ドイツ旅行記2013(5)--ガーディナー、雷雨の中の大演奏2013年06月25日 15時45分56秒

ドイツは酷暑続きで、ライプツィヒ入りした20日(木)が、35度。ところが、8時からの開演に備えて支度している頃、雷雨になったのです。バケツをひっくり返したような、猛烈な雨。聖トーマス教会はホテルから数分のところにあるのですが、皆様服装を整えて、決死の出発となりました。

会場に入っても、雷鳴が轟いています。そこで思ったのは、こうした環境で受難曲を鑑賞するのは、なんという見事なお膳立てなのだろう、ということでした。(〈成し遂げられたEs ist vollbracht〉のアリアで雷が大きく轟いたのには驚かされました。)

それから始まった演奏のすばらしさは、筆舌に尽くせないものでした。これまでの長い人生にもなく、この先の短い人生にもないであろう圧倒的な《ヨハネ受難曲》がこれであった、と申し上げます。

ずいぶん太ってしまったガーディナーですが、統率力は健在。従来に増して大局観が明確になり、演奏に緩急と奥行きが出てきました。たとえば、祈りをこめた長い空白を置いてから始まった《憩え》の合唱は切々とした共感に満たされていましたが、その響きには先へ向かう「希望」の強さが込められており、復活と永世を祈るあのコラールへの、絶妙な橋渡しとなっていました。

いちだんと深まっていたのが、言葉への集中力です。たとえば、"weg, weg"(消してしまえ)の合唱がささやくように飛び交ったあとに、"Kreuzige"(十字架につけろ)の叫びが恐ろしいフォルテシモで立ち上がる。透明で軽やかな古楽合唱団は世に多くありますが、突き抜けるような底力を兼ね備えて堂宇を満たすのは、モンテヴェルディ合唱団を置いてないと思います。

合唱団のすごさを物語るもうひとつのことは、アリアを歌うソリストのうちSATの3人(ハナー・モリソン、メグ・グレイブル、ニコラス・マルロイ)が、合唱団から出ていたことです。いずれもソリストとして十分な力量を備えている上、余計な「自分」を交えることなくまっすぐに歌い、全体と同じ方向を向いている。聖書場面とアリア、コラールの三者が大きく統一されるという、私の兼ねてからの理想が、こうして実現されていました。

マーク・パドモアの福音書記者。清潔な美声で繊細に、正確に、真摯に、時には意外な力強さで歌うテノールに、私は一音符も逃すまいと耳を傾けました。最近は聖句レチタティーヴォを速いテンポで「語る」演奏が主流になっており、パドモアも基本的にはそうなのですが、内容に即して緩急が取り入れられ、後半、十字架の場面では、噛み締めるような沈黙も交えて、物語が進められました。疑いなく、当代最高のエヴァンゲリストです。

劣らず絶賛したいのが、イエス役のマシュー・ブルック。「ヨハネ福音書のイエス」には超越的な尊厳が必須で、それがゆえになかなか満足することのできない私なのですが、ブルックはまさに、その要求を実現していた。これが、演奏に、計り知れない重みを与える結果になっていました。《ヨハネ受難曲》においては、イエスとピラトの対話が、かなり長く展開されます。この日はバス・アリアを歌ったピーター・ハーヴィーがピラトを担当したので、この対話が、きわめて格調の高いものとなりました。ハーヴィーも良かったです。

ずいぶん長くなりましたが、こうしたもろもろの末に、コラール「ああ主よ、あなたの天使に命じて」が歌われたとお考えください。往年のバッハ、自作自演に聴き入ったであろう聴衆と、ガーディナー、そして自分をいつしか重ね合わせ、幸福感でいっぱいになった、この日の私でした。