「+1」の日2010年05月02日 13時53分18秒

バロックのオペラや組曲には、最後にシャコンヌとなって盛り上がる曲が多くあります。この4月の幕切れが、ちょうどそのよう。1日も休日のなかった4月の最後に、一番長い日がやってきました。その前提は、この日、はなはだ遺憾ながら私の年齢が+1になったことです。

本当は、親しい方や談話室常連の方が皆さん来てくださる大パーティをすると良かったのですが、準備するゆとりもなく、結局、門下生を中心とする周囲の人たちが、フレンチのお店で「+1」を祝ってくれました。とはいえ、ワインを飲み、クイズなどをしての盛り上がりは大パーティ並み。楽しんでおられる方々を眺めながら、嫌われていたらこうはならないだろうと解釈し、しみじみ感動を覚えました。教員生活の終わりにこういうクラスを作れて、ありがたいかぎりです。

かなり無理を続けたので、連休にはひとつも仕事を入れませんでした。昨日はゲームをしたりテレビを見たりで、まったくの役立たず。少し休みたいと思います。新しい1年も、どうぞよろしくお願いします。

圧巻の《カルメン》2010年05月03日 23時06分45秒

「すざかバッハの会」のサブ企画として、オペラの鑑賞会があります。私が選んだ10曲を鑑賞しておられるのですが、今回はビゼーの《カルメン》。いつも通り、いい映像の推薦と「5つの聴きどころ」情報が依頼されてきました。

まず視聴したのが、オブラスツォワやドミンゴなど大型歌手の出ている、クライバー指揮、ウィーン国立歌劇場のもの。演出はゼッフィレッリです。顔ぶれからして、これが随一だろうと予測しました。

しかし、どうもしっくり来ない。常時「躁」状態、とでもいうような派手な演奏なのですが、あまりにもグランド・オペラ風になっていて、原作の味わいから遠ざかっているのではないか、と思われました。

そこで、ハイティンク指揮、グラインドボーン音楽祭1985年のものを買ってきました。そうしたらこれが、信じられないほどすばらしいのです。オビに「映画を見ているような演出」と書いてありますが、演出家のピーター・ホールがすべての要素を統制して、細部に至るまで作り込んでおり、作品の世界をほうふつとさせる、完成度の高い舞台となっている。兵士も、女工も、酒場女も盗賊も、すべてぴたりと決まっていて、いったいどのぐらいのリハーサルを繰り返したのだろうか、と思うほどです。

歌手も適切に人選されていますが、なんといっても主役のマリア・ユーイングのすばらしさは筆舌に尽くしがたい。女性の色気の、まさに究極の表現です。皆様、ぜひご覧ください。彼女を中心とした緊密なドラマに接するうちに、当初ずいぶん地味に思われたハイティンクの指揮も作品に貢献していることがわかってきました。やはりオペラの価値は、スターの数では決まりません。

「別の生き方」への想像力2010年05月04日 23時43分26秒

誕生日小パーティのさいに、恒例の三択クイズをしました。問題と解答を考えるのはたいへんなので、皆さんから私に質問をしていただき、それに対して三択を用意するという形です。私からすると、若い方々が私から何を訊きたいかに、興味がありました。

複数が競合した質問で、答えをとても考えづらかったのが、生まれ変わったら何になりたいか、今の仕事でなければ何をしたいか、女性になったら何をしてみたいか系の質問でした。

考えてはみたのですが、今の仕事をしている以外の自分が、どうしても想像できません。やってみたい仕事というのも、ひとつも浮かんでこない。今の自分以外、考えられないのです。

それは、私が自分に向いた仕事をしているということでもありましょうが、それだけではないと思う。歳を取るにつれて自分が確立され、不確定部分が排除されていくために、別の生き方に対する想像力を失ってしまうのだと思うのです。若い人たちが何人もそれを訊くということは、彼らの目の前に選択肢が多く、想像力もまた豊かであることを物語っています。

歴史上の作曲家に会えるとしたら誰がいいか、今バッハがお祝いに来ているが何をプレゼントするか、といった質問もありました。私の答えは簡単で、別に会いたくない、というもの。かくも想像力を失っているのです。そういえばずっと若い頃には、バッハの演奏風景を一度見たい、と熱望した時期もありました。その後、アインシュタイアルフレート・アインシュタインの考え方に従って作曲家を現実の人格と叡智的な人格に分け、後者を追究するうちに、いつのまにか、それで十分だ、と思うようになってしまったのです。これも、加齢のひとつの形かもしれません。

5月のイベント2010年05月05日 22時54分06秒

連休が終わりますね。今月のスケジュールをお知らせします。

8日(土) 14:00から東京音大で、日本音楽学会の関東支部例会があります。お膝元からは小泉香さんが、湯浅譲二について発表します。同日の夜は18:30から東大和市民会館で、「オペラの楽しみ」という講演をします。詳細はこちらhttp://music.geocities.jp/higashiyamatochor/をどうぞ。

9日(日)は午後2時から国立の一橋大学佐野書院で、《ヨハネ受難曲》公演(渡邊順生+ジョン・エルウィス)のためのプレトークをします。実演付き。加えるに渡邊さんがご自慢のリュート・チェンバロを持ち込まれるという豪華版ですが、定員40名では、もう満員ですね、きっと。如水コンサート企画の主催です。

14日(金)から16日(日)までは、日本音楽学会の国際若手フォーラムが、慶応大学日吉キャンパスで開かれます。テーマは”Beyond Boundaries: A Perspective for the Future of Musicology ”で、こちらに案内がありますhttp://wwwsoc.nii.ac.jp/msj4/ifym/index.html。どなたでも参加できますので、興味のおありの方はぜひご参加ください。

22日(土)13:00~は、朝日カルチャー横浜校のバッハ講座で、今月は「無伴奏チェロ組曲~変遷するイメージ」というテーマで行います。

29日(土)は上記《ヨハネ受難曲》の本番が横浜でありますが、その日のトークは朝岡聡さん。私は30日、日曜日の国立公演(一橋大学兼松講堂)の方に、プレトークで出演します(14:15より)。じつはこれがダブルブッキングでした。キャンセルの発生した方面の方々、まことに申し訳ございません。

テレマンもいいですね2010年05月07日 00時41分26秒

連休が終わり、NHKの収録から、仕事が始まりました。聖霊降臨祭の週の最後の2日(5/28、29)分で、シュテルツェル/バッハの重さから脱却しようと、テレマンを取り上げました。

29日は《パリ四重奏曲》の特集。これはもちろんテレマンならではの世界なのですが、28日の初期作品の特集が、自分としては面白かったです。10代後半、ヒルデスハイム時代に書いたカンタータなんて、天才的ですよ。ライプツィヒ大学の学生だった時代のカンタータも重みがあり、テレマンが基本的には、ルター派教会音楽の正統を受け継ぐ力量の持ち主であったことを窺わせます。どうやら年を重ねるにつれて、楽天的になっていったようです。私もそうかな。

昨日も石丸電気に行って、輸入盤のCDをたくさん集めてきました。プログラムを作るにあたって幅広く耳を通しますから、とても勉強になります。知られざる演奏家による信頼のおける録音が、ずいぶんあるものですね。ペーター・ヴォルニーやクラウス・ホーフマンのような一流の人も、よく解説を書いている。面白いものを、たくさん紹介してゆくつもりです。

続・言葉のズレ2010年05月08日 00時17分01秒

誕生日小パーティのさいに、寄せられた質問をもとに三択クイズを作った、という話をしました。じつはクイズには続編があり、それは私が、その問題を誰が作ったかを当てる、というものでした。私は熟考し、自信をもって解答に臨んだのですが、結果は惨敗。当日、皆さんが一番楽しまれた一幕になりました。チクショー。

その中に、先生は意外におしゃれのようですが、いったいクローゼットの中に何本のネクタイがあるのでしょうか、という問題があったのです。私は、「クローゼット」などという言葉を使うのは女性に違いない、と断定。その上で推理を展開したのですが、じつは男性の出題だったとわかり、仰天。え~、男がクローゼットなんていう言葉、使うの?と叫ぶ私。すかさず、それは世代によるのだ、という女性からのフォローもありましたけど。

割り切れぬ気持ちを引きずったまま、今日もその話をしていました。すると相手の方の曰く、クローゼットと言わないとしたら、先生は何とおっしゃるんですか、と。もちろん洋服ダンスだ、と言って、はっとしましたね。箪笥という言葉、最近聞いた記憶がない。しかも「洋服」というのは・・・(「言葉のズレ」参照)。

ネクタイが数百本、という私の解答は、皆さんに驚きを与えたようです。でも、1年に10本入手したとしても、40年締めていれば、400本です。不思議はありません。

相づちは必要か2010年05月09日 22時40分53秒

テレビを見る(=かけておく)のは昔からですが、見る番組は、大きく変わってきました。最近は、自分でも驚くのですが、報道番組ばかり見る。どの局も、わかりやすい解説を心がけているようで、報道にちっとも興味のなさそうな若いタレントに論評させるような番組も、よく見かけます。

これ以上わかりやすいのはない、というほどかみ砕いた解説を売りにする、ある報道番組。タレントが大勢、聞き役になっています。するとこの外野席が、やけに相づちを打つのですね。「へえ~」「そっかあ」「ほーー」などと、休みなく反応する。これって、絶対やらせですよね。大学の授業で学生がいちいち「へー」「ほー」と相づちを打つことなど、考えられません。

なぜ、相づちが必要なのでしょうか。盛り上げ役?権威付け?感心できませんね。そこには、批判的に聞く知性が、まったく介在していないからです。

世相や社会の出来事を解説するとき、答えは1つではありません。どんな権威を招いても、人によって言うことは違いますから、それぞれを参考にしながら、何が正しいのかを考えていかなくてはならない。話す方も、そういう聞き方をしてくれると思えばこそ、個人的な意見も主張できるわけです。口々に「へー」「ほー」と言って欲しいと思う人は、いないと思う。視聴者を尊重していれば、こういう番組作りはできないはずなのですが。

「考えない」傾向2010年05月10日 23時52分11秒

「相づち」への書き込み、ありがとうございます。皆さんが指摘しておられる番組の「考えさせない」傾向は、世間の「考えない傾向」とひとつのもので、学問の世界にも浸透しています。じつを申しますと、「考えることを怠る」研究に接することが増えたような気がしてなりません。私は、研究においてもっとも大切なことは「頭を使う」ことだと思っているのですが。

例を、2つあげたいと思います。第1に、アンケートの報告のようになっている論文。客観的な材料を得るためにアンケートが必要な場合はもちろんあり、心理学的な問題提起をしている場合には、その重要性は高まることでしょう。しかし、アンケートはあくまで材料であって、論文は、そこから始まるものです。結果をどう読み取り、そこからどんな洞察を得るか。でもじっさいには、このテーマにしよう、じゃアンケートで意見を聞こう、結果をまとめよう、という形でできあがる、安易な論文が多いのです。「考える」労力を払っているのは、アンケートを書いている側だ、と思うことさえあります。

第2の例は、教えられた方法によってひたすら対象を分析したり、調査したりしているものです。じつはこうした論文は相当に多く、まじめな学生がかなりの労作を仕上げる場合もある。しかし私は、自分の採っている方法を反省したり、方法を改良したり、新しい可能性に気づいたりという発展がなく、ただ1つのパターンを黙々とやっているのでは、手を使っているだけで、頭を使っていることにはならないと思うのです。厳しいかもしれませんが、そのことを強調したく思います。

研究は、多少とも、クリエイティヴなものであるべきです。そのためには、頭を使うことがなにより必要だというのが、私の考えです。

クリエイティヴとは2010年05月11日 23時49分41秒

pomさんにいい質問をいただきましたので、「クリエイティヴ」な研究とはどういうものを言うのかについて、自説を述べさせていただきます。

クリエイティヴな研究とは、対象について新しい見方、考え方を提示するとともに、それ自身、発展する可能性を秘めているものです。対象がそれ自体新しいか古いか、過去に研究されているかいないかとは、まったく関係がありません。

「論じ尽くされた」対象を扱ったのでは、クリエイティヴな研究にならない、と思われるかもしれません。しかしすぐれた古典に、「論じ尽くされる」ということはあり得ないのです。プラトンでも聖書でもバッハでもゲーテでもいいですが、偉大な古典は無尽蔵な教えを含んでおり、つねになにか、新しいことを教えてくれるものです。だからこそ歴史を超えて残ってきたし、研究もまた、更新され続けているわけです。逆に言えば、研究が更新されることが、古典をしかるべく受け継いでいく条件になる。その意味では、若い世代のバッハ研究家があまりいないことを、残念に思っています。バッハにおいて研究すべきことは山のようにあり、その多くは、まだ研究されずに、研究者を待っているのです。

「オーセンティシティを求める研究」(pomさん)は、オーセンティシティという切り口から新しい視点を求めていくものなので、きわめてクリエイティヴであり得ます。そういう研究が、古楽の隆盛を支えているわけです。「伝統を守ろうとする態度による研究」はどうでしょう。伝統を守ろうとすることが言論の前提であり目的になっているということですと、学問でなくイデオロギーと呼ぶべきだと思います。自分自身の立場に対する十分な客観性と批判が存在すれば、伝統護持の主張も、クリエイティヴな提言たり得るのです。

国際イベント進行中2010年05月15日 23時47分41秒

金曜日から、日本音楽学会が主催する『国際若手フォーラム』が始まりました。その趣旨や内容を本格的に紹介することはそのホームページやWEB発信にお任せし、まったく個人的な雑感のみを書きます。もちろん、関係の方々の絶大なご尽力に心から感謝した上でです。

国際交流や国際的な情報発信は学会の生命ですから、イベントが立派に走り出して、本当にうれしく思っています。しかし、ただ喜んではいられません。会長として祝辞を、今回の公用語である英語で述べなければならないからです。本欄でも再三記しているように、私は英語が大の苦手。とはいえ、日本の学会の会長は英語もしゃべれないのか、となりますと、私が恥をかくだけではすみません。しかも先代の会長、金澤正剛先生は、研究発表が途中から英語になっていたのを気づかなかったという逸話をお持ちなほどの、英語の達人なのです。私の苦しい立場をご想像ください(汗)。

年が明けたらまたテープ学習をしよう、と思っていたのですが、今年はまったく余裕のないスケジュールとなったため、ついに特別な勉強もしないまま、当日を迎えてしまいました。できないことはできないと認めてしまえば楽になれる、とも思いつつ、それではいけないなどと思い返したりするうち、日が過ぎてしまいました。

もちろん、気の利いた挨拶を英文で書く力量はありません。そこで、旧知の「コングレ」に、英訳を外注。さすがにみごとな英文が送られてきました。すごい英語で意味がわからず、辞書を引いてやっと納得するところもあちこち(笑)。一応、読む練習だけはしておきました。

慶応大学日吉キャンパスの準備は万全で、なんと、インスブルックにいる国際音楽学会の会長と、ネットでつながっている。先方から「礒山先生!」などと声のかかる、恐ろしい状況です。原稿は意外にすらっと読めてしまったのですが(笑)、それはそれで誤解を作り出しますので、一長一短です。続いて参加者の自己紹介が始まりました。皆さんぺらぺら。私はもう、自己嫌悪です。

英語がほとばしるように飛び交うセッションが活発に行われ、終了後、レセプションとなりました。土曜日は所用で欠席しましたが、日曜日はフル出席します。英語万能の時代に私などが会長でいいのか、という重い反省を、心から消すことができません。