コンサート回想(1):カンタータ第64番2009年12月09日 23時23分41秒

カンタータ第64番《見よ、どれほどの愛を》はとくに有名な作品とは言えませんが、私の好きなカンタータのひとつです。とくに思い入れがあるのは、中程にあらわれるソプラノのアリア。この世のものは煙のように消えていく、という厭世的な内容をもち、ヴァイオリンに煙の音型が、足早に駆け巡ります。「バッハのロ短調」による名歌のひとつです。リヒターのレコードで昔聴いていましたが、こうした表現はリヒターの独壇場で、マティスが深い声で歌っていました。

そんなこともあってこの曲を選び、練習を始めましたが、練習を重ねるにつれ、このカンタータの重量感がひしひしと感じられてきました。冒頭のフーガも、3曲あるコラールも、1回ごとに好きになりました。小泉惠子さん、加納悦子さんというエース2枚をこの曲に投入しましたので、事前から、もっとも安心のできる仕上がりになっていました。

小泉さんも煙のアリアに惚れ込んでおられ、用意は万端のように思えましたが、直前には不安にかられたらしく、ほとんどパニック状態(笑)。節度あるお人柄を存じ上げていますから、ああこれが歌い手なんだな、とほほえましく思いました。大切に思ってくださればこその現象です。

実演は内容をひたと見据え、格調高く表現した感動的なもので、私はこの方にこの曲を歌っていただける幸福をしみじみ感じながら耳を傾けました。狩野賢一君が堂々たるバスで間をつなぎ、アルトのアリアになりました。

この曲はオーボエ・ダモーレとアルト、通奏低音のトリオになっています。現世への決別を告げる歌詞はソプラノ・アリアの延長線上にありますが、音楽はト長調の明るく開かれたもので、大塚直哉さんによると、「ようやくクリスマスの雰囲気が満ちてくる」ということになります。従来私は、ソプラノのアリアを愛するあまりこの曲にあまり気持ちを入れていなかったのですが、今回は演奏のすばらしさによって、この曲がこの位置に置かれていることの意味がよくわかりました。このアリアは前のアリアを慰め、世に決別することの意味をとらえ直して、魂を癒しへと導いているのです。

尾崎温子さんのオーボエ・ダモーレの音色のやわらかさ、人声のようなぬくもりはこれまで聴いたことのないもので、これと加納さんのアルト、吉田将さんのファゴット、大塚さんのオルガンの教師陣の織りなすアンサンブルは、おそらく一生忘れないと思うような美しさでした。順調な滑り出しです。