双葉山2008年02月12日 23時57分14秒

前話で、「未だ木鶏たり得ず」という言葉を使いました。これは、不世出の大横綱、双葉山が、69連勝を阻まれたときに打った電報の言葉です。闘鶏がまるで木彫りのように落ち着いたときに最高の境地に達したという中国の故事を受けて、勝負師は力みのない淡々とした心境に達して、初めて究極の力を発揮できる、ということを言うようです。そういえば将棋の大山名人の著書にも、勝ちたいという意欲が先立つのは力みを生ずるので禁物だ、と書いてありました。

どうしてそういう話題が出てくるかといいいますと・・。療養の間に読もうと、数冊の本を買いました。その中に、『横綱の品格』という、ベースボールマガジン社の新書があった。双葉山の旧著を、大鵬の序文を付けて復刻したものです。双葉山が自分の生い立ちや相撲人生、相撲に対する考え方を綴った本で、おそらくライターが取材をまとめたものでしょう。

相撲の本でも読んでみるか、と軽く買った本ですが、これがすばらしい。努力を重ね、その世界で長く頂点に立った人の尊厳のようなものが、素朴な語り口に満ちあふれているのです。自分に厳しく人にやさしい、まっすぐでおおらかな、日本男性。爽やかで、心が洗われます。

こういう人って、昔の日本にはいたが、今の日本はいなくなりました。彼が活躍したのは、昭和の戦前です。ということは、暗い時代として批判ばかりされる当時の昭和も、今にないよさをもっていた、学ぶべきことのある時代だということになるのではないかと思うのですが、いかがでしょう。

双葉山は56歳で亡くなったそうです。若すぎますね。

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