ソノシート2008年07月09日 23時52分01秒

自分の若かった頃を、今の若い人が研究している、というシチュエーションに出会うようになりました。若い人は当然文献から入るわけで、実感はもっていない。こちらは実感ありありで、そのギャップが面白いです。

そんなとき、オレはそのとき生きていたんだぞ、と威張りたくなりますが、考えてみると、どこまで時代全体を公平に知っていたか、怪しいもの。狭い環境で、自分の関心を追い求めていたに過ぎないからです。そういう意味では、しっかり研究してもらうことで、かえって時代が公平にわかる、ということがあるのかも知れない。大いに研究していただきたいと思います。

学生の発表の中に、「ソノシート」というアイテムが出てきました。学生は、昔そういうのがあったらしい、というスタンスでやっています。でもわれわれはたちまち、なつかし感覚になってしまう。安価なメディアとして急成長したが、限界も多く、長続きしなかったものです。

雑誌の付録に、よくついていたのではなかったでしょうか。私が強烈な印象にあるのは、小学生の頃、雑誌の付録についていたプレーヤー(!)を組み立てたことです。こんなおもちゃみたいなもので音が出るとは信じられず、半信半疑で鳴らしてみると、「京の五条の橋の上、大の男の弁慶が」と、歌が聞こえてくるではありませんか。そのメディアが、ソノシートでした。赤いペラペラのディスクで、いかにも安っぽかったのを思い出します。

〔付記〕意外にこれが、のちのレコード熱の第一歩だったのかもしれません。

コメント

_ たのもー ― 2008年07月10日 01時31分36秒

近頃、若者たち!と話していると、いつのまにかムカシバナシを語っているのに驚きます。
 (←これって嫌われる… (^^;))

先日、ビートルズの話に首つっこんで、
「昔、東芝EMIから出てた国内盤LPは赤かったんだよ」と言ったら、
みな???????という顔をしてました。(←どんな顔?… (^^;))
「ホコリが付きにくいLP」という日本の東芝の画期的な発明ながら、
ガラード社のオートチェンジャーにかからないという理由で海外では相手にされなかったという
哀しい経緯のものです。 (←またムカシバナシ… (^^;))

くにおん図書館でも、もうLPはなくなったんでしょうね。
赤いLP、永久保存の歴史的価値があるんじゃないでしょうか。
(私が死んだら、遺贈しましょう。 ^o^!)

_ <柴> ― 2008年07月11日 00時44分12秒

ソノシートと言えば、昔「月刊アスキー」というパソコン雑誌が、今で言えばOSに相当するようなソフトウェアを、ソノシートで付録に付けたという歴史的事実があります。それをどうやってコンピュータに読み込むのか。今の人はわからないでしょうね(笑)。

ビートルズと言えば、私の持っているLPで赤い半透明なのは、1969年に世界同時発売(当時は画期的?)されたアルバムABBEY ROADだけで、それ以後のLET IT BEも、それ以前のすべてのLPも、不透明の黒です。EP盤やドーナツ盤では、何枚か半透明赤なのがありましたが、LPで赤いのはかなり珍しいと信じていたのですが... オートチェンジャーにかけるのはドーナツ盤のような気もしますが...?

_ たのもー ― 2008年07月11日 02時18分44秒

そうですか、
ビートルズの《プリーズ・プリーズ・ミー》の入ってたのも
赤い半透明なLPだったように記憶してるんですが…

当時、ガラード社のオートチェンジャー機付きプレーヤーは、海外のオペラ・ファンに大モテだったようで、例えば輸入盤の3枚組のLPの1枚目の裏は、なんと第6面になっている(笑)
オートチェンジャーに3枚セットして連続で聴いて、終るとそのままひっくり返して聴き続ける、そいうヘビーな聴き方に対応したものらしいです。
 (このオートチェンジャーに、赤い半透明なLPは適応しなかったと、当時聞いた気がします)
最初はとまどいました。次は、さすが外人は体力が違う!と感嘆したものです。
たしか、海外盤のリヒターの《マタイ受難曲》(旧盤)も、この仕様になってたと思います。

東芝の赤い半透明なLPは、見た目がソノシートみたいで、
(朝日ソノラマから、硬質プラスチック製?の30cm盤が出ていた) あまりに安っぽく、 高級品もどきを愛好する国民性と合わず、そのことが普及にあたっての1番の足かせになったのかもしれませんね。

 (よかった、これでオチがソノシートにつながった (笑))

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