今月のCD2011年11月21日 22時49分52秒

今月は、メジャーなレーベルにいいものが揃っていましたので、ご案内します。

なにより、ジンマン指揮、チューリヒ・トーンハレ管による、シューベルト 《未完成》その他(RCA、2,520円)。作品をまったく新しい角度から聴かせる、クリエイティブな演奏です。

帯に、「史上最速?」と書いてある。たしかに速く、3拍子が1拍子に聞こえます。しかし流れは非常によく、せわしなさは感じません。むしろ、1つ上のレベルから見渡した風景が広がり、作品全体に、新しい展望が拓かれています。「憂いを帯びた旋律に高揚感があり、激しい訴えに、手に汗を握って聴き入る。こんなシューベルトはこれまでになかった」(新聞から)。

リストのピアノ協奏曲2曲を、バレンボイムがブーレーズの指揮するドレスデン・シュターツカペレとライヴ録音しました(グラモフォン)。顔ぶれだけのことはある演奏です。表面の技術に走らず、リストの詩的なロマンティシズムが奥深く捉えられているのは当然としても、ピアノとオーケストラの交流のレベルが高く、バレンボイムの手綱を、ブーレーズがしっかりと握っている。さすが、たいしたものです。

モーツァルトの交響曲第39番と第40番をアバドがモーツァルト管弦楽団を指揮したもの(アルヒーフ)を3位としました。個人的には1位でもいいと思うほど、「滋味豊かな愛のあるモーツァルト」です。幸福感をもって聴きました。

何を研究するか2011年11月23日 11時04分36秒

私の司会する月曜日のゼミで、先日、興味深いラウンド・テーブルがありました。野中映先生のコーディネートするテーマは、「誰がために研究は在る」というもの。研究と勉強の違いから始めて、種々の基礎的かつシリアスな問題が取り上げられました。そのトピックの1つだった「何を研究すればいいのかわからない」という点について、今日は自説を申し述べます。

文系の学問で、テーマの自主性が尊重されているところでは、「何を研究すればいいかわからない」ことが、多くの学生の悩みになります。卒論にしろ修論にしろ、早くからテーマ提出を求められる場合が多いですから、テーマの選択に何ヶ月も費やしてしまうという例も、まれでありません。

ここでわきまえるべきは、「何を研究すればいいか」ということは、研究を始めないうちにはけっしてわからない、ということです。適切なテーマを選ぶためには、その対象についてどういう研究が行われているのか、すでにわかっていることは何か、わからないことは何かをまず知る必要がある。どんなに研究されている対象でも、わかっていることより、わからないことの方が、はるかに多いはずです。

そこでテーマ探しの着眼は、わからないことを知る方向に向かう。しかしすでにわかっていることを再吟味することも、選択肢としては重要です。再吟味による通説の修正は、学問の柱とも言えるものであるからで、もう研究されているという理由から忌避する必要はありません。

「まだわかっていないこと」の中に自分の知りたいことが含まれていれば、そこにテーマ発見のチャンスが生まれてきます。この段階で大切なのは、それが自分の現能力や与えられた時間との天秤において、成果としてまとめられるかどうかを見極める、ということです。成功を左右するのは、十中八九、焦点を狭めた絞り込みです。大きな問題意識が背後にあるのであれば、絞り込んだテーマ設定は有意義だし、先につながります。

という次第なので、興味のあることをどんどん調べ、まずは知識を増やしていくことです。それが面白くなってくると、疑問が疑問を呼んで世界が広がり、選ぶべきテーマへのアンテナも磨かれてゆきます。それをしないて考え込んでいては、いけません。

対象に関するすぐれた著作や論文を読むことは、つねに助けとなる方法です。また、情報を集めるだけでは研究にならないとしても、それらに対して自分なりの評価と意味づけを行うことは、その第一歩になります。文献の丸写しは手の運動。しかしそこでわかったこと、自分が考えたことを記述してゆくことで、小さなレポートも、研究の第一歩とすることができるのです。

先にテーマを決めてしまおうとあせらず、暫定的なテーマから始めて、発展的に修正していくことが一番いいと思います。つねに後押ししてくれるのは、知的な好奇心です。

家族が減りました2011年11月25日 13時48分38秒

闘病中だったポメラニアンのルルちゃんが亡くなりました。8歳でした。発作が頻発するようになってから、いったんは動物病院に引き取られていたのですが、なんとか症状が安定したというので帰宅。以後ほとんど寝たきりでした。妻が面倒をよくみるのには、本当に感心。亡くなった日は渓子も職場を早退してきて、お寺にも二人ででかけました。

動物病院に報告にいったところ、先生は診察を止め、スタッフ全員が整列して、黙祷してくれたそうです。動物病院も商売の仕方はいろいろだと経験していますが、この規律の正しさには感動しました。ともあれ、純粋種で小さくした犬は、弱いですね。陸ちゃんは、ミックスなので元気いっぱいです。

先日、1月15日の《ロ短調ミサ曲》演奏会をFAXで受け付けるとお知らせしました。その申込用紙が研究所のホームページでダウンロードできるようになりました。http://www9.ocn.ne.jp/~bach/から、「Topics」に入って下さい。なお、アミューや国立楽器、TACの諸大学に置いてあるチラシの裏面が申込用紙になっています。アナログ派の方はご利用いただければ幸いです。

進化した《ポッペアの戴冠》2011年11月28日 06時13分40秒

11月27日(日)、一橋大学(国立市)の由緒ある兼松講堂で、渡邊順生指揮、ザ・バロック・バンドによるモンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》が上演されました。私が仕切った2つの公演(須坂、国分寺)の延長線上にあるものですが、今回私は直接関与せず渡邊さんにおまかせし、プレ講演2回と字幕、そして当日の解説のみを担当しました。

準備を覗いたのも、ゲネプロの第3幕だけ。したがって当日の気分にも一定の距離感があり、客観性をもって鑑賞したつもりです。しかしそんな眼で見ても、公演はすばらしかったですね。終演のステージに呼んでいただき、スタンディング・オベーションというものを初めて目の当たりにしました。一橋大学OBの力をお借りして今回大きな発展があり、ささやかな試みのように始まったものが、外に出せる成果に達したと思います。

発展の内容は、3つ。1つは従来省略してきたナンバーがかなり復元されて、ストーリーの生起を切れ目なくたどれる、全曲に近い形になったこと。とくに、アルナルタ(押見朋子)、ヌトリーチェ(布施奈緒子)の2人の乳母が喜劇的な彩りを添えたことが、オペラの世界をバランスよく広げたと思います。第2は、若手演出家の舘亜里沙さんが起用されそのスタッフが参加したことで、舞台面が引き締められ、効率的に進行したこと。もう1つは、器楽がずっと拡充され、2本ずつのコルネットとリコーダー、バロック・ハープ、3台の鍵盤楽器、ガンバに加えてのチェロの参加によって、初期バロックにふさわしい多彩な響きが実現できたことです。楽器のレベル向上は、本当に隔世の感があります。

iBACHの歌い手たち(阿部雅子、内之倉勝哉、高橋織子、湯川亜也子、安田祥子、葛西賢治、狩野賢一。あ、押見さんもiBACHです)も3度目ですから、習熟度が格段に高くなり、みな見事でした。加うるに、セネカに起用されたバス歌手、小田川哲也さんの歌唱が圧巻。この役柄の重要性がいかんなく示されました。初参加の櫻田智子さん、長尾譲さん、西村有希子さんもそれぞれ適役でした。

みんなが燃えたのは、つまるところ、作品がすばらしいからです。上演するごとに発見されるそのすばらしさには、ただ感嘆するのみです。