記憶の使い方2009年02月27日 22時28分37秒

皆さん、書き込みありがとうございます。

なるほど、「口が軽い」というのがありますか(国語辞典さん)。しかし「口が堅い」というのもありますね。これはいい意味ですが、しかし口の使用を避ける、という意味が含まれているとすれば、悪い意味を出発点にしている、と言えるかも知れません。「口ばっかり」とか(笑)。

今日、ドクターコースの入試の空き時間、「永久に決別」の話を自慢したのですが、学長も同僚も一笑に付して、まったく信じません。紙の手帳にしたって、記入するのが同じ人間なら変わりない、というのです。くやしい。

わかったことは、私が犯したダブルブッキングの話を、みんなじつに良く覚えている、ということです。静岡に1週間間違えて行き、何かを食べて帰ってきたという話があるのですが、そのときに私が「うなぎを食べた」と皆さんが言う。私は外でうなぎを食べることは滅多にないので、「お寿司ではないか」と反論したのですが、みなさん、「いや、うなぎだ」と断定されます。くやしい。

人間の記憶って、そんなことに使っていいものでしょうか。諸事多難なこの時期に、です。

コメント

_ chu-intermezzo ― 2009年03月04日 10時47分36秒

研究室での楽しそうな(?)様子が窺えて、思わず笑みがこぼれてしまいました。
私は春まで痩せると夫に宣言し、「口ばっかり」と一蹴されました。がんばれとでも言ってもらえれば、やる気も起きるのですけどね(本当か)。
ここは結果出していきましょう!(笑)

「口」がうまい、だと何となく狡猾なイメージがしますが、先生がおっしゃったように「文章がうまい」、あと、「話がうまい」は、褒め言葉のように思えます。「話」は口を使うものですが不思議ですね。これが「うまい話」になると、またちょっと嫌なイメージに変わりますが。

私は自分の「口」が災いを起こすたびに、話題や言葉を選ぶようになって、だんだん口数が減ってきましたが(本当?)、たとえ言葉は上手でなくても、人に対して誠実であろうと思えば思うほど、無意識のうちに言葉を直そうとしてきたように思えます。
何にせよ心が清ければ、と思うのですが、言葉を鍛えることで、人に与える印象はだいぶ変わりますね。
言葉を注ぎ出す口が、誠実なものでありたいと考える今日この頃です。

_ I教授 ― 2009年03月04日 22時02分31秒

「言葉を注ぎ出す口が、誠実なものでありたいと考える今日この頃です。」~すばらしい文章だね。私は、心が清くないからせめて言葉は誠実に、と思っているんだけど・・。バッハのカンタータ第147番に、「口」の考察があります。祝福された口よ・・。以下。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック