お別れのご挨拶2012年03月07日 23時43分26秒

定年を思うたびに浮かぶ象徴的な光景。それは、最後の教授会における挨拶でした。毎年何人もの先生がなさる、定番の光景。長い年月が一瞬のうちに集約されるような趣きがあり、その機会を大事にしたいなあ、と思っていました。

それがついにやってきたのが、今日、3月9日の午後でした。原稿を書いて臨みました。それをここで公開したいという誘惑を感じます。ここを訪れてくださる学生さんや卒業生の方々にも、背後にある心を贈りたいなあ、という気持ちからです。では、以下に引用します。

「皆様、長いことお世話になりました。三十数年前、海老澤先生の授業を一部お手伝いするような形で1年半非常勤をやりました後に、美学の先生として専任になってくれないか、というお話をいただきました。その時私はドイツ留学が決まり、すでに準備している段階だったのですが、こういういいお話はそうないだろう、という判断から留学を延期し、この大学に勤めさせていただきました。

 以来35年、教員の皆様、職員の皆様にはご迷惑もおかけしましたし、お助けもいただきました。私のトレードマークのようになったダブルブッキング、朝の電話。これは、寝ぼけ眼で電話をとってみると大学からで、先生たち皆さんおそろいですが、というもので、何回かありました。それ以来電話が鳴るたびに、ぎくりとするようになって、今日に至っています。これは4月になっても、きっと変わらないでしょう--などなど、お詫びすることがたくさんあります。申し訳ございませんでした。

 しかし私は、国立音大で仕事ができて、本当によかったと思っております。理由はとくに2つあります。1つはこの学校の自由な雰囲気の中で、やりたいことが心ゆくまでできた、ということです。私は20年間ほど、次期学長、と言われておりました。期待してくださった方々にはお応え出来ず申し訳なくもあるのですが、私は管理や経営にはまったく能力をもたない人間です。その意味では、音楽に専念できたことが、なによりありがたいことでございました。

 第2の、いっそう大切な理由は、机の上の勉強にとどまらず、音楽の実践と、深くかかわることができた、ということです。実技の先生方との信頼関係のもとにさまざまなコンサート、イベントをご一緒できたということは、私の最大の喜びであり、そこから多くを学ばせていただきました。音楽は個人プレーではなく、みんなで聴き合って作り上げるものであり、自分たちの満足を超えて、神様に喜んでいただくためにあるものだ、という最近の私の考えは、音楽家の先生方と実践に関与する中でこそ得られたものだ、と思っております。

 ピアノ、弦管打、作曲など、さまざまな領域の先生方とご一緒に音楽させていただきましたが、とりわけ声楽領域は、先生方のみならず学生たちともかかわる機会が多く、ここ数年間は後期博士課程を通じて、何人もの優秀な学生を見守るという幸運を得ました。こうしたすべての結集として、今年1月の音楽研究所バッハ《ロ短調ミサ曲》の公演があったと思っております。これまで大学で積み重ねた日々や私自身のバッハ研究のすべてがそこに向かってくるような感動を覚える、《ロ短調ミサ曲》でございました。心より御礼申し上げます。

 これからは自分の思うままに時間を使えることが、嬉しくてなりません。大学の今後は、皆様に安心しておまかせしていきたいと思いますが、ひとつだけ申し上げるとすれば、音楽大学は、音楽というすばらしい芸術のために存在しているのであって、その逆ではない、ということです。音楽が大事にされてこそ、それにかかわる人々の喜びがある、と思っております。皆様ありがとうございました。先生方、職員の方々、またこの場におられない先生や学生さんたちも、どうぞお元気でお過ごしください。」

コメント

_ I教授 ― 2012年03月08日 12時40分31秒

申し訳ありません!!junjunさんに感動的な書き込みをいただきながら、迷惑投稿の削除をしているときにうっかり、junjunさんのものと私の書き込み2通を、いっしょに削除してしまいました。大量に入ってくるので数ページまとめて削除を繰り返していたのですが、今日のは各ページに分散して入っていて(つまり日付を分けて投稿されていて)、あっと思ったときには手遅れでした。junjunさん、たいへん申し訳ありません。再度ご投稿願えますでしょうか。

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