ヨーロッパ真摯の旅2015(12)--ハレでルターに会う2015年06月24日 22時48分57秒

失敗を繰り返し、同行者をさえ巻き込んだ私の旅。それでも楽しかったという原晶子様のコメントをいただいて感激し、昨夜はワインを飲み過ぎてしまいました。待てよ、そんな名前の人はいなかったぞ・・・と、「疑い深い」私はなりすましを疑ったのですが、それにしては、細部があまりにも正確です。同行者の中に、文才に優れた方がおられたのでしょう。ありがとうございます、ほっといたしました。

16日(火)は、列車で経由したばかりのハレへ、オプショナル・ツアー。名ガイド及川りかさんの心をこめたご案内によると、ハレは中央広場の5つの塔が目印であるとか。すごい高度で、写真がゆがんでしまいます。


左に聳える聖母教会は、この都市で生まれたヘンデルが洗礼を受け、バッハがオルガニストに選ばれ(辞退)、オルガンの鑑定を行ったところ。壁には、代表的な音楽家のネームプレートが刻まれていました。バッハが亡くなった時点で、長男がここの作曲家兼オルガニストをしていました。


この教会の一室にルターのデスマスクがあり、当日、特別に見せていただきました。しかしこのデスマスクは「眼」が入っていて、ぎょっとするようなリアリティ。この見学は、その後起こった出来事に重大な関係をもったのではないかというのが、同行の方々のご意見でした。

その後はヘンデル・ハウスで、ヘンデル関係の資料やピリオド楽器の数々を見学。最近ヘンデルをよく取り上げていますので、参考になりました。

夜は、「バッハとゼレンカのラテン語教会音楽」と題する、聖ニコライ教会のコンサートへ。拙訳のヴォルフ『ロ短調ミサ曲』に詳論されているように、バッハの晩年は、ドレスデンから流入するラテン語教会音楽が、ライプツィヒでシェアを伸ばしていました。バッハもそれを勉強し、編曲や作曲も手がけて、《ロ短調ミサ曲》後半部へとつなげていったわけです。プログラムはその様相をまさに伝えてくれるもので、バッハの〈サンクトゥス〉ニ長調BWV238と小ミサ曲ヘ長調BWV233に、ゼレンカ晩年の《すべての聖人のためのミサ曲》ZWV21が組み合わされていました。

私がこのコンサートを皆さんにお薦めしたのは、ヴァーツラフ・ルクス指揮、コレギウム・ヴォカーレ1704、コレギウム1704という、このところ台頭著しいチェコのアンサンブルを聴いておきたかったからです。

ゼレンカが、とても良かったですね。ルクスの個性が前面に出た、メリハリ豊かに聴かせる演奏。若干ケレン味もあるが若々しく、面白く、演奏水準も、じつにしっかりしています。ヴィヴァルディにロマン的味付けを加えた感じでしょうか。合唱の各パートは4人。そのトップがコンチェルティストを務めることは、もはや常識なのですね。どのソリストも、申し分なくうまかったです。

フェスティバルで賑わうライプツィヒの夜は、ちょっと遅くなると、お店探しがたいへん。その夜ようやくみつけたお店は、安いが怪しげで、お酒もちょっと。このことも、それから起こったことに関係したのではないか、というのが、皆様のお見立てです。