだろう、と考えました。幸い知人は少なそうなので、隅で静かに時間を過ごすことにすれば、乗り切れそうです。

皇太子殿下ご夫妻の臨席される、さすがの式典でした。長年ご厚情を賜った今藤政太郎先生が功労者として表彰され、祝賀芸能、とくに、「元禄花見踊り」の華やかさに圧倒されました。

予想通り知人の少ないパーティ会場でスパークリングワインを飲みながら、伝統芸能にももっと時間を使わないといけないなあ、と思うことしきり。前後、とくに違和感のあるまなざしには出会わなかったことを申し添えます。

祝・豪栄道2016年09月25日 22時17分18秒

先のことは誰も予見できない、と思ったのは、豪栄道の優勝ですね。感動的でした。こういうことが起こるから、スポーツは面白い。野球も同じですね。ぶっちぎりだったソフトバンクが追い越され、日本ハムがマジック3なんて、ほとんど信じられないことです。

風が吹いて来る人やチームがある反面、暗転に見舞われる人やチームもある。人生の面白さであり、こわさでもあります。でも相撲取りも野球の選手も、みんな同じことを言いますね。目先の一番一番、あるいは一試合一試合を全力でやっていく、と。

これって、私がいつも若い人たちに言っていることと同じですよね。目先のことをとにかく全力で成功させ、先につなげなさい、というのと。スポーツは、いい教材だと思います。

今場所は、内館牧子さんご推奨の美男力士、隠岐の海が、前半に活躍しました。私も応援していたのですが、どうも大らかな人柄のようで、厳しさが足りないですね。その点、日馬富士はたいしたものです。琴奨菊もパッとしませんが、土俵で両手を回し、琴バウアーで決める動きの流れがとてもきれいで、見とれています。

みんな強い中、生存競争がたいへんですね。だから面白いわけですが。

お疲れ?2016年09月18日 07時57分26秒

職場を離れてから行くことのまれになった立川へ、久しぶりに。改札を少し出たところで、お世話になったかつての同僚と鉢合わせしました。

その方が開口一番おっしゃるには、「お疲れのようですね」と。こう言われることがよくありますので、疲れていないのに言われた時には、「人生に疲れまして」と返事します。「お年を召しましたね」と同義だと考えるからです。

この日もそう申し上げたのですが、その方は急に真顔になり、「お元気でお過ごしだと思っていたのに、どうされたのですか」とおっしゃるではありませんか。これには私も驚き、あれこれ引っ張ってから、「冗談です」と言って落着。どうやら、冗談で済んだものが冗談では済まなくなってきたようです(笑)。

そんな状況ですので少し時間に余裕をもちたいな、と思っていたところへ、ある大学から、後期に急遽一コマ持ってくれ、との要請が。そこで金曜日の午前中に出講することにしました。でもその分、何かを整理しないといけませんね。残り時間に照らして、むずかしいところです。

と書いて気づいたのは、何より部屋を整理するのが先、ということ。昔から散らかし人間なのですが、片付けるのが面倒になっているのが、人生の疲れの余波のようです。

導き?2016年08月16日 22時37分13秒

終戦記念日の月曜日に、ガン検診を予約していました。PET検診というものです。この検診、過去にも受けていて信頼性のほどはよくわからないのですが、父も姉もガンで死にましたし、周囲にも膵臓ガンで亡くなる方が後を絶たないものですから、受けておくことにしました。

前後に待ち時間が出るだろうと、持参する本を決めていました。小説ではなく、キリスト教研究の本です。ところが、うっかり持参を忘却。まあ、よくあることです。

検査が終わり、夕方の予定まで新宿で時間がありましたので、何か代わるものがないかと、めったに寄らないブックファーストに寄ってみました。宗教書のコーナーに行くと、八木誠一先生の近刊が2冊、置いてあります。知らない本でしたが、ひらめくものを感じて、1冊を買いました。

読んでみると、これがすばらしいのですね。今まで読んだどの本とも違う角度から、思いも寄らないことが書いてあります。読んでいるうちに、これはもしかして、私が今まで考えていたことを説明してくれる理論かもしれない、という気がしてきました。

哲学的な内容ですので、じっくり勉強して、吸収できたらと思います。まだ読みかけのうちにこのことを書いたのは、この日の流れが不思議だなあ、と思ったから。いかにも、引き寄せられる導き(?)があったように見えます。どなたの人生にも、たびたび起こっていることでしょうが。

本は『〈はたらく神〉の神学』というものです(岩波書店)。芭蕉の俳句がいくつも引用されているのですが、宗教的視点からのその解釈は心から納得のいくもので、これに触れるだけでも価値があると思いました。

モチベーションがあると・・2016年05月22日 22時40分28秒

よく申し上げるように、最近は準備を、早手回しにするようになりました。かつて常套手段だったのは、急がなくては間に合わない、という形に自分を追いこみ、それで能率を上げる、というやり方。でもそれだと、がんばれずに時間切れ、という危険が大きくなってきたのです。

とはいえ、仕事が続いていて、準備しようにもできないこともある。「よろめきつつ・・」という前話を書いた直後に、それが起こりました。

20日(金)、NHKを2本収録して帰宅。理論的には、もうそれで疲れてしまって・・となるはずなのですが、あいにく、土曜日の準備が完成していませんでした。「たのくら」および、埼玉の教会有志の方々による「ルターとバッハ」研究会の準備です。前者の《魔弾の射手》も、後者のカンタータ第38番も人前でレクチャーしたことがない。とくに後者は、訳の作成から分析、福音書との関係まできちんと調べようと志し、半ばで中断されていました。

まずウェーバー、次にバッハという順序で、夜中の2時まで、準備に没頭。がんばれたということは、モチベーションが高かったということですよね。調べ出すとつい欲が出て、翌朝も2時間、準備に費やしました。

まず、「たのくら」へ。いつもの終了後の会食はあきらめ、移動の途中で軽くラーメンでも食べることにして、学習館を後に。その後20分ほどして、片付け終了後三々五々帰宅される皆さんとすれ違いました。そうなったのは、私がふたたび学習館に向かっていたからです。試奏用に持参したピアニカを忘れてしまい、取りに戻らざるを得ませんでした。

パソコンにピアニカが加わると、荷物が重い。結局お昼抜きのまま、北与野の新生教会に、ぎりぎりに到着しました。入ってみると、とてもいい環境。オルガンから視聴覚まで設備の整った、勉強には理想的な教会なのです。パソコンも、ちゃんとしつらえられていました。そういえば、WindowsかMacかと訊かれました・・(泣)。

司会者挨拶、賛美歌、お祈りと進んで、私の出番です。しかも祭壇でお話しすることになり、罪悪感が倍増。話し始めて、たくさん資料を収集して持ち込んだのはむしろ誤りで、整理と方向付けをしっかりしておくべきだったと気づきました。もう間に合いません。

でも皆さん、温かいのですね・・。私が信者であることを疑う方はおひとりもなく、親密に、同僚扱いをしてくださるのです。「詐称」は、ぜったいしていないつもりですが。私の本をテキストとしてカンタータの研究会をやっておられるオルガニストの方もおられ、これには恐縮しました。秋にもお約束していますので、もっとしっかりやります。

その夜は、疲れすぎてかえって目が冴える、という状況に遭遇しました。一方、モチベーションがあるとまだできる、という自信も。こういう緊張が、大切なのかもしれません。かえって、停滞感を打ち破れたようです。