古典の価値2010年10月21日 11時20分14秒

モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の研究を進めるためにはセネカの研究が不可欠だと思うに至り、少しずつ始めています。

立川北駅(モノレール)そばにあるオリオン書房は近郊屈指の書店で、諸分野の全集など硬派の本を、広いスペースに並べています。そこからローマ古代やルネサンスに関する本をまとめて買ってきましたが、ローマ古代の文献は主として、岩波文庫の復刻から手に入れることになります。

セネカにしろキケロにしろ、ひもといて思うのは、先達の方々の翻訳が、じつに立派なことです。古代の書物の翻訳には多大の困難が伴うに違いありませんが、それらがみな、詳細な訳注とともに、わかりやすい日本語になっている。こういう仕事をされる方々は膨大な勉強を積み重ねておられるはずですが、時流に乗る性質のものではありませんし、年月をかけた成果も、大衆的な書物の洪水の中でアップアップしている、というのが現実ではないでしょうか。

翻訳というのはこういうものをこそやらなくてはいけないのだなあと思ううち、古典が忘れられていく知の現状を憂える気持ちが生まれてきました。

続・古典の価値2010年10月23日 09時58分54秒

古典の価値について書いた直後に、大学や知のあり方が今後どうあるべきかを論じた文章を読む機会がありました。権威のある審議会の出した報告書の一部です。

こういう文書をまとめる人もたいへんだなあ、という思いもありますが、それは別として・・・。論旨の骨格にあるのは、世の中がこれだけ大きく変わっているのだから、大学も変わって行かなくてはならない、知の枠組みも時代に合わせて一新しなくてはならない、という考え方であるように読めます。たしかにこういう意見はよく見聞きしますし、本も出ていますね。

昔は、そうではありませんでした。時流に迎合せずに、時流を超えた価値を求めていくのが大学であり、学問でした。その姿勢の中に、古典が位置づけられていたわけです。

「象牙の塔」という言葉もあり、両者は一長一短でしょう、きっと。しかし社会とともに大きく変わることが組織的に提唱され、評価作業などによってそれが圧力になってくると、悪い面の方が多くなるのではないでしょうか。私は、究極の価値というのは人間を超えたものだと思っているので、人間たちによって作られる社会が基準を動かすことには、強い疑問を感じます。転換期にいつも出現した「古典に帰れ」という価値観は、21世紀には出現しないのでしょうか。

明日(24日)18時から、アーノンクール指揮《ロ短調ミサ曲》の生放送(FM)にゲスト出演します。

円熟の極み、アーノンクール!2010年10月24日 11時37分46秒

久々の生放送。行く前はもうあまり緊張することはしたくないな、と思っているのですが、始まってハイになると、やり甲斐に動かさている自分に気がつきます。《ロ短調ミサ曲》の作品と演奏に対するコメントですから、どんな方向から振られてもだいたい大丈夫だと思っては臨みましたが、そこはナマの恐ろしさ。何が起こるかわかりません。

放送でも申し上げましたし、批評にもまとめますが、80歳のアーノンクールが長身をステージにあらわしただけで、客席の姿勢が改まりました。たいへんな存在感です。演奏は、従来の観念を改めるようなものでした。情報量極大の雄弁なスタイルが後退し、聴き手が静かに耳をそばだてるような、奥行きの深い、滋味豊かなものになっているのです。円熟をさらに極めたアーノンクールの指揮によってバッハの究極の作品を聴く、忘れがたい一夜でした。

なかなか完璧の期しがたい生放送で反省もいろいろ残りましたが、NHKの方々が感動的な放送だったと真顔で言ってくださったので、ありがたくいただいて帰宅しました。もちろん、名演奏あってこそなしえたことです。いずれにしろ、《ロ短調ミサ曲》の存在が、私にとって、日に日に大きくなってきています。この曲の研究と上演を、これからの課題としたいと思います。

車内風景2010年10月27日 05時46分23秒

電車に乗ると、ほぼ全員が携帯に見入っている光景に出くわします。これだけもっている割には会話をしている人の数が少ないのは日本人のマナーの良さだと思いますが、会話をしている剛の者の数も、着実に増えているように思われます。

深夜だとその数が増えます。先日、酔っているとおぼしき若い女性が喋りっぱなし、という光景に遭遇しました。どんな相手と話しているんだろうと思ったら最後に曰く、「なんだ、同じ電車じゃん!」ですって(笑)。

別の日の朝には、次々と商談の電話をかけている人に遭遇。社内的には傍若無人ですが、会話の言葉は折り目正しく丁寧です。これは確信犯に違いありませんが、割り切ってしまえば、同僚にずいぶん差を付けられるでしょうね。それとも会社から、遠慮なく電話して仕事を進めろ、と言われているのでしょうか。

持っているが会話しない、という大多数の人の存在を考えると、私なら、こわくてできません。

オペラ制作スタート2010年10月29日 12時10分11秒

27(水)、28(木)の両日、モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》の稽古に入りました。とりあえず準備のできたところを聴かせてもらいながら、できる範囲で指導したところです。ドクターコースの学生を中心にみな一定の実力を備えているので、かなりのところまで行くのではないかと楽しみです。キャストを発表します。

幸運の神フォルトゥーナ/小姓  川辺茜(ソプラノ)
美徳の神ヴィルトゥ/侍女     山崎法子(ソプラノ)
愛の神アモーレ           高橋幸恵(メゾソプラノ)
将軍オットーネ/乳母アルナルタ 湯川亜也子(メゾソプラノ)
ポッペア                阿部雅子(ソプラノ)
皇帝ネローネ             内之倉勝哉(テノール)
皇妃オッターヴィア          高橋織子(ソプラノ)
哲学者セネカ             狩野賢一(バス)
ドルシッラ               小島芙美子(ソプラノ)
ルカーノ                小堀勇介(テノール)
美の神ヴェーネレ          大峡喜久代(特別出演)

ヴァイオリン     渡邊慶子、大西律子
ヴィオラ・ダ・ガンバ 平尾雅子
指揮・チェンバロ   渡邊順生
音楽監督・演出    礒山 雅 
12月26日(日) 14:00 須坂メセナホール小ホール
主催 すざかバッハの会

一応演出なので、イメージを温めています。プロローグにおける3神の争いをどうするかがまず問題ですが、「幸運」をど派手に、「美徳」を超みすぼらしく、という発想で、衣装のアイデアを求めてみました。するとある学生の曰く、「幸運」は小林幸子(歌手)をモデルにしたらどうか、と(笑)。まあ、楽しくやっております。