イエスの「返答」をめぐって2009年07月17日 23時19分26秒

《マタイ受難曲》対訳見直し。第3点が、もっとも重要かもしれません。それは、重大な問いを突きつけられたときにイエスが返す答にかかわります。

イエスは3つの問いに対し、"Du sagest's"と答えます。第1に、「ラビよ、私ですか?」というユダの問いに対する返答(第11曲)。第2に、「お前は神の子、キリストなのか」という大祭司の問いに対する返答(第36曲)。最後に、「お前はユダヤ人の王か」というピラトの問いに対する返答(第43曲)です。

私は、このすべてに「お前(あなた)の言うとおりだ」という訳を充ててきました。字幕は字数を削減して、「そのとおりだ」としています。聖書をよくご存じの方は、この訳に違和感を抱かれたことでしょう。なぜなら、現行の聖書の訳は新共同訳でも岩波訳でも「それはあなたの言ったことだ」となっているからです。ギリシャ語の原典に忠実なのは後者で、イエスの返答が本来単純な肯定ではなく、一種はぐらかすというか、相手に責任を投げ返すような意味合いのものであることは、現代の聖書研究者が揃って指摘していることです。

私もそのことはよく知っているのですが、著書ではあえて、かつての口語訳聖書にあった「あなたの言うとおりだ」系の訳語を採用しました。しかしそれで良かったのかどうか最近ますます気になり、今回あらためて考えてみました。その結果、やはり修正は見送ることにしました。

その第1の理由は、すでに本に書きましたように、カーロフの聖書注解書(バッハの神学蔵書のひとつ)に、たとえば第1の問いに対して「お前の言うとおり、まさにお前がそれだ」という説明があることです。"Du sagst's"に留保の意味合いがあることを示す同時代のテキストに、私はまだ出会っていません。

もうひとつの理由は、バッハが上記の3箇所に、ト短調、ロ短調、ハ短調の明確なカデンツを置いていることです。Duは必ずドミナントになり、sagst'sですべて、主和音に解決しています。これを聴けば単純な肯定としか思えないわけで、聖書をさほどご存じなくて私の字幕をご覧になった場合、「そのとおりだ」に違和感を覚えられた方は、おられないのではないでしょうか。またその方が、文章も素直につながります。

等々、詰め切れぬところも種々ありますが、字幕は公演の理解にずいぶん役立てていただいたようで、ありがたく思っています。完璧に操作してくださったイヤホンガイド社のオペレーター、山内真理子さん(国立音大卒業生)に感謝を捧げます。

コメント

_ こだま ― 2009年07月19日 14時06分55秒

 ご無沙汰しております。
 近年、受難曲はイエス以外の依頼が来なくなって少し寂しいのですが(特に《マタイ》はアリアが魅力的です)イエスをさせて頂く時には私も"Du sagest's"は、それぞれの場面で表現の仕方は変わるものの、「お前(あなた)の言うとおりだ」の訳が一番ふさわしいように思います。この部分に限らず、クリスチャンの指揮者の方と共演する場合(ピラトの性格の作り方など)私の思うバッハの意図と若干の食い違いを感じる事が有ります。
 
 来月1日に紀尾井ホールで《ロ短調ミサ》を歌わせて頂きます、ご多忙とは存じますが、ご連絡を頂けましたら招待券を用意させて頂きます。
http://www.geocities.jp/senri_bach/index.html

_ ダヴィデヒデ ― 2009年07月19日 22時33分19秒

「よくよくあなた方に言っておく・・・」
それまではその様に訳すのが当たり前だと思っていた言葉が、リリング来日の際の角倉先生の対訳(1984年バッハアカデミージャパン資料)には「それはあなたが言った事だ」と訳されていて、日本語としての意味の本質を見失った記憶があります。

対訳はある意味なんの教養も知識も無い人間にとっては頼るべき唯一の道です。
リリングに誰がどう説明したかは知りませんが、27年前のリリングの来日時の対訳集には角倉先生の訳としてこうなっています! であるとすれば先生がこの対訳を用いられるのはごく自然な流れに思えて仕方がありません!

_ ダヴィデヒデ ― 2009年07月19日 22時33分43秒

「よくよくあなた方に言っておく・・・」
それまではその様に訳すのが当たり前だと思っていた言葉が、リリング来日の際の角倉先生の対訳(1984年バッハアカデミージャパン資料)には「それはあなたが言った事だ」と訳されていて、日本語としての意味の本質を見失った記憶があります。

対訳はある意味なんの教養も知識も無い人間にとっては頼るべき唯一の道です。
リリングに誰がどう説明したかは知りませんが、27年前のリリングの来日時の対訳集には角倉先生の訳としてこうなっています! であるとすれば先生がこの対訳を用いられるのはごく自然な流れに思えて仕方がありません!

_ I教授 ― 2009年07月20日 03時02分42秒

ダヴィデヒデさん、書き込みありがとうございます。ちょっと趣旨がつかめないのですが、角倉先生のように訳すべきだ、ということでしょうか。

_ ダヴィデヒデ ― 2009年07月20日 10時10分10秒

良く解らんコメントをダブル送信してしまいましてお恥ずかしい限りです!
主旨は「よくよくあなた方に言っておく」と言う訳はイエスのある種威圧的な言葉の象徴として捉えていた私は、「それはあなたが言った事だ」と言う言葉に、当時若干20代前半の私は、非常な軽さ、無責任さを感じてしまったという事です。

今となってその言葉がイエスから我々に「責任を投げ返すような意味合いのもの」として響いてくるので、角倉先生の訳、そしてその意味合いを決して損ねているとは思えず、且つ我々に解りやすい言葉として先生の充てられた訳は適切だと感じています。

もう数年前でしょうか、先生に「Kyrie eleison」の訳について質問させて頂いた事がありますが、この様な宗教用語(?)の訳に対して浅学な私には語る資格など無いのですが、平たく言えば「ピンと来ない」状態での演奏は結構葛藤があるという事で出しゃばらせて頂きました。

_ I教授 ― 2009年07月20日 12時09分43秒

ありがとうございます。好意的に解釈してくださっていると思いますが、実際には、角倉先生が現在の訳を採られ、私があえて旧来の訳を採っている、ということです。ご指摘の"Wahrlich, ich sage dir(euch)"は、新共同訳では「はっきり言っておく」、岩波訳では「アーメン、私はあなた(がた)に言う」となっていますね。イエスの発言は一定の権威をもって言われていたであろうと想像しますが、それが「威圧的」な面を含んでいたかどうかは、聖書成立時の編集の問題や、翻訳時の敬語の問題もからんできて、むずかしい問題だと思います。

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