読書法第1箇条 ― 2009年04月29日 23時42分33秒
1年生の専攻の授業で最近試みているのは、勉強法、整理術、時間管理法といったハウツー本の紹介を、持ち回りでやることです。まず私が先陣を切るわけですが、人のやり方を紹介するよりは自分のやり方を紹介すべきだと思い、礒山流「本の読み方10箇条」を披露しました。その第1箇条は、「面白い本だけを読む。つまらない本は途中でやめる」というものです。
この主張には、当然ながら、反論が出ます。自分が面白い本ばかり読んでいたのでは偏ってしまうのではないか、自分が苦手とする勉強にこそ力を入れるべきではないか、といった反論です。
しかし私は、大学生になったらもう、自分の面白い本だけを読めばいいと思う。授業などで課される最低限の「お付き合い」は別として、です。面白い本はどんどん引き込まれて次、次と進みますから、勉強が、どんどん発展します。一方、つまらない本はなかなかはかどらず、居眠りをしてしまったりして、効率がはなはだ悪い。つまらない本をがまんして1冊読むうちに、面白い本は5冊も6冊も読めますし、身につきます。
それだと狭くなるかというと、そんなことはないのです。知識が深まるにつれて、広がりも獲得されてゆくからです。たとえばバロック時代のドイツに詳しくなったとすると、その時代のフランスはどうだろう、ルネサンス時代のドイツはどうだろう、と、興味はふくらんでいきます。こうして得られた知識は、つながりのある、役に立つものになります。ばらばらに情報を手に入れても、それはさして意味をもたないのです。
ただこれだけでは足りないと考えて、新歓コンパの席上、ひとつの条件を加えました。それは、「困難に挑戦する」ということです。面白い本を次々と読むことがわかりやすい範囲を回っているだけではなく、より難しい本に挑戦するという方向へと発展すれば、有意義なこと疑いなしです。もちろんそこには、外国語の本も含まれます。
コメント
_ Clara ― 2009年04月30日 09時52分35秒
_ I教授 ― 2009年04月30日 23時12分26秒
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私は、中学から大学まで、心太式に進める学校にいたために、同世代の「頭脳優秀な」人たちの受験勉強をよそに、好きな本ばかり読んで過ごしましたが、その時の読書が、いろいろな意味で、大きく影響しています。
みずみずしい感性と吸収力のある10代終わり頃までに、どのくらい好きな本に巡りあえるかというのは、大きな財産のように思えます。
でも、その時読まなかった本は、結局読まずに過ごしたので、多少面白くなくても、尊敬する大人たちの薦める本は、やはり何かいいところがあるのだろうと、手にしてみるのも悪くないような気がしますし、映画も、音楽も、それ以上に、人間形成上の影響があったと思います。でも、年齢にかかわらず思うのは、なるべく多くの「いい人」(このことば、実は難しいです)にたくさん出逢って(この言葉も難しいです)、自分が変わったり、広がりを持てたりすることではないでしょうか。
I先生のような方に、惜しげなく教えていただける学生さん達は、幸せですね。どうか、沢山のものを先生から戴いてください。