性善説/性悪説2010年06月23日 11時05分05秒

「名作」の公開を求める声が届いています。う~ん、どうしましょうか。

その前に、Claraさんのこだわっておられる、性善説と性悪説について、最近の考えを述べておきましょう。

私は、基本的に性悪説です。物心が付き、自分の心を見つめたときに、性悪説以外の選択肢は浮かびませんでした。人さまを観察して、そう思ったわけではありません。オレは人がいい、世の中にはそんなに悪い人はいない、だから性善説、という人に会うと、不思議でなりませんでした。

友人たちも、応援してくれたのですね。私、いい人だ、と言われたことが、ほとんどありません。早稲田の友人など、いつも私のことを、「いい性格している」と言ってくれました。こういう言い方、いけないと思います。外国人が、理解できません。だってこの場合の「いい」は、「悪い」という意味なのですから。

でも、若い頃の性悪説が、しだいに和らいできたのです。人間を理想化するから、性悪説になる。人間がいかに不完全かを実感し、それを赦す気持ちになれれば、性善説もあり得る、と思うようになったわけです。

要するに、性善説は、性悪説を通り抜けた先にしかあり得ない、というのが、私の結論です。その意味では、性悪説もやさしさの根源になりうる、と考えます。

〔付記〕「いけないと思います」というのは、冗談です。コメントをいただきましたので、念のため。