1つの劇的結末2011年03月15日 23時49分08秒

静岡に地震があり、だいぶ揺れました。心が休まりませんね。被災地の方々、決死的作業にあたっておられる方々、本当にお疲れさまです。小林君、現地に入るのですか!がんばってくださいね、お願いします。

東北の状況が気がかりだったのは、私の論文弟子に、2人、東北出身の方がいらしたからです。そのひとり、すばらしいソプラノ歌手の髙橋織子さんは、岩手の出身。岩手は被害甚大のようだったので、私は早速メールを入れてみました。すると、盛岡の両親は無事だが、宮古の病院で働いている弟さんと連絡が取れない、とおっしゃるではありませんか。これには私も、肝を潰しました。

病院は高台にあるそうですが、宮古は、町がなくなるほどの直撃を受けているとか。ご承知のとおり携帯電話が通じないので、連絡の手段がないわけです。お姉さん、さぞ心配なさったと思います。

2日後、連絡が来ました。新聞の号外を見たら、その写真に、救護に働く弟さんが写っていた、というのです。その後、電話連絡もとれた、と伺いました。ドラマティックな結末。こういうお話が、少しでも増えるといいなと思います。

学内立ち入り禁止のお知らせ2011年03月18日 15時44分00秒

皆さん、無事お過ごしでしょうか。停電、交通など種々の理由から、学内立ち入り禁止になったそうですので、私からもお知らせします。必然的に卒業証書の授与も延期になりました。卒業生の方々、お気の毒です。(と書いて、私の大学卒業の時にも、卒業式が中止だったことを思い出しました。)

いろいろ書きたいこともありますが、当面は、災害の復旧が少しでも迅速に、幅広く進展することを、皆さんとご一緒に祈願したいと思います。日本人が粘り強く公共心をもって対処していることが外国メディアから賞賛されているそうですが、私も、本当にそう思います。

大阪のコンサート2011年03月20日 11時40分30秒

皆様、その後いかがお過ごしでしょうか。被災の方々には、あらためて、お見舞い申し上げます。

東日本のコンサート、イベントは、3月はあらかた中止となり、4月に焦点が移ってきました。しかし西日本は、今回は被害の局外になりましたので、いずみホールでもほぼ平常通り、予定が消化されています。したがって、21日(月)16:00からのバッハのオルガン・コンサートと30日(水)19:00からの「日本のうた」は、いずれも予定通り開催されます。私も参ります。

バッハのオルガン・シリーズ、今回はハンブルクのヴォルフガング・ツェーラー教授の出演です。ツェーラーさんは東日本で2回のコンサートが予定されていたのですが、いずれも中止になりました。それでも、日本の方々に音楽を通じて元気を贈りたい、というお気持ちから、大阪だけのために、来日してくださることになりました。ドイツの人たちは原発の問題にはひじょうに敏感で、それはツェーラーさんも同じなのですが・・・。

ツェーラーさんのお話を伺うと、やはり、音楽を神様のためにやっている人だな、と感じます。音楽をその場の人が楽しむだけのものだと考えてしまうと、こんなとき、何もできません。集まった人々と場を共有しながら、音楽をもうひとつ上の次元に向けて響かせること。これはまさに、バッハがやっていたことです。コンサートではホールが災害支援を呼びかけますので、私も、そのつもりで参ります。

ツェーラーさんのコンサート2011年03月23日 17時34分20秒

21日(月)、バッハの誕生日にいずみホールで、ご案内したヴォルフガング・ツェーラーさんのオルガン・コンサートが開かれました。最初に、大震災の犠牲者の方々を偲んで、黙祷。関西の方々は皆さん震災経験者ですから、よく状況を理解してくださり、義援金にも多大のご協力を賜りました。ありがとうございます。

このシリーズでは毎回ステージでインタビューをするのですが、ツェーラーさん、こんなときわざわざ日本に行かなくても、とずいぶん言われたそうです。直接復興のお手伝いはできないが、精神的に深いバッハの音楽を通じて霊的な側面から貢献したい、というお気持ちを述べられ、ほぼ満員の場内から、大きな拍手が湧きました。

客席に有力なオルガニストの方々の姿が見られたのは、ツェーラーさんに対する専門家筋の評価の高さだと思います。まだ若いのにたいへんな水準をもっておられ、いずみホールのオルガンが、これまでの誰とも違う、すごい鳴り方をしていました。単に音色の選び方が違う、というのではなく、根本的に器が広がるような鳴り方なのです。《クラヴィーア練習曲集第3部》の全曲演奏はさぞ負担のかかる大仕事だと思いますが、精密、正確な名人芸で、後半、フーガへ向けての盛り上がりは圧巻でした。

翌日は、日本オルガニスト協会と連携しての、マスター・クラス。ふだんは口数の少ない方とお見受けしましたが、レッスンでは一転して論理明晰、みごとなレッスンです。何より、作品の構造への視点が研ぎ澄まされていて、作品全体の中でどの部分、どの音がどう弾かれるべきかについて、理にかなった洞察をしておられるのです。全国から受講生が集まったのも、むべなるかなと思いました。

震災後の復興に向けて、大阪の方々からアドバイスをいただきました。それは、「お金を使え」ということ。義援金のことではなく、その後の消費活動のことです。震災後はどうしても、外食すら慎むようになりますよね。でもずっとそうしていると経済が収縮してしまい、復興の基盤ができなくなる、というご意見を、何人もの方から、異口同音に伺いました。なるほどと納得したのですが、帰ってきてみるとテレビでは、「今私にできること--必要もないのに買うのをやめよう」というコマーシャルが流れています。どうなんでしょうね。

平常化2011年03月25日 22時49分48秒

大学が、平常に戻ることになりました。月曜日からは、学生の出入りも自由になります。4月1日から、行事などは簡素化しながら、また停電の合間を縫いながら、授業をしていきます。

やはりこれからは、それぞれが自分の持ち場をしっかり守って仕事をすることが大事になると思います。みんなでここまで育ててきた音楽文化を停滞させないように、そして社会へ成果をしっかりと還元できるように、がんばりましょう。

「バロックの森」が変わります2011年03月26日 23時50分15秒

朝6時からのNHKFM「バロックの森」を、1年間やってきました。この4月から、タイトルが「古楽の楽しみ」に変わります。バロック限定ではなく、中世、ルネサンスの音楽を積極的に取り入れていこう、という趣旨です。

時代の流れで、それもいいと思いますが、困るのは、私が基本的にドイツの担当であることです。シュッツが「音楽の父」と言われるぐらいで、ドイツの中世、ルネサンスは、とてもイタリアやフランスには及びません。CDも少なく、結局、バロック中心でやることになりそうです。事実、改題前に内定していたプログラムは、バロックのものばかりです。

来週は、「トーマス・カントルの音楽」という特集をお届けします。月曜日はバッハと、シャイン。火曜日は、クニュプファーとシェレ。水曜日は、クーナウ。木曜日は、バッハ。金曜日は、バッハとドーレスです。従来は土曜日もやっていましたが、4月から、土曜日は、皆川先生の「音楽の泉」の、FM再放送になります。

このように構成してみると、ライプツィヒの教会音楽の系譜が具体的に把握できて、とても勉強になります。とくに、今まで関心をもっていなかったドーレス(バッハの弟子で、次の次のカントル)の作品が面白く、モーツァルトの聖トーマス教会訪問の逸話が、身近に感じられるようになりました。

収録は、だいたい数週間前に行います。したがって来週の収録は、今月上旬に終わっていました。ですから、番組の中で被災のお見舞いをすることができません。また選曲やコメントが時節柄適切かどうか、心配にもなってきます。もちろんその心配は番組のスタッフもなさっていて、結局クーナウの聖書ソナタを、Aの曲からBの曲に変更しました。

その過程で考えたのは、どういう音楽がふさわしく、どういう音楽がふさわしくないか、ということです。これは音楽の本質論にかかわることで、私にも意見がありますが、放送の公共性に鑑みると、どう受け取られるかという「見え方」も、無視できない要因です。いろいろ考えさせられ、これも勉強になりました。このことは、どの番組でも起こっていることだと思います。

テレビ雑感2011年03月28日 11時59分06秒

私は平素時間の節約を心がけています。そういうとき辛いのは、同じ話を何度も聞くことです。職場の会議では、それをせざるを得ないことが再三あり、なかなか辛いな、と思いつつ、がまんしています。

それもたいしたことないな、と思うほど、テレビで、同じCMが流れていますね。どれも理想主義的なほのぼのCMで、ごもっとも、と思う気持ちが強いだけ、もうわかったから、という気持ちになってしまいます。どういう人が作っているんでしょうか。感動して見ておられる方はそう多くないのではないか、と思えるのですが。

海外の友人から心配の連絡が来ますが、一様に原発の被害に対する厳しい見方としていて、驚かされます。優さんがご心配の風評被害もたしかに大きな問題ですが、大丈夫だ、ただちに健康被害はない、という現状判断ばかりの情報開示の仕方も、受け手を信頼しているとは思えません。危機管理というのは悪い選択肢に備えるものだと思っているので、大丈夫だという判断ばかり強調されると、危機管理の不在、という印象を抱いてしまいます。

サントリー音楽賞2011年03月29日 11時44分26秒

朝日新聞にはすでに掲載されましたが、今年のサントリー音楽賞を、渡邊順生さんが獲得されました。チェンバロ演奏、フォルテピアノ伴奏といった活動はマイナーといえばマイナーですので、メジャーな音楽家がたくさんおられる中で渡邊さんが獲得されたことは、推薦者の私にとってもまったく予想外でした。選考委員の先生方に敬意を表します。渡邊さんがますます充実した活動をなされるよう、期待しています。

音楽の灯2011年03月31日 11時59分48秒

関西の温かい聴衆のご支援で、いずみホール「日本のうた」企画、30日に実施できました。花岡千春さんのすばらしい復元と伴奏に支えられ、三原剛、石橋栄実、小堀勇介の3歌手が大熱演。感動的なコンサートになりました。

「クラシックな歌謡曲」の第2回で、昭和20年代、30年代、40年代、「時間」にかかわる作品、の4部構成としたのですが、昭和20年代の歌謡曲について感じたことを、ちょっと書かせてください。

今回取り上げたのは、《港が見える丘》(平野愛子)、《青い山脈》(藤山一郎+奈良光枝)、《ダンスパーティーの夜》(林伊佐緒)、《君の名は》(織井茂子)の4曲でした。どの曲も体に染み入るように覚えていて、その中にはカラオケで最初に歌った曲(→君の名は)も含まれています。

ムーディな曲、軽快な曲、洒落た曲などさまざまですが、どの曲にもしっとりした大人の情感がある。そしてコアな部分に、深い悲しみがひそんでいるように思えるのです。昭和30年代の夢美しき歌謡曲とは、まったく違う世界。どう考えてもそこには、生々しい戦争体験が反映されているように思えます。この世の果てを見てしまった人でなくては書けない詩、作れない音楽が、そこにあるのです。

そこで思ったのは、こうした歌が当時の人々にどれほど共感され、その心を慰めたか、ということです。ですから、音楽の灯というのは、絶やしてはいけないのだと思います。たいへんな時に音楽の発信力を保ち、音楽文化のレベルを保つよう努力するのは音楽に関わる者の責任ですが、社会にも、そのあたりの理解はぜひいただきたいと願っています。