死との向き合い2013年04月26日 05時00分41秒

高峰秀子さんの本、今度は『にんげん住所録』(文春文庫)を読みました。平成10年から12年、70代半ばに書かれたエッセイが集められています。必然的に、老いがテーマの中心になっている。

老化して気息奄々、という趣旨の文章がさかんに出てきます。ところが、文章には持ち前の気っぷの良さが相変わらず躍動していて、老け込んだところがまったくない。達意の文章を書く人はそういうものなのか、彼女のエネルギーが特別なのか、どうなんでしょうね。

最後に「私の死亡記事」という欄があるのにはびっくりしました。想定される新聞記事を先取りして、簡潔に、クールに書いておられます。

私が思ったのは、こういう記事を書かしめるメンタリティはどんなものだろう、ということです。自分を突き放す豪毅な方ならではのユーモア、という解釈はもちろんありますね。それが基本です。私は豪毅ではないが、この手の冗談は好きな方です。

しかし、逆の解釈もあるように思えるのです。自分にそれを言い聞かせ、気持ちを備えるための一種の念仏、ないし祈り、というような。そこを突っ込めば、あくなき生への意志の逆説的な表現と見られるかもしれません。両面ある、という見方も成り立つことでしょう。

故人の心境を忖度するのも申し訳ないですが、私には、高峰さんのご逝去が、あらためて大きなことに思えてきました。強烈な人生を生きた、本当に偉大な方だったと思います。

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