ヨーロッパ通信2014(16)/総括2014年04月29日 23時55分30秒

自分の概念を広げてくれる、すばらしい旅行でした。ベネルクスに対する認識が乏しく、オランダとベルギーとの区別もろくについていなかったのは、恥ずかしいかぎりです。オランダとベルギーはどちらも古楽のメッカですが、じっさいにはまったく異なる世界ですね。私の見るところ、観光価値には大差があります。ベルギーが、圧倒的に上だと思います(私見です)。

なぜか。オランダは、新しい国です。17世紀に海洋国家として世界に雄飛し、みごとな市民文化を生み出した。レンブラントの宗教画、ロイスダールの風景画、ホントホルストの風俗画、ハルスの人物画・・・すばらしい美術が目白押しです。18世紀にはもう、衰えてしまったのですけれど。

でも、中世がないのです。近世の文化というのは、人間の所産として、ある程度想像がつく。しかしベルギーに行って中世の大伽藍に接すると、これは桁違いだ、と思わざるを得ません。思えばベルギーにはトゥルネー、クレルヴォといった由緒ある町があり、ルネサンス初期には、フランドル楽派の作曲家たちを輩出したわけですよね。やがて絵画には、ブリューゲル、ルーベンスが出てくる。この厚みは、行ってみて初めて実感したことです。

古い文化というのは、本当に大きな価値です。観光に訪れるわれわれは、町を訪れると何はともあれ、旧市街を目指す。そこに文化があるからです。ですから文化作りには古いものを尊重にする心がなにより大切だと、つくづく思いました。日本人も、変えよう、リセットしようとばかりしていると、将来には何も残らないことになりかねません。伝統に、伝統芸術に、敬意をもちたいと思います(画像は、リエージュ聖パウロ教会の礼拝堂)。


復活祭前のこととて、教会の祭壇画には、十字架降下、ピエタといった遺骸取り下ろしの画像が多数使われていました。オランダでも、ベルギーでもそうでした。遺骸の傷ついた足をいとおしむマグダラのマリアの姿などを見ていると、イエスの刑死がどれほどの悲嘆を周囲の人に呼び起こしたかに、思いを致さずにはいられません。

ああこれか、バッハの受難曲を貫いているものは、と思いました。こういう思いの深さから受難芸術は生まれている。ですから、受難にしっかり向き合わずしては、受難曲の感動は生まれないのです。それは洗礼を受けているかどうかの問題ではなく、想像力の問題、普遍的な宗教性の問題であると思われます。


私の鬼門フランクフルトも、中央広場のあたりはいいところです(汗)。


ヨーロッパ通信2014(10)/ワロン地方を満喫2014年04月21日 23時52分24秒

4月16日(水)。ナミュールの朝は、快晴で明けました。ワロン地方を横断してドイツに入るのが、今日の予定。まず、ナミュール市街の南に聳える城塞に登ります。山登りの好きな私には、ぜひ訪れてみたいコースでした。

運動神経がまるでなく、身体を動かすことも怠りがちな私にとって、山登りをやっていたのは、とても大きなことでした。なにしろ今でも、上り下りがまったく苦にならないのです。高いところがあると上がってみたいメンタリティも、相変わらずです。

朝、人訪れもまれな自然公園を登ってゆきます。小鳥の声がたくさん聞こえますが、旋律性が豊かでびっくり。メシアンは、こういう鳥の声を聴いていたのですね。


「地球の歩き方」には、城塞には乗り物に乗らず、徒歩で登って欲しい、ナミュールの市街の展望は感動的だから、という投稿が載っていました。登ってゆく背中に、ナミュールの街があります。だから、登るごとに、後ろを振り返っていました。ところが、一番高い展望台に着くと、そこには砦の反対側の光景が広がっていたのです。ここもナミュールではあるのでしょうが、ムーズ河の本流に沿った地域。その向こうに、ワロン地方の豊かな自然がえんえんと。




今回の旅行で一番幸福を感じたのが、ここからの展望でした。しばらく尾根を歩き、疲れた頃小さな遊園地があったので入場料を払って入り、ハイネッケンのビールを一杯。再度強調しますが、ハイネッケンは日本で飲むより数段おいしく、すばらしいです。駅に戻り、ワロン地方の中心都市、リエージュへと向かいました。

ガイドブックでリエージュについて読み、どことなく惹かれたのが、訪問の理由。《展覧会の絵》のところじゃん、と思いましたが、気がつくと、あれはリモージュ(笑)。日本の観光客の、とても少ないところなのではないでしょうか。

でも、ここがすばらしかった。到着した駅の、とんでもなく現代的なホームには面食らいましたが(笑)。


旧市街の王宮周辺は、伝統と現代の混在する、活気にあふれたところです。女性も洗練されています。オペラ・ハウスの近くでカフェに入って昼食をしましたが、スカンピのオイル焼きのおいしさは抜群で、よく言われるベルギー料理の優秀さを実感しました。皆さん、ぜひリエージュをプランにお加えください。お薦めします。


リエージュから東へ国境を越えて、アーヘン(ドイツ)に入りました。列車待ちの時間に駅前でビールを飲んだら、女主人の怖い顔に仰天。私をにらみつけて、にこりともしません。「ダンケ」というと、噛みつくように「ビッテ」という。このあたりから、旅行が下降線に入ったようです。すぐ飛び出し、大急ぎで大聖堂を往復して、ケルン経由、フランクフルトに入りました。かつてコインロッカー事件の起こった、因縁の都会です(汗)。

ヨーロッパ通信2014(9)/フランデレンからワロンへ2014年04月18日 14時45分32秒

朝食後はたいてい、しばらくベッドに倒れています。消化器手術の後遺症のある私は、食後気分が悪くなることがしばしばなのです。乳製品たっぷりのオランダやフランス料理に近いベルギーは、危険大の地域。選んで食べているつもりの朝食がとくにそうなるのは、なぜなのでしょうか。

ヘントのベッドで目覚めた15日(火)も回復まで手間取り、出発の時間が遅れてしまいました。その日はベルギー縦断の強行日程を組んでいたため、なるべく早発ちしたかったのです。

昔の商館の立ち並ぶ河岸を歩いてフランドル伯居城に達したのが、ちょうど10時。そうしたら、待っていたように門が開くではありませんか。絶好のタイミングで入場、砦に登り、古都の眺望を楽しみました。これって、まさにツキの理論ですよね。


旧市街から駅に行くトラムに乗りました。しかし、経由は確認しておいたはずなのに、方角がどんどん駅から離れていきます。南に行かなくてはならないのに、北へ北へと行ってしまう。これはどうjしてもおかしいと思って、途中下車。しかし降りたところがどこか、わかりません。結局もとの線に乗りなおして事なきを得ましたが、こうしたこともヘントを知る一部だと思えば、楽しいものです。


その日は東のワロン地域に入って、ナミュールに泊まるよう決めていました。昼間ひとつ街を稼ぎたいと思い、西のブルージュに行くか、東のブリュッセルを順路で探索するか、迷いました。結局ブルージュにしたのは、ブリュッセルにはまた立ち寄れると思ったからです。

ブルージュは観光地的色彩が強く、人であふれていました。もちろん悪くはないが、ヘントの重量感には及ばない、というのが、私の感想です。ブリュッセルでは乗り継ぎの時間があったので、大広場と大聖堂を、大急ぎで観光。まだ明るい夜7時過ぎに、ナミュールに着きました。

ナミュールを選んだのは、最近ここの古楽アンサンブルが台頭しているので、どんなところか見ておきたかったからです。小さな街をさっと見て、8時半にホテルのレストランに入ったところ、もう食べ物は終わった、とのこと。どこかで食べられないか尋ねると、近くのレストランの名前を挙げ、そこも終わっていたらマクドナルドだ、と言うのですね(笑)。なんとか食事にありつき、翌日を楽しみに就寝しました。


ヨーロッパ通信2014(8)/ベルギーを歩く2014年04月17日 14時49分05秒

私は光栄「大航海時代」の、熱烈なプレーヤーでした。船を買って各国の港を周り、貿易をしたり、酒場に行ったりするのが大好き。世界の港の名前もずいぶんそれで覚え、地図の感覚も身につけることができました。

ですから、電脳空間でしばしば立ち寄ったアントヴェルペンの土を踏めたのは、嬉しさひとしお。内陸ですが、大きな川を、船が上ってくるのですね。美術館に行くと船の絵が多くあり、当時の帆船の精緻さに驚かされます。街は整然としていて、教会、とくに大聖堂に、抜きん出た印象がありました。外観は壮麗、中に入ればルーベンスの祭壇画というのですから、ドイツの教会はとてもかないません。ちなみに撮った写真は、デジカメの中に入っております。

ひと通り散策を終えて、ヘントへ。予約したホテルの情報がメールの中にあり、地図で場所を確認できません。仕方がないので駅からタクシーに乗り、旧市街にあるホテルに到着しました。

歩いてみてびっくり。市の中心部は、天を突くような聖堂、鐘楼、市庁舎が密集して偉容を競い、異次元の空間を作り出しているのです。ぜひ、写真を御覧ください。 

あれ、デジカメをなくしたんじゃなかったのか、ですって?確かになくしました。やむなく、スマホで撮ることにしたのです。今まで、スマホでは写真の撮り方がよくわからず、何より、ファイルをアウトプットする方法がわかりませんでした。でもやってみるとできるし、デジカメなしで済むという利点がある。解像度も、ネット用には十分です。なくして、かえって良かったのかもしれません--あれ、これって、ツキの理論そのものじゃありませんか。

ヨーロッパ通信2014(5)/ハーグからロッテルダムへ2014年04月14日 15時13分14秒

12日(土)。4泊したアムステルダムを離れ、ロッテルダムへ。途中、デン・ハーグを観光しました。ここはアメリカで言えばワシントンにあたる都市のようで、清潔な、いい街です。まず、国会を見学。ものすごいセキュリティ・チェックを経て会議場を観ましたが、私には、あまり興味がもてません。しかし市立美術館はすばらしく、オランダ美術の威力を実感しました。17世紀は文句なしですが、16世紀もいいですね。

現地留学中のバロックj・ヴァイオリン奏者、迫間野百合(はざま・のゆり)さんが顔を出してくれました。迫間さんは昨年12月の須坂のコンサートにiBACHのメンバーとして参加されましたが、留学のため3月の立川公演には乗れませんでした。実力は折り紙つきで今後必ず活躍されると思うので、皆さん覚えてあげてください。


清楚な方に元気をいただいて、私の運気はますます上昇(汗)。目的地ロッテルダムは、日曜日に行われるマラソンの準備でにぎわっていました。私はまず海岸へ出てエラスムス橋を渡り、次にユーロマスト近くの公園に行ってみましたが、海港都市の雄大な景観と自然の美しさは格別。写真を5枚、お見せします。






この時点では、翌日曜日における運気の急変は、予想できませんでした(汗)。

ヨーロッパ通信2014(4)/金持ちケンカせず?2014年04月13日 15時35分50秒

コンセルトヘボウの音響効果は、どの席にも充実した響きがしっかり届いてくる、すばらしいものです。おまけに、2日連続の《マタイ受難曲》公演では、ビールもワインもシャンパンも、フリー・ドリンクとしてサービスされている。でもそこはがまんして、コーヒーをいただきました。写真は、コンセルトヘボウから眺める国立美術館です。


11日(金)の《マタイ》は、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮のコレギウム・ヴォカーレ、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という注目の公演。旅行を企画した段階ですでにチケットは売り切れ、スタッフの努力で聴けるようになったという経緯がありました。

で、その公演がどうだったかということですが・・・。コレギウム・ヴォカーレの合唱はさすがに機動力があり、ソリストも、カウンターテナーのダミアン・ギヨンを筆頭に高レベル(他にキャロリン・サンプソン、ペーター・コーイなど、エヴァンゲリストはマクシミリアン・シュミットでイエスはトーマス・バウアー)。コンセルトヘボウ管は音色の明るい華やぎにモダン楽器らしさを感じさせるものの、バッハ演奏の要点を抑えて違和感がないのは、さすがです。

こうしてよりぬきの美しい響きが、心地よく前を過ぎていきます。でもなぜか、心に訴えて来ない。私の見るところ、理由は2つ。1つは、演奏の方向性が美しい音楽には向かっていても、受難とは、本当には向き合っていないようだ、ということ。もう1つは、金持ちケンカせずと言っては言い過ぎかもしれませんが、高い完成度に充足して、さらに上を求める真摯さが伝わってこない、ということ。ですからつい、「この演奏はもう知っているな」という感じになってしまうのです。

最後に。アムステルダム旧教会でうっかり踏みそうになった、スウェーリンクの墓石をご覧に入れます。99番という番号がついていました。




ヨーロッパ通信2014(3)/アルクマールの幸せ2014年04月12日 14時39分29秒

11日(金)は、アムステルダムからバスで北に小一時間走り、チーズの本場として知られるアルクマールを訪れました。金曜日でチーズ市が開かれていますが、私は乳製品アウトなので、それには興味がありません。写真は立派なチーズ計量館。 

アルクマールで楽しみだったのは、聖ローレンス教会のオルガン・コンサートを聴けることでした。ただし大小どちらのオルガンを使うかはわからない、とアナウンスされていました。できれば、大オルガンを聴きたい。なぜならこの楽器はフランツ・カスパル・シュニットガーの名器で、ヘルムート・ヴァルヒャを始めとする代々の名オルガニストが、コンサートに、録音に使ってきたものだからです。 

じつに堂々たる構えの大教会でした。中は意外にガランとしているのは、アムステルダムの旧教会と似ています。しかし折悪しく、改装工事が進行中。コンサートが行われる様子はなく、大小どちらがいいどころの話ではありません。私のツキもここまでか、と萎れた心境になりました。

ところが、捨てる神あれば拾う神あり。専属オルガニストであるフランク・ファン・ヴァイクさんが、小・大2つのオルガンについて自ら説明し、演奏もしてくださるというのですね。長身のとても友好的なファン・ヴァイクさん、サイドにある小さい方のオルガンから、熱を込めて説明を始められました。1511年に設置されたこの楽器はミーントーン調律だというので、まず、音階上の和音の不揃いを実験。次にスウェーリンクの作品を3曲。ペダル付きのプレリュードと、エコー・ファンタジー、そして《いと高き神にのみ栄光あれ》による変奏曲。小さなグループなのに全力投球で演奏してくださるお人柄に、まず感銘。 

次に大オルガンです。外見の美しさといい、たたずまいの壮麗さといい、堂々たるオルガン。ファン・ヴァイクさんは、この楽器との出会いがオルガニストになったきっかけであり、世界のシュニットガー・オルガンの中でも最高のもののひとつだと誇り高くおっしゃり、バッハの作品を演奏してくれることになりました。パルティータ《ようこそ、慈悲深きイエスよ》とヘ長調のプレリュードBWV540という、すごい選曲。父アルプのオルガンほどの冴えは感じませんが、ゴシック建築の空間に反響するパイプの音が地上にやわらかく降り注ぐ雰囲気は、コンサートホールでは味わえないもの。そのパワーを総動員して演奏されたヘ長調プレリュードでは、バッハのオルガン音楽の巨人的なスケールを、あらためて実感しました。

 本当に嬉しい体験でした。不肖私の運気はますます上昇しているように思えてならないのですが、いかがでしょう(汗)。

ヨーロッパ通信2014(2)/リチャード・エガー、息を呑む《マタイ》初稿2014年04月11日 13時54分30秒

市内観光や美術鑑賞の話はいずれ補うとして、コンサート・イン・コンセルトヘボウの話に参ります。


最初の鑑賞は、10日(木)の《マタイ受難曲》、リチャード・エガー指揮、エンシェント室内管に予定されていました。ところが到着後、9日(水)に同じコンセルトヘボウで、トン・コープマンとアムステルダム・バロックによる《マタイ》があると聞いて、耳を疑いました。それがわかっていたら旅行の価値は倍増し、お客様もずっと増えていただろうにと、天を仰ぎました。

ガイドさんの協力でなんとか若干のチケットを入手し、希望される方に配布。私は美術館で疲れていたこともあり、飲食組に回りました。コープマンの《マタイ》はDVDがあり、よく使ってもいますから、おそらく想定範囲とも思われました。


どうなるか想像もつかなかったのが、エガー指揮、エンシェントの《マタイ》。興味はもっていましたが、結果への確信はもてないまま、聴きに行きました。そうしたら、エガー氏いきなりのスピーチで、初稿の話をします。つまりその日は、初稿による演奏だったのです。《マタイ》の初稿は実演でも何度か聴いたことがありますが、良かったと思ったことがありません。

ところが。音楽が始まったとたん、エガーの克明な指揮のもと、緊張感ただならぬ音が押し寄せてきてびっくり。初稿が研究し尽くされていて、改訂稿の存在をなつかしむゆとりを、聴き手に与えないのです。

デンポはじつに速く、史上最速かもしれません。なによりコラールが速く、ドラマにがっちり組み込まれている。外側から悠長に入ってくるのとは大違いです。結果として、コラールの民衆性といったものは吹き飛んでいるのですが、そこが小休止にならないので、聖書場面の緊迫感が、一貫して持続される。これにこたえるエンシェントの合唱がたいしたもので、小さい役を分担した男声の声は、皆ソリスト並みです。

こうして「エガー劇場」と呼びたいような迫力満点の演奏が展開されました。これに貢献したのが、エヴァンゲリストのジェームズ・ギルクリスト。美声を完璧にコントロールし、正確そのものの発音で、言葉を、センテンスを、会場のすみずみに語りかけるように歌う。私は日頃から「エヴァンゲリストの歌唱は閉じられたものであってはならず、ドラマに開かれていなくてはならない」と言っているのですが、まさにそれが実現されています。知りませんでしたね、こんなにすごい歌手だったとは。エヴァンゲリストとしては、パドモアと双璧でしょう。アリアを歌うテノールのトマス・ホッブスも際立った美声・感性の持ち主で、これから出てくること間違いなしです。

イエスはマシュー・ローズという歌手で、ありあまる声をもつバス・バリトン。その雷のようなVox Christiは《ヨハネ》ではともかく《マタイ》では疑問にも思いましたが、エヴァンゲリストとの声の対比が狙いのうちにあるとすれば、それはみごとに達成されていました。惜しむらくは、女声2人のソロが内容希薄に思われたこと。テンポについていくので精一杯だったのかもしれません。バスはモルトマンでした。

というわけで、この上なくエキサイティングかつクリエイティヴな《マタイ》。イギリス勢を代表して来演しただけのことはあります。それで気づいたのですが、もしコープマンのコンサートの存在を事前に把握していたら、どうだったでしょうか。3日連続を避けて、エガーをパスしたかもしれないと思うのです。結果オーライ、二重丸だったということは、私のツキはまだ持続しているようです(コメントの方々、おあいにくさまです)。


ヨーロッパ通信2014(1)/着きました、アムステルダム2014年04月09日 23時59分00秒

皆様、日本でお忙しいさなかに失礼します。不肖私、アムステルダムに到着いたしました。

万全を期して、前日は成田泊。ホテル(エクセル)の部屋に立派なマッサージチェアがあり、これが強力。もみ方が多種多様であるばかりか、指の入らない固いところもよくほぐしてくれて快適でした。ずいぶん進歩しているようですね。値段によっては、購入もありに思えました。

おかげで快適に眠れ、早めに空港へ。いつもネットがつながらないと大騒ぎをしますので、今回は事前に検討し、海外専用の携帯ルータを予約。それでつながったか、とおっしゃるんですか?つながらなかったら、あなたはこの文章を読んでいないはずです。スマホ、タブレットもつながり、日本の出来事も野球の結果も、知っております。1日1200円で借りられますから、ぜひお勧めします。

大枚を投じてビジネスクラスに搭乗した目的は、心理的なものです。座席の住み心地はとても良かったのですが、機内食がまことに期待を裏切るもので、あとで非ビジネスクラスの方に探りを入れてみても、どう違ったかはっきりしない。問題点はこのことと、ガイドブックを忘れてきたこと。ともあれ、無事にアムステルダムに着きました。オランダは30年ぶりで、ほとんど初めて同然です。

強風が吹き、空を雲が飛ぶ寒い日。天候がくるくる変わり、雹が降るかと思えば、陽が指します。これって、17世紀ロイスダールの描く風景と同じですね。いかにも風車が回りそう。早く着きましたので、「北の水の都」を散策しました。


ハイネッケンのビール、こちらで飲むと二倍おいしいですね。というわけで、まずまず順調に、旅行が始まりました。市立劇場(写真)の近くにホテルがあります。



私は字幕2014年02月15日 22時28分59秒

11日(火)は、松本へ。北アルプス北部まで鮮やかに見えているすばらしい天候の日でしたが、私は「あずさ」の車中で、必死の字幕点検。この日は小林道夫指揮、松本バッハ祝祭アンサンブルによる《ロ短調ミサ曲》の本番で、プレレクチャーを済ませた私は、お客様のはずでした。しかし字幕が急遽準備され、私がその責任者となったのです。

私は声楽曲に字幕は絶対必要、という考えです。ですから、自分がプロデュースするコンサートでは極力、字幕を使ってきました。しかし、操作は全部、人任せだったのですね。しかし今回は、字幕原稿とキュー入り楽譜ができたばかりの上に、リハーサルは短いので、事実上、本番ぶっつけ。これでは人任せにはできず、自分でやることにしました。

操作する場所は、ホール奥の、高いところです。煙突まがいのハシゴを登り、四角い穴を抜けなければなりません。覚悟を決めて上り始めたところ、松本ハーモニーホールのスタッフが駆け寄り、「それだけはやめてください」と、止めにかかるではありませんか。炎の山を登るジークフリートの心境になりました。


制止を振り切って上ると、そこはホールを一望できる、気持ちのいいところ。降りることさえ考えなければ、天国です。初体験の字幕操作が始まりました。


一発勝負なので緊張しますね。次の画面が予定と違うものだったらどうしよう、という不安も起こってきます。流れに乗ってしまうと、演奏に加わっているような快感があるのですが、ふっと気が緩む瞬間も訪れる(遅れ、1回)。演奏を楽しみながら、という境地に至るまでは、経験が必要なようです。裏方の苦労、少しわかりました。


写真の右上に、字幕が移っています。演奏はたいへんすばらしく、《ロ短調ミサ曲》の真髄を伝えるに足るものでした。若い演奏者が多いのに、円熟した味わい深い響きが、小林道夫先生のタクトから引き出されてくるのです。リハーサルがとても勉強になりました。先生はメンバーをくつろがせながら、少しの無駄もなく的確な指令を発し、歌って模範も示しつつ、演奏をどんどん向上させていくのです。そんな偉大な先生に、みんなが心酔してベストを尽くしていることがよくわかります。声楽にコンチェルティスト方式が採られていたのもうれしいことでした。

松本というと「転落」という言葉が皆さんの脳裡に浮かぶようです(注:昨年の講演中、演壇から転落)。でもハシゴは無事に降りることができました。おあいにくさまです。