声楽曲に歌詞はない2009年07月14日 23時29分28秒

7月9日(木)、いずみホールで、1年ぶりに、「日本のうた」シリーズのコンサートを開きました。作曲家・木下牧子さんをゲストに迎え、木下さんの選による日本の名歌と、ご自身の代表作、そして人気作をたっぷり聴く。そして最後に、当日のピアニストであった加藤昌則さんの作品で締めくくるという趣向でした。木下さん、および出演者と入念に意見交換しつつ、こうしたプログラムを組み上げました。

大学3年生のときの初挑戦曲から最近作まで・・。洗練された木下ワールドの諸作品はいずれも魅力的で、日本的な美の精髄が注ぎ込まれています。ソプラノ、佐竹由美さんの芸術性の高さと安定した技術、バリトン、宮本益光さんの洞察力と性格表現もみごとで、オリジナリティのあるコンサートを作れたと思っています。

やっぱりなあ、と思ったのは、木下さんが詩の選択に大いにこだわり、高い基準で選び抜き、音楽をつけることにたっぷり時間をかけ、磨き抜いていく、ということでした。内外を問わず、多くの作曲家が、そのようにしてきたのではなかったでしょうか。

普通の歌や合唱の練習の場合はどうでしょう。まず階名や母音で歌う。歌えるようになったところで、「さあ、歌詞をつけて歌ってみましょう」ということになる。でもこれだと、歌詞は音符に振られている言葉に過ぎませんよね。実質はあくまで、音楽の方にある。これでは、詩を音楽を通してしか見ないことになります。音楽のついていないときの詩それ自身の美しさや生命力。それを愛するからこそ、作曲家はファンタジーをふくらませて、音楽をつけるのではないでしょうか。

私は、声楽曲に歌詞はないと思う。あるのは歌詞でなく、詩です。詩を詩として、できるかぎり尊重すべきです。外国語の発音を学び、辞書を引いて意味を書き込んでも、詩を生かすことはできません。急に語学に上達するわけにいかないとすれば、必要なのは暗記であり、朗唱です。それをみっちりやれば、語学の感覚はその詩その詩に即して、ある程度身につくものなのです。

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