新春・京都行(2) ― 2015年01月15日 22時58分46秒
日曜日のコンサートは1時半から。それまでに少し京都を歩こうと思っていました。起きてみると、青空が見えるのに雪がちらつくという、変わりやすい天気。しばらく御所を歩いたあと、出町柳から電車に乗り、鞍馬に行ってみることにしました。思いつきです。
ローカル電車を降りてみると、雪が降りしきっている。日本海側と直結した京都の気候、厳しいですね。天狗様も驚いているようでした。
軒を連ねている食堂に駆け込み、京風の定食(おいしい)でブランチ。ゆっくり食べているうちに小降りになりましたので、鞍馬寺への参道を、少し登ってみました。由岐神社までです。
天気のいいとき、そして時間のあるときに来れば、楽しめるところだと思います。大急ぎで元来た道を帰り、コンサートに飛び込みました。日本マスターズオーケストラの演奏は、練習の注意点がよく生かされて、なかなか立派なものでした。コンマスの方々が全国に成果を持ち帰り、活力を与えてくれるといいなと思います。
新春・京都行(1) ― 2015年01月14日 11時17分35秒
連休の11日(日)と12日(月)、京都を訪れました。目的は、ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞の1つとして選ばれた「日本マスターズオーケストラキャンプ」の視察です。
これは「日本アマチュアオーケストラ連盟」の主催するイベント。全国のアマチュア・オケの中心弦楽器奏者が80人集まり、N響の3先生(森田昌弘、御法川雄矢、藤森亮一)の指導により合宿、コンサートを作っていく、というものです。全国の音楽文化に貢献する趣旨はよくわかりますが、はたしてどんな風に行われるのか。そううまくいくものだろうか、という疑問も内に秘めつつ、府民ホール・アルティに向かいました。
ちょうど、モーツァルトの交響曲第40番のセッション。弾き始めの音は、当然ながら、まとまっていませんでした。しかし、指揮者は置かないのが方針なのですね。あくまで演奏者同士がお互い聴き合うことを前提とし、この曲担当の御法川さんが、随時口頭で指示を出しながら進めていく。この音を大切に、とか、このフレーズの受け渡しを意識して、といった感じです。
そうしたら驚くなかれ、ものの15分ぐらいのうちに合奏がまとまり、有機的な響きが出てきました。まさに音楽が、そこに生まれてきたのです。指導する方もする方だが、される方もされる方だと、私はすっかり感心してしまいました。受講する側に感性と理解、そして求める心がなくては、こうはならないだろうと思ったからです。
意義のあるプロジェクトであることがわかって嬉しく、レセプションでは大いにエールを送らせていただきました。とても気持ちよかったです(挨拶で本音を吐いてときおり大失敗するものですから、この手のスピーチはいっさいやめようかと思っていたのですが、お役に立てると思うときだけ、やることにしました)。
レセプション後、京都在住の田中純さん--あのすばらしい《冬の旅》を歌われたバリトン歌手--と飲み、楽しい夜を過ごしました。連れて行っていただいたお店がなんと広島ファンの集まるところで、最後、野球談義で盛り上がりました。写真は、翌朝散策した京都御所です。
フォルテピアノの醍醐味 ― 2014年09月05日 22時48分12秒
4日、いずみホールにおけるレクチャーコンサート「ウィーンを駆け上がるモーツァルト」は、司会をした私にとっても、この上なく楽しいものになりました。
今年のいずみホール企画はモーツァルトのウィーン時代前半を「充溢」と題して特集しています。すなわち、それは、モーツァルトがピアニストとして大成功した時代。ではモーツァルトはどんな楽器を弾いていたのか、というのがこの日のテーマでした。
移住当初使っていたのは、アウクスブルクで衝撃的な出会いを経験したシュタインの楽器。やがて購入し、メインに使ったのがヴァルターの楽器。ということで、シュタイン・タイプの楽器とヴァルター・モデルの楽器を舞台に並べ、聴き比べるというコンセプトで、プログラムを組みました。
やってみて痛感したのは、2台置いて聴き比べると、1台だけの時よりもフォルテピアノの面白さや可能性がずっとよくわかる、ということです。コンサート後、楽器の近くに集まった方が大勢おられたのが、その証明でした。
曲ごとに楽器を変え、トルコ行進曲では両方の楽器を比較し・・・というといかにも簡単なようですが、デリケートな上に操作環境のまったく異なる楽器を今度はこちら、次はあちらと弾き分けるのは、演奏者にとっては大負担。危険な綱渡りです。こうした無茶振りを安定感をもって音楽的にこなしてくれる久元祐子さんは、レクチャーコンサートの、この上ないパートナーです。構成の原案も久元さんにお願いしましたので、まこと久元さんあってこそなし得た、今回の企画でした。
シュタインとヴァルターを比べると、シュタインはよりチェンバロに近く、軽く、かつ華やか。ヴァルターは中音域の響きがぐっと充実して、奥行きと厚みがあります。ですから、ウィーン時代も進むにつれてヴァルターがふさわしくなっていくわけですが、変ロ長調K.454のヴァイオリン・ソナタを演奏するにあたって試行錯誤した結果、シュタインを採用することになったのは、意外でもあり、興味深いことでした。クラシック・ボウで弾くバロック・ヴァイオリンの響きにシュタインはとてもよく融合するが、ヴァルターはピアノ的に充実している分だけ、ガット弦との融合から遠ざかっているように思えたのです。こうしたことを実験しながら本番へ向けて作っていけるのも、レクチャーコンサートの楽しみ。無茶振りのついでに、アンコールでは、楽器をヴァルターに変えてソナタの最終楽章を演奏していただきました。
ヴァイオリンの須賀麻里江さんはひじょうによく勉強してくれて、本番が最高の出来になりました。何というか、天照大神のようなキャラでいらっしゃり(笑)、満場大喝采。ツーショットの右は、ヴァルターのフォルテピアノです。
既報の名店「ヴィヴァーチェ」で打ち上げ。今日(5日、金)は帰るだけでしたので、「降りたことのない駅に降りる」ことを東海道新幹線で実践しようと思い立ち、「こだま」に乗り換えて、掛川駅で下車。お城をめぐり、名物のとろろを食べました。その写真を、最後にお目にかけます。
【付記】
スリーショットを撮ったのでぜひ載せて欲しい、というご要望をいただきました。自分の写真は載せない主義なのですが、ご要望にお応えして。
達成感満点のお二人に比べて、私はクールに見えます。演奏者と司会の差かもしれませんね。でも内心は達成感があり、すこぶるハイテンションでした。
長野県周遊(4)--信濃境 ― 2014年09月02日 16時53分26秒
27日(水)。松本駅から甲府行きの鈍行に乗ったとき、どこで降りるか、まだ決めていませんでした。とにかく、どこか降りたことのない駅で降りよう、という無計画な乗車です。
降りようと思っては思いとどまること、数回。標高がもっとも高い富士見の次は長野県最後の駅、信濃境。次は山梨県に入り、小淵沢になります。そこで、どことなく旅愁を誘う信濃境駅で下車しました。降りた人は、2人だけ。天気は曇りで、ときおりパラッと雨が落ちてきます。
でもここが、一番良かった。静かで、空気がおいしくて。有名な観光地より、こうした落ち着いた田舎が、私、好きです。
釜無川の谷を少しくだって、井戸尻遺跡へ。縄文の住居跡、水車小屋、湿原が、こぢんまりとまとまっていました。
そこに咲く、純白の蓮の花。ちょっと感動しましたね。
次の列車まで時間があったので、駅前の食堂で砂肝とビール。最近テレビ番組のロケ地となり、信濃境も少し知られるようになった、とのことでした。高尾行きの鈍行を塩山で下車し、知る人ぞ知る「平和園」でラーメン。独特の旨みのある、おいしいラーメンでした。夏の終わりです。
長野県周遊(3)--別所温泉~松本 ― 2014年09月01日 16時42分50秒
26日(火)。戸倉から上田に出て、別所温泉を往復することにしました。父が昔ときどき宴会に行っていたのを覚えていますが、私は初めて。ローカル列車はそれなりに本数がありますし、キャラクター衣装の女性駅員さんもいる。どうやら、相当な大観光地のようです。
名所の印象は、温泉地に足を踏み入れて、確かなものになりました。長野県最古の温泉地にふさわしい風格があり、歴史的な建造物にも恵まれているのです。折からの雨は、この日も歩き始めたとたんに猛烈化。国宝の安楽寺八重塔もびしょ濡れでした。
北向観音に接して、大木があります。この大木、映画と歌謡曲で有名な「愛染かつら」なのですね。写真を失敗してしまったのが残念です。公衆浴場につかり、上田に戻って昼食を摂りましたが、泊まりがけで訪れたら、さぞいいことでしょう。
この日の夜は、松本。篠ノ井まで戻り、松本行きの鈍行に乗り換えました。篠ノ井線は南西に向かって斜面を登っていくのですが、駅から、いかにも景色の良さそうな高台が望めます。そこが遠足にも行った姨捨だということは、現地人であるにもかからわず、認識していませんでした。列車は、ホーム自体が善光寺平の展望台という、すばらしい景観の駅に泊まります。ホームから望める三大景観の1つだそうですが、じつに気持ちのいいところです。
松本では久しぶりに、サイトウキネンフェスティバルを鑑賞しました。ヴェルディの《ファルスタッフ》。なにぶんの超名曲。ファビオ・ルイージ指揮のもと、ずらりと揃った外来スターが習熟した舞台を繰り広げていて感動しました。同時に、この贅を尽くした堂々たる音楽祭を支える地元はさぞたいへんだろうなあ、という思いもいつも以上に湧く、今年の公演でした。
長野県周遊(1)--飯山 ― 2014年08月29日 11時13分48秒
長野県で育った私ですが、訪れていないところがたくさんあります。そのひとつが、飯山。県の北東端(地図の右上)に離れていますので、足を伸ばす機会がありませんでした。この機会にと、長野から40分ほどローカル電車に乗り、飯山へ。
広々した善光寺平を潤した千曲川が、山間を北東に流れていく。もう少し行くと新潟県に入って信濃川になる、という手前に、飯山はあります。水量がとても豊かだったのは、雨の影響もあることでしょう。今日も若干雨模様です。
飯山は静かな町。まず、城址への道をたどります。高いところに登ろうとする、私の性癖です。かつては上杉が、信濃進出の拠点にしたところだとか。遺跡はなく、木立を縫って、町並みが望めました。
飯山は「寺の町」と呼ばれるそうですね。寺社をめぐる遊歩道が整備されており、お寺関係のお店も多数。需要と供給のバランスは、どうなっているのでしょうか。一部回っただけですが、称念寺の庭園がしみじみと美しかったです。
下は忠恩寺。どちらも駅のそばです。
数少ない飲食店のひとつに入ると、高校野球の決勝戦を中継していました。優勢の三重高校が絶好機をバント併殺で潰したあと、大阪桐蔭が怒濤の反撃を開始したところまでを観戦。もう一押しできないのが、力の差ということですね。昔は飯山北高校が長野県の強豪に属していましたが、いまはどうでしょう。
飯山は北陸新幹線の停車駅となり、大きな駅舎ができていました。歴史のある町なので、活力が注がれるといいと思います。
富山でバッハを語る(3) ― 2014年06月19日 08時36分30秒
講演は土曜日の午後でしたので、翌日富山県を少し見るにはどこで泊まるのがいいかと思い、検索をかけてみました。すると高岡に、ニューオータニがあることがわかったのですね。これは高岡の観光上のステイタスを示すもののように思え、高岡に泊まることにしました。それから氷見に足を伸ばし、戻ってこようという計画です。
土曜日にはしゃぎすぎたためか、日曜日は風邪気味で足も痛いという、バッド・コンディション。通行人に次々と追い越される、とぼとぼ歩きになってしまいました。でも高岡、いいですね。日本三大大仏のひとつが、宿の近くに。
隣接する、緑豊かな高岡古城公園。
さらに良かったのが、前田利長の菩提寺だという、瑞龍寺。さすが国宝、端正なたたずまいで心が洗われるようでした。
1両だけの小さな電車に乗り、能登半島の右端を北上して、漁港と温泉の町、氷見へ。海産物の集まる「ひみ番屋街」までの30分の道のりを、とぼとぼと歩きました。駅にコインロッカーがなく、荷物を持参するはめに。
足湯に漬かっていると、理系の大学生を相手に話しているおじさんの声が聞こえてきました。STAP細胞の話です。STAP細胞はないと言われているが、本人があると言っているのだから、あるかもしれない。だとしたらすばらしいことだ、応援したい、という趣旨。よくある意見なのでしょうね。
私は、学問の世界に身を置いてきた人間として、いい加減を許容するような立場はとれません。手続き的にも信頼の置ける仮説だと認められて、初めて次に進めるわけで、その立証責任は、仮説の提唱者にあります。ないことを立証するなどという気の遠くなるようなことを、回りがすべきだということではない。どの分野にも、立証されない仮説を好都合に打ち上げる人もいれば、客観性を得るために苦労している大勢の人もいることを、見てきています。
期待したお寿司屋は長蛇の列であきらめ、市内で食事を済ませて帰宅しました。おかげさまの週末。バッハアンサンブル富山の皆さん、ありがとうございました。
富山でバッハを語る(2) ― 2014年06月17日 23時43分20秒
「作品をして自ら語らしめる」ことが実現するためには、《マタイ受難曲》をできる限り「識る」ことが必要です。そこで、識っておくべき作品のポイントをいろいろ挙げ、テキストを読んだり、楽譜を見たり、絵を参照したり、鑑賞したりしながら、話を進めました。話すほどに時間は足りなくなるのですが、まあ一通り話せたので、会心の出来、と申し上げましょう。もちろんそれは、食いつくようにして聞いてくださった受講生のおかげです。
最後の20分は、指揮者の津田雄二郎さんと対談。私の著作を読んでくださってのご質問でしたが、私を善良だと思っておられるようでしたので、私は性悪説ですよ、と釘を刺しておきました。善良でないから芸術の研究をするわけで、これは皆様、ご了解の通りです。
それにしても、富山の方々の反応は、過去に経験したことのないほど熱いものでした。打ち上げではワインを置いているお店に鈴なりで詰めかけたのですが、そのマスターが大の古楽ファンで、奥様ともども、「古楽の楽しみ」を聞いておられるとか。ありがたいことですね。二次会にも行き、富山ならではのおいしいお魚をいただきました。
写真その1は、サインです。古い本をもってこられ、昔の写真を指さして「これ、本当に先生ですか」と言われる方が複数。すみません、歳を取ってしまいました。
打ち上げのお店では4つのテーブルを移動してお話ししました。初対面なのにどこでも話が盛り上がり、泣く泣く移動。エネルギーにあふれた合唱団です。
指揮者、津田雄二郎さんと。とてもいい写真のような。
写真には写っていませんが、合唱指揮者兼エヴァンゲリストとして団を牽引しておられる東福光晴さんのバッハへの打ち込みと見識はすばらしいもので、感銘を受けました。富山まで来てくださるとは思わなかった、とおっしゃる方が、大勢。とんでもないです。こういう機会があっての人生、と思っております。(続く)
富山でバッハを語る(1) ― 2014年06月16日 07時32分23秒
バッハアンサンブル富山さんのご招待で、《マタイ受難曲》について話しに行ってきました。
私はいつもベストの講演をしたいと思っているのですが、一番むずかしいのは、バッハの大曲について、1回でお話しすることです。お話ししたいことがたくさんある上、いい演奏を鑑賞していただきたいので、つい盛りだくさんになりすぎ、収拾がつかなくなってしまう。素材をぐっと絞り、ていねいにご説明するのが理想だとは思っているのですが、なかなかそうできずに今日に至りました。
今回は、来年2月22日の公演に寄与するためのレクチャーです。そこで演奏者のヒントとなるポイントを中心にまとめ、それによって時間の効率化を図ることにしました。前日泥縄で、プレゼンテーションを作成。
西国分寺、南浦和、大宮、越後湯沢と乗り換えて富山に着くまでは、かなりの道のりです。新幹線の開通が楽しみ。富山県は、過去に立山登山の帰り、魚津に一泊したことがあるだけで、富山市に降りたことはありません。到着した11時過ぎには雨も上がり、よい天気になっていました。
富山は区画整理が行き届いて広々とし、木々の緑が印象的な町です。
ぶらぶら歩きを楽しみ、途中お蕎麦を食べて、国際会議場へ。行き交う人は少なかったのですが、会場は、合唱団の方々に外部参加者を交えて、思いのほかにぎわっていました。しかも皆さん、私に興味がおありなのか(笑)、興味津々の強い目線で、話に備えていてくださるのです。これでは、気持ちが高まらざるを得ません。
私は「名演奏の条件」というテーマで、話を始めました。私の挙げた条件は、「作品をして自ら語らしめる」「受難に向き合う」「言葉を重んじる」の3つです。(続く)
音楽都市、郡山 ― 2014年05月15日 23時59分15秒
先週の週末(10日、11日)は、ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞の仕事で、郡山に行きました。いい町ですね。垢抜けていて、飲食も楽しめます。合唱王国福島の中核という認識をもっていましたが、「音楽都市」として、器楽にも力を注いでいることがわかりました。
いつもながら感心するのは、ウィーン・フィルの方々の、音楽に対する誠実さ。フロシャウアー(ヴァイオリン)、カルヴァン(ヴィオラ)、イーベラ-(チェロ)の3人が気の毒なぐらいの忙しい日程で来日されたのですが、土曜日に予定されていた中学生の合奏の指導と小さいコンサート、アマデウス室内管弦楽団のリハーサルを全力投球でこなし、サービス満点。中学生たちの顕著な向上を実感しました。私の役割は、開会の挨拶と、夜の乾杯挨拶。親しくお話しすることができました。
日曜日はゲネプロを免除していただいたので、空き時間に観光。磐越西線で磐梯熱海まで足を伸ばし、自然の中を歩いて、足湯につかりました。好天に恵まれ、新緑がきれいでした。
車窓からは、残雪のある安達太良山がみごと。福島県の山は、ひととおり歩いています。
午後は、アマデウス室内管弦楽団のコンサート。ベートーヴェン《英雄》では、アマチュアの概念を超える力量にびっくりしました。かつて授業に出ていた本多優之君が勉強の行き届いた指揮をしていて、嬉しかったです。オーケストラはその名の通りモーツァルトを主要レパートリーとし、交響曲の全曲演奏を進行中。曲ごとの研究にしっかり取り組むことで、意義も高まることでしょう。
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