ヨーロッパ真摯の旅2015(11)--体が震える ― 2015年06月23日 21時45分27秒
ルター都市ヴィッテンベルクからのベルリンとハレを経由した大帰還につき、「個人のトラブルを超えて、他のお客様を巻き込んでしまう大幅な発展」という、身に余るご評価をいただきました(taiseiさん)。まこと、励みになります。
カラカラの喉を水で潤し、取り急ぎ着替えて、聖トーマス教会へ。いつ見ても、秀麗な教会ですねえ。今日のコンサートは、ミヒャエル・ラドゥレスクによるオルガン・コンサート。心身共に消耗した状態で聴くオルガン音楽は、どんなものでしょう。
ラドゥレスクはいずみホールのシリーズに出てくれたことがあり、人格識見ともに、私の尊敬する巨匠です。プログラムは、ライプツィヒ時代の難曲をずらりと並べた、意気込み豊かなものでした。
プレリュードとフーガホ短調BWV548/《バビロンの流れのほとりで》BWV653/トリオ・ソナタ第3番ニ短調BWV526/クラヴィーア練習曲集第3部抜粋(プレリュード変ホ長調~コラール3曲~フーガ変ホ長調)
そのすばらしさといったら・・。コンサートホールで聴くオルガンの響きは鋭角的になりがちですが、トーマス教会オルガンの響きは、高く広い空間の支援を得て、余裕たっぷり。ペダルの弾く重低音のスケールは比類がなく、あたかも、教会がいっしょに演奏しているかのようです。
しかも次から次へと名曲が登場し、それらがラドゥレスクの卓越した構築力で、すべての声部が豊かに歌いながら演奏されていくのですから、私はもう、全身がわななくほど感動してしまいました。よくある言い方をすれば、このコンサートには「バッハが降りてきていた」と思う。バッハの音楽の真髄がオルガン音楽にあること、バッハががペダルの名手とたたえられていたことにどれほど大きな意味があるかが、よくわかりました。
この夜とあの昼間は、どういう関係に立つのでしょうね。悪いツキの消費と良いツキの温存という、私の理論で説明できることなのか。あるいはそういう昼間だったからこそ、音楽が偉大な慰めとして機能したのか。すっかり気分をよくした私は、同行者の方々と、おいしいワインで乾杯したのでした。
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